8日
金曜日
ナポリハポリ訊ねる
ナポリにはスパゲティナポリタンはないって本当ですか? 朝7時起き。今回の旅行スケジュールは二カ月以上前から安達Oさんが鉄っちゃん(時刻表派)の本領を発揮して、K子や談之助などわがままなメンバーの意見を入れ、完璧な予定表を組んでくれた。それは見事なものなんだが、完璧すぎて予定ギツギツ。ほとんどの日が早朝6時半とか7時起きになる。私が毎日早起きしているのは仕事の関係があるからで、旅の空でまで早起きしなければならんとは思わざりき。テレビつけたらティム・アレンのコメディーをやっていた。安全カミソリを入れ忘れていて、ホテルにも備品がなく、ヒゲを剃り損ねる。
朝食、バイキング式であるが部屋の殺風景に比べればまあまあの内容。海外のホテルの食事は果物が豊富なのがうれしい。プルーンをやたら食った。午前中はバスで中真部に行き、市内観光。川を見れば“ドナウ川、ドナウ川”、木を見れば“ウィーンの森、ウィーンの森”と大いに赤毛布ぶりを発揮。ホテル・ザッハーで名物のザッハトルテなるものを食す。このザッハトルテ、うちが本家われこそ元祖と名乗る二派が裁判にまでもつれこんだそうだ。同じく本家争いのあった雷おこしみたいなものか。要はプラムジャムを練り込んだケーキをチョコレートでコーティングしたもの。コーヒーは当然の如くウインナーコーヒー。K子はいずれもクソ甘い、と口をつけず。
ホテルに戻ってあわただしくチェックアウト、空港のビュッフェで軽い昼食。カツレツのごときものがあったのでみんなでウィンナーシュニッツェルだウィンナーシュニッツェルだ、とまた赤毛布で喜んで喰ったら、チキンカツだった。さて1時40分の機でポーランド、これがチロリアン航空というオーストリア航空の関連会社のもので、優雅なスタイルのプロペラ機。ずっと地面を見ながら飛ぶのは実に面白い。子供のころの飛行機体験というのはこれだった。雲しか見えないジェット機ではいっかな空を飛んでいるという感動もない。今の子供たちは、案外飛行機の窓側に座りたがらないのではないだろうか。三○人乗りくらいの小さな飛行機だが、生意気に機内食が出る。スパイスビーフサラダとパンの軽食だったが、日航機の十倍はうまかった。
1時間強のフライト(かなり遅れてアポロジャイズがあった)でポーランド、クラコフへ。現地ガイドの堀越さんと落ち合い、バンで市街地へ。堀越氏はポーランド人の奥さん(村上春樹の小説をポーランド語に翻訳しているらしい)をもらってこの国に住んで、五年になる人。年齢不詳っぽいが三十代半ばくらいか。いかにもおしゃべり、という感じの人で、ガイドにはうってつけ。ここでは何組もの日本人観光客のガイドをしているが、われわれのような正体不明の団体は珍しいと見え“なにをなさってる方々なんですか、みなさん?”と不思議がっていた。
ホテルは七○年代、旧社会主義政権時代に建設された、ポーランド唯一の大型ホテルである“ホテル・フォルム”。外見は無骨な市役所みたいな感じだが、中はなんとも懐かしい古めかしさのモダン建築。ちょうど、ショーン・コネリー時代の007映画に出てくるようなデザインの近代ホテルなのだ。しかも、割り当てられた部屋が、なんと最高級のスィート・ルームだった。窓からは靄にけぶるヴィスワ河の駘蕩たる流れと、岸の並木の美しい紅葉が見え、はるかにヨーロッパ随一の美城ヴァヴェルが望める。まさに007映画のロケーションである。これでお値段はエコノミー(一人九○○○円)。何かの間違いではないかと確かめてみたが、これでOK。円高のせいか、職業欄に作家と書いたので尊敬されたか、あるいは堀越氏のカオか。氏は以前、ここに泊まった日本人観光客が部屋に忘れて、すでにゴミとして捨てられた化粧ポーチを探してゴミ捨て場あさりまでして、ここの従業員にすっかりおなじみの日本人なのだ。
堀越氏の案内で旧市内を観光。いろいろと教会をめぐり、街の歴史をおさらいし、実に面白いエピソードもいろいろ聞いたが、メモもとらずにおのぼりさん状態だったのでここにはいちいち記さない。だいたい、教会の歴史というのはそれ専門に予習をしてこないことにはわれわれ異教徒には右の耳から左の耳へスッポ抜けだし、修学旅行でやってきたわけでもない。今回の目的はあくまでアウシュビッツなのだ。それでも、安達Bさんは熱心にいろいろ質問をしていて、ハタで見ていて真面目だなあ、と感心する。また、われわれの適当な受け答えだけでも、一般の観光客よりはよほどマシであるらしい。中央市場広場でオミヤゲを買う。ここは実に広い広場(剰語ではあるがそう言うしかないから仕方ない。狭い所は米屋という、そのココロは精米所、というシャレがあったが)で、市場は巨大なアーケード街であり、一○○店近くのミヤゲモノ店が軒を連ねている。ローマ法皇(ポーランド出身)のTシャツをノスケ師匠と買う。K子は、民芸風ミッキーマウスのボールペン(もちろんノンマルC)を大量 に買い込んでいる。
さらにヴァヴェル城まで足を延ばし、ヤギェウォ王朝(この発音を見ただけでポーランド語を学ぶ気がなくなる)の栄華をしばし偲ぶ。現在のポーランドはお定まりの不況状態らしいが、それでも街の人々の表情などを見ると何とも優雅な余裕を感じるのは、こういう、かつての栄光が心中の支えになっているからか。堀越氏は一度、カツアゲ犯にピストルを向けられたことがあるそうだが、“撃つなら撃ってみろ!”と 言うと、すごすご引き上げたそうである。やはり悪党もフテブテしくない。
通りの喫茶店で少し休む。教会のミサを見学したが、そのミサを終えた神父さんがその格好のまま、通りでタクシーに乗り込んでいたのが笑えた。ミサの掛持ちとは、売れっ子芸人なみである。急いでいたのはケツカッチンだったんだろう。7時(と、言っても高緯度のこの国ではまだ夕方くらい)に、堀越氏お勧めの、カジミエッシュ(旧ユダヤ人街)にあるレストラン、ガリーツィアへと向かう。陽気な年配のウェイター氏がいて、われわれの注文に対しいろいろ検討してくれる。堀越氏おすすめのワインはポーランド名産の蜂蜜ワインだが、これはちと甘過ぎるので、味見程度にし、赤ワインにニシンの酢漬け、キノコの壷焼きスープ、それからそろそろシーズンらしい狩猟肉。キジ、鹿、猪と三種揃えてもらう。猪鹿鳥だ。ニシンはさわやかな酸味、スープは絶品、肉はどれも抜群の味だが、歩き過ぎてくたびれ、胃もそれほど活発に動かず。キジはおみやげにして包んでもらう(明日のアウシュビッツ見学がまたキツキツのスケジュールなので、昼飯をひょっとして食いそびれた時の用心)。何よりの感動は、堀越さん入れて総勢七人が飲んで食って、お値段五二○ズウォチ(一万三千円)ほど、ということ。一人分じゃないよ。七人でこの額なのだ。驚くではないか。とにかくここはウマい。そして安い。お疑いの方は堀越夫妻がやっている旅行会社のウェブサイトhttp://republika.pl/inu/ems/ems.htmで詳細をご覧あれ。
いい気持ちで酔ってホテルに帰り、日本からの睡眠不足を解消という感じでグッスリ眠る。とはいえ、明日もまたバカ早のスケジュールなんだよなあ。