7日
木曜日
ダイモンとガーファンクル
あの歌手は吸血妖怪が化けとるんや! 朝(というかまだ夜中)2時起き。5時まで原稿と日記。こんなギリギリまで仕事残すな、と自分でイヤになるが、私はギリギリの瀬戸際でないと調子出ないモノカキなので仕方ない。最後に残ったモノマガと、鶴岡との対談を送る(これは帰国後、ニフのトラブルで送られていなかったことが判明した。早起きがまるでムダになったわけ。ダア)。
朝食、コロッケサンドとカフェオレ。風呂、荷造り、あののものの。SFマガジンの図版用ブツ及びキャプションは成田から速達で出すことにする。何かカニか仕事が残るものですな。まあ、今回はあちらに持ち越すものがないだけまし。十年ほど前、アラスカに行ったときは、ホテルの部屋にコンセントがないので、ひげそり用のがあるトイレの便器の上にワープロを置き、オーロラの下から原稿を送ったものだし、チベットに出かけたときは、レディコミ用のエロコラムをホテルのフロントからFAXしてもらった。一枚送るのに八○○円かかったと記憶する。フロントが英語を読めるといけないと思い、いつもはSEXとかFUCKとか書くところを全部カタカナに改めたのも、オレの人生にいろいろあるしょうもない思い出のひとつだわいな。
8時、ちゃんとゴミを分別して出して(感心!)、K子とタクシーで新宿駅。成田エクスプレス車内で談之助夫妻と待合せ、のつもりが、タクシーに乗ってチケットを確認したら、8時3分発であった。完全なカン違い。運転手に言って、急遽行き先を東京駅に変更。早朝で道が空いていたこともあり、新宿発のが東京で停車する8時半ギリギリに到着、飛び乗り成功。階段近くの入口で待っていたノスケさんに迎えられる。やれ、うまくいったとホッとしたものの、しょっぱなから冷や汗をかいた。聞くと向こうもギリギリで新宿の電車に飛び乗り、サゾやK子が怒り狂っているだろうと思っていたら乗ってもいないのでアゼンとした由。それにしても松本清張の時刻表トリックもかくやの乗り継ぎであった。
成田まで一時間半。不思議なもので、遠い々々と悪口を言い合いながらだと早く着く気がする。談之助も出版社におくる原稿を持ってきていた。いずこも同じ。窓口に預けた際、字で説明するとなると少し苦労なのだが、預け終わって床に置いたカバンをとろうとしゃがんだとき、目算を少しあやまって、受付台から少しハミ出していたガラス板に眼鏡をぶつけ、少しレンズに傷をした。使用には不自由なしだが、ひとつ間違えると十日の旅行中、度の会わない替え用のメガネで過ごさざるを得ないところだった。安達O、B両名と待合せの間、レストランで軽くお茶を飲んでいると、“カラサワシュンイチさま”と二度ほど呼び出し放送がある。“似たような名前があるもんだ”などと気楽なことを言っていたら、ホントに私を呼び出しているんだった。早めについた安達さんが、我々がいないので呼び出しをかけたらしい。あれは呼び出される方に、呼び出されるかもしれないという意識がないと、ほとんど役に立たないものである。なんとか落ち合い、アリタリア・日航共同便で、中継地ミラノに向けて出発。ふう。
飛行時間11時間35分。われわれ夫婦は他のメンバーと席が離れているので、機内は退屈。本読む気にもならず、映画二本、ダラダラと見る。J・ロバーツの『エリン・ブロコビッチ』と、リーアム・ニーソンの『ガン・シャイ』。『エリン〜』は偽善ぽい映画(善人と悪人の描き分けが極端すぎ)だったが、『ガン・シャイ』の方はブラック・ユーモアものでK子も大喜び。腕利き刑事がサイコセラピーにかかりながら囮り捜査を行うという脚本のアイデアが抜群。いくらグループ療法の仲間とはいえ職務機密を一般人にべらべらしゃべってしまうのはどうかと思うが、ゲイや南米人を今日びのアメリカ映画にしては珍しいほどオチョクって差別ギャグにしているのがよろしい。精神安定剤賛美映画。
機内食、エコノミーとはいえ日航機なので気を許していたら、これがオソルベキものであった。渡辺和博が“エコノミークラスの機内食はファーストクラスの乗客のゲロで作られている”と表現していたが(残り物、でなくゲロというところが実に的確な表現である)、ヒラメのクリーム煮と、つけあわせのホウレンソウはまさにゲロである。和食メニューの方は牛肉の山椒煮と品書きにあったが、味が昔よく食った大和煮の缶詰をそのまま開けてぶちまけた、という感じ。わきにひとかたまりになっている、何とも形容しがたい物体があり、口に入れても何であるか判然しなかったが、品書きを見直して、これが卵めんであることがわかる。以前、上海に行ったとき日航を利用して、中華風機内食が案外うまかったのが記憶に残っているが、日航のレベルも 落ちたものか、それともアリタリアと共同運行なのが原因か。
メシのせいではないが、眠ろうとしてなかなか寝つかれず。本読もうとしても気が入らず。機内放送の日航寄席で白山雅一先生のモノマネなどを聞く。5時20分、ミラノに着いて(時差5時間)、乗り継ぎ便を待つ間、空港内のカフェテリアでメシを食う。ピザ、ライスサラダ、カルパッチョなど。これがまたメチャマズ。“イタリア人もこんなもの平気で食っているようじゃ舌の程度は知れたもんだ”なぞと毒づきながら、アリタリアのユーロドメスティックでウィーンへ(時間、少し遅れた上に、どういう理由か滑走路の上でかなりの時間立往生)。座席はこっちの方が大きめで楽。日航で眠り損なったせいか、座ったとたんにウトついて、機内食にも手をつけなかった。他のみんなは元気旺盛で、ウィーンに着いたら夜中の町に繰り出してザッハトルテ(ウィーン名物チョコレートケーキ)を食べよう、などと言っている。
結局、飛行機の遅れで11時過ぎの到着になってしまい、町には出ず、ノボテル空港すぐ脇のホテルエアポートのバーでヨーロッパ第一夜を祝って乾杯。Oさんとノスケ師匠は連絡用に成田でレンタルした国際用携帯のチェックをしている。乾杯はビール一杯のみ。つまみは品切れ、と言われる。12時、アパートみたいな作りのホテルの部屋(ミニバーはなにやら複雑な作りでとうとう開かず)のベッドで熟睡する。