裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

12日

火曜日

ショパンの事情により

 ジョルジュ・サンドとは別れました。また朝6時起き。ホテルのロビーで談之助夫妻(われわれと別行動でヒトラーの生地ブラウナウ、山荘のあったベルヒテスガーデン見学に行った。一応新婚旅行なのだが、それでヒトラーの生地見学を選ぶというのもやはりなかなかスゴい夫婦である)を待つ。休息室に宿泊者ノートがあり、客の感想が書き連ねられている。日本人のものもかなりあり、この宿にしてよかったとか、このホテルの全ての部屋に泊まるのが望み、とか書いてある。新婚さんが多いが、なるほど、こんなホテルで、ゆうべみたいに夜の中庭で二人きりで過ごしたりしたら、ミーハーな旅行好きなら生涯の思い出になるだろう。中に、“三度目のフィレンツェですが、これが私にとって最後の旅になるでしょう”という謎めいた文句のものがあり、ちょっと気になる。なんで最後になるのかを書けぇー、とジレた。こういう発端のミステリーが書けそうである。

 7時カッキリに師匠夫妻、無事着。ロビーで話す。この大のヒトラー信奉者にとっては、生地巡礼は人生の究極の目標であり、それを果たしてしまったわけ。ちと興奮気味にいろいろと話してくれて、フロントに注意されるくらい話がはずむ。まだ寝ているお客様もいるのだから、ということだったが、それを言うならゆうべ遅く、部屋で寝ようと思ったら、廊下で従業員とフロントの姉ちゃん(トスカーナ美人の方ではなく、純イタリア系のキツそうな姉ちゃん)とが猛烈な口ゲンカして、ものを放りなげたような音さえ聞こえていたぞ。

 7時半、朝食。シンプルなもので、パン数種類とチーズ、ハム、それにスクランブルエッグなど。私はここでも果物とカフェオレ。クロワッサンがイタリアではどこでも砂糖がけなのが気になっていたが、このホテルではなんと中にカスタードクリームが入っていたとK子がフンガイ。水の入ったボールに、白いふわふわした丸いものが浮いていて、私は落とし卵ではないかと思ったが、モツァレラチーズであった。

 9時、チェックアウトをすませ、荷物だけ預かっておいてもらって、タクシーを呼んで(フィレンツェには流しのタクシーというのは滅多にいない)フィレンツェ大学に行く。もと宮殿であったというこの大学の構内にある、動物人体解剖博物館(ラ・スペコラ)見学。アウシュビッツと並ぶ、今回の見学の目玉である。あまりフツーの観光客はいかない、ひっそりとした感じの博物館。入口が三階にあり、ここから入ると、まずサンゴや貝類、サナダムシなど、それから昆虫、魚類、爬虫類、鳥類、哺乳類などという動物の発達に添った剥製標本の展示室がある。剥製標本はよほど古いものなのだろう、“生きたものを見たことのない剥製師が作ったんじゃねえのか?”と思うほど、奇怪な形状をしたものもある。類人猿のコーナーにはひとつ、空っぽの展示台があり、そこに乗ると灯りが点いて、“人間”という表示が出る、というサムいジョーク。前にも何かの雑誌でここの台のことは読んだことがあるから、まあ有名な(?)ものなんだろう。

 そして、ここの主要展示品である、解剖人形。西暦何年にレオポルド公がどうしてこうして、ナポレオンがどうとかでペスト人形がこうとかで、という詳しい解説はインターネットででも見ていただきたいが、有名な“解剖されたビーナス”と呼ばれる美人解剖人形を含む十数体の全身像と、人体・動物あわせて五六○にも及ぶ部分解剖フィギュアが並ぶ迫力は、いわゆる病的な迫力ではあるが、凄いの一言。女性の陰部の解剖人形がずらりと十体近く並んだ棚など(毛は本物の死体からとって植えているどうな)、眺めているうちに“ひひひひ”と、水木しげる風なヒステリカルな笑い声が喉の奥からこぼれてくる。作られた時代が時代(十八世紀)だけに、解剖されている死体たちがみな、小じゃれたポーズをとっているのがオカシイ。猫の解剖図など、腸をあたりにぶちまけながら猫じゃ猫じゃのひゃくひろ踊りを踊っている。K子は喜々として大ハリキリで写真を撮りまくり、ひとつひとつの展示品の前で“あ、これこれ、これスゴい”の連発。製作者のスッシーニやズンボは当時ヨーロッパじゅうに名が鳴り響いた蝋細工師だったそうだが、しかしここまで細部にこだわった執念には、やはりどこか狂気、もしくは病気の質が感じとられる。ヨーロッパ秘宝館、とも言うべきキッチュさと、医学的神聖さが同居する不思議な空間。解剖人形の前で真剣な表情でそれをスケッチする、画学生か医学生かの姿も見られた。ミュージアムショップでK子、オミヤゲを買いまくる。ハガキ、ポスター類は解剖モノがあるが、Tシャツは動物のばかり、と不満そうである。内蔵模型のキーホルダーくらい売ればいいに。

 そこを出て、安達OB組と唐沢・談之助夫妻組とに別れる。安達組はヴェッキオ橋のブランド店街に行ったらしい。われわれは雑貨市場のメルカート・ヌオヴォ(新市場)へ出かける。案外面白いものがあり、いくつかヘンなオミヤゲ品を買う。

 ドォーモ前の広場でピッツァを食べる。考えてみればイタリアへ来て初めて食べるピッツァだ。大したことなし。広場前の似顔絵屋を冷やかし(田中角栄の似顔を並べているのがいた。日本人観光客寄せであろう)、再びホテルに集合。タクシーで駅へ行き、構内の軽食ラウンジで三○分ほど時間をつぶす。K子が、イタリアのコーヒーは濃すぎてイヤ、というので、アイスコーヒーを取ったら、これもエスプレッソだった。アイスエスプレッソというのは初めて見た。イタリア人たちも飲んでいるところは見たことがない。たぶん、日本人観光客があまりコールドコールドと言うので、わけのわからぬまま作った商品なのではあるまいか。談之助たちは水で薄めて飲んでいる。食べていると、ジプシーのおばさんが幼い子を抱いて、物乞いにくる。いくら手を振っても去らないので、余った小銭をやる。談之助が“ロコツに子供と肌の色が違うじゃないか”と言う。たぶん、“貸し子”なんだろう。しばらくして、駅の係員が飛んできて、追い出していた。

 2時半、ローマ行きのインターコンチネンタルの6人コンパートメント席に乗り込む。二時間ちょっとの窮屈の後、ローマ・テルミニ着。K子は“さあ、今度こそドロボウの巣窟よ!”と言う。そう言えば、旅行前に読んだ江國滋『読書日記』にも、東欧を回り、ローマに来て、取材ノートやカメラの入ったバッグをそっくり盗まれる件があった。出発前に縁起の悪いものを読んじまったものである。確かに、田舎街の純朴さが感じられたベネチアやフィレンツェに比べ、ローマの雰囲気は明らかに違う。駅前に出ると白タクのおっさんがしつこく勧誘してくる。それを避けてタクシー乗り場からきちんとしたタクシーに乗りこんだが、この運転手が親切そうにべらべらしゃべりまくるくせに、メーターを倒していない。前の席に坐っていて、途中で気がついたBさんが指摘すると、問題ない、それに荷物が六ケもあるからそれは別料金だ、などという。結局、駅からホテルまで十分程度の距離で四万五○○○リラ(三○○○円程度)。しかし、こういうことがあると、かえって何か“イタリアに来たなあ”という実感を感じたりして。

 有名なヴェネト通りをちょっと上がったところにあるホテル・サヴォイに投宿。ここはかのムッソリーニの常宿だったとこだそうだ。イタ公嫌いの談之助はケッ、という表情。ここでも、チェックインまで一時間ほど間があるので、付近を散歩。近くの新聞店で、アホなB級エロビデオ、マンガ類など買い込むうちに、すぐ一時間は立ってしまい、部屋に入って、一時間ほど休む。シャワー浴びるが、このカランが古いもので、使うと風呂場じゅうに水しぶきが飛び散るようなシロモノ。ムッソリーニ時代から使っているのと違うか。蛇口も、日本のように水が一本にまとまって出ず、四方に散るように吹き出る。国によっていろいろ違うな。ベッドに寝転がり、テレビを見る。『サンドカン』という、インドらしいジャングルが舞台の冒険ものがこちらの製作でイタリアの人気ヒーローのようだ(マンガがさっきの売店にあった)。あとはほとんどアメリカと日本のもの。蜜蜂マーヤ、ポケモン、パワーパフガールズ。パワーパフにはウルトラ怪獣がいっぱい出ていた。

 夕食はBさんとK子がガイドブックと首っぴきであーでもないこーでもないと選択し、決定。ただし第一希望の野性肉のハムがあるという店はフロントからなんべん電話をかけても通じず。つぶれたか。セカンドチョイスのアル・モーロという店に行くことにする。8時開店というので(ローマの夕食は一概に遅いらしい)散歩がてら歩いていたら、迷ってしまった。トレヴィの泉の前も通りすぎるが、ベラボウな数の観光客。

 なんとかたどりつき、メシ。旅行もすでに六日目に突入し、胃袋もかなりクタビレているのだが、あれもおいしそうこれもおいしそうと欲張って注文しすぎ、いささかもてあます。なんとかという、モツの挽き肉ソースをまぶしたパスタがおいしい。イカ料理は酸っぱいソースで最初はヘンな味だと思ったが慣れるとまずまず。野鳥料理は味がちと濃厚すぎ。一体にローマ料理は塩味がかなり効いている。Bさんはまたまた生ハムメロン。一旦おいしいとわかったものは徹底して味わうタイプなんだな。私は生ハムイチジクにしたかったのだが、結局メロン。ここでも目玉はやはりビステッカで、最初から二皿頼んだら、ウチのは大きいから一皿でいい、と言われる。イタリアに来て量を減らせと言われるとは。もっとも、さっき書いたように取りすぎたが。で、さすがに八○○gの肉がでーんと来たときには迫力におお、と声をあげた。私は胃袋が悲鳴をあげたので食べず。

 全員、精神的にはハイだが、肉体的には限界に近い。安達Oさんは椅子ごと後ろにひっくりかえりそうになる(もっとも、最初からかなり傾いたところに座らされていた)。私はワインとビールで、かなりロレツがあやしくなる。談之助師匠は頭の中の計算機能がマヒしちゃったらしく、勘定のとき、なんべんやっても金が数えられず、しまいにはテーブルの上に持ち金全部広げだし、K子に“ここはローマなのよッ!”と叱られている。ホテルまで帰りつくことが出来るか心配だったが、なんとか無事たどりつき、とにかく眠い眠いとわめきながらベッドにモグズリこむ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa