裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

2日

月曜日

絶倫の王者ターザン

「ア〜ア〜ア〜(ジェーン)」
(エロネタですまぬ)

怪しげな夢をいろいろ見ているが、その総括という感じで
出口王仁三郎が登場。まあ、原田さんの本の影響だろうが。
ただ、その人物はどう見ても村西とおるであった。
野球のバットをふって、悪霊を退散させる、と言っていた。
一応、ストーリィもあったがあまりにトリトメなく、説明不可。

朝6時半起床。
ペンネを茹でてこないだの肉団子ミートソースの残りで朝食。
飲み物は調整豆乳。

原稿書き、T誌原稿。
文体をパキパキした感じにすることを意識して。
約2時間で書き上げ、編集部Kさんにメール。
それからもう一回ベッドに戻り、11時まで寝る。

起き出して今度は入浴、日記付けなど。
大野剣友会創始者、大野幸太郎氏10月30日、
急性胆のう炎で死去。76歳。

東映ヒーローもの全盛期に、番組ごとのアクションのカラーが
あきらかに異ることから“擬斗”という職業に興味をもった。
幸い、当時のヒーローものの数の多さから、比較検討は
容易だったのだ。

で、一番わかりやすかったのが、本家王道アクションの
大野剣友会(仮面ライダー、バロム1,イナズマンなど)、
対する新興アクションのJAC(現JAE。ロボット刑事、
スパイダーマン、宇宙刑事シリーズ)の対比。
ゴレンジャーは前記が大剣、後期がJACで、アクションが
全く変わってしまった。

一言でいえば、ガチの大野剣友会と、”見せる“こと重視のJAC
と言おうか。JACの金田治が擬斗を担当した『コンドールマン』
など、大野剣友会の実直な殺陣ばかり見てきた者にとっては、
目ウロコな派手さがあって、
「これが特撮ヒーローのケレンというものだ」
と膝を打った記憶がある。当時いっぱしのマニアを気取っていた
私の理論では、
「スーパーヒーローのアクションが、人間が出来るアクション
ではいけない。人間のパワーを超えたアクションを映像で見せて、
初めてスーパーヒーローになる。人間の能力の範疇で出来る
アクションしか基本、見せない大野剣友会は工夫が足りない」
だったのだ。

JACは後進ゆえに会社組織も近代的で、契約や営業もキチンと
行っていた。アイドル系のアクションスターを養成する、という
時代のニーズに合わせたことにも手を延ばして成功させた。
当然のことながら、時代はやがてJAC全盛になっていき、
大野剣友会は次第にヒーローものからその名を消していく。

しかし、まあここが人間心理のわがままなんだろうが、
ケレンアクション一辺倒の時代になってしまうと、そこで初めて、
大野剣友会の、地味だが重みのあるあの正統派アクションが
懐しくなってしまうのだ。パンチ、キック一発々々に重みがある
初期ライダーのあの怪人との戦いは心に響くものがあったなあ、
としみじみ思うのだ。

前記の私の感想は、所詮、いい年をして変身ヒーローものを
見ていた頭デッカチなオタクの駄々に過ぎない。仮面ライダーを
最も熱心に見ているのは子供たちなのだ。ライダーキック、
ライダーパンチは、子供たちがアツくなり、あこがれることの
できる、はるかに技術は上でも、自分たちと地続きの地平の上に
あるものでなくてはいけない。
“ごっこ”の出来るアクション、これが仮面ライダーのあの
人気を保った第一の秘密だったのだと思う。

仮面ライダー第一作の金のなさは今見て、涙がこぼれるほど
である。制作費をスポンサーから出させるのが仕事の平山亨
プロデューサーにとっては、そんな中で演技をしてくれる
役者さん、アクションをやってくれるスタントさんたちに対し、
肩身が実に狭い思いだったろう。
しかし、そこが草創期という”時代“の持つエネルギーの為せる技。
蜘蛛男に扮した岡田勝(現・大野剣友会代表)のアクションを
試写で見た平山Pは、思わず岡田氏の手を握って
「これで番組をみている子供たちに顔向けが出来る。
ありがとう!」
と叫んだという(平山氏個人から聞いた話)。

そこには、義理と人情を重んじる古いタイプの武人・大野幸太郎の、
「金じゃない。自分たちを起用してくれたプロデューサーに
恥ずかしくない仕事をしよう」
という”心意気“があった。
今のライダーを、”あの頃のライダーに比べて“とけなしたくは
ない。時代のニーズというものが存在する以上、それに合わせて
いくのがプロというものである。
しかし、平成ライダーのファンにも忘れて欲しくないのは、今、
平成のイケメンライダーたちの活躍を君たちが堪能出来ているのも、
すべて大野剣友会の”心意気“が、第一作の凄まじい人気を
生じさせたからなのだ、ということである。
昭和の擬斗を作った男、死去。
黙祷を捧げたい。

12時、昼食。
納豆、茶碗蒸しなど。
母に感謝々々。
テレビで押尾事件について茶の間の感情的な意見を助長する
コメントを垂れ流すコメンテーターたちを見てかなり不快になる。
押尾の黙秘権すら認めないという集団リンチ。
茶の間の一般大衆の感情のガス抜き、という大義名分で
こういうことをしないといけない、というならテレビ人間とは
哀れなものだと思う。まあ、自分も片足突っ込んではいるのだが。

台本書き、ラストスパート。
とはいえ、今日は書き上げる時間がない。
2時、家を出て池袋、西武池袋線で護国寺。
久しぶりに講談社本社へ打ち合わせ。
そらは灰色の絵の具を塗りたくったようなどんより。
冬の空である。
途中でもうクリスマスのサンタの衣装を着せられたカーネルサンダース
を見かけた。

講談社でTさんと待ち合わせ。
「あれ、カラサワさんじゃないですか」
と声をかけられる。
“バジリスク”を担当していた編集さんであった。

新書編集部のKさん。
三階のカフェテリアで打ち合わせ。
こちらの企画意図を話すが、具体的な企画書を作ってこなかったので
顔合わせのみで終ってしまう。向うはすぐ本造りにかかれるものを
欲しがっていたらしい。これはこっちがノンビリすぎた。
来週早々にもすぐ企画書を、と約して別れる。
Tくんはちょっと意気消沈気味だが、いやこの程度なら大丈夫と
はげましておく。

夜にまた彼とは会うので、一旦別れて飯田橋まで行き、総武線で
新宿。買い物ちょっとしてタクシーで帰宅。
台本、また少し。細切れで書くのはよくないとわかっていながら。

7時、地下鉄で銀座。
シネパトスで『奇想天外シネマテーク』の特別トーク。
銀座駅を出たとたんの大雨に驚く。
中野監督と『怪猫トルコ風呂』について30分ほどしゃべる。
お客さん、知った顔かなり来てくれている。
大宝映画発掘上映会で知り合ったSさんたちの姿もあった。
最初50人ほどのお客さん、トーク最中にもどんどん増える。

終って、Tさん、中野監督、しら〜さんと、シネパトス地下街の
定食屋さんで飲みながら話。昭和がそのまま、というより濃縮された
ような空間。以前何度か快楽亭と来た店だが、自家製ハムや
アジカレー(アジフライの乗ったカレーライス)など、料理はオリジナル。
さんざ飲んで食って一人2500円。

雨は止んでいた。タクシー、しら〜さんと相乗りにて。
アオキングから映画見終わったので合流したいという電話が携帯に
あったようだが、サイレントにしていて気がつかなかった。
すまぬ。とはいえ、映画が終わった時間にはもう撤収間際であった。

帰宅、酔ってはいるが今日手がけたシーンのみは完成せねば、と
まだ筆を入れて、1時半、就寝。

*シネパトス飲食店街

Copyright 2006 Shunichi Karasawa