裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

火曜日

大日本ジャンコクトー

 恐るべきは子供たちでなくソ連の謀略である! 朝8時起床、昨日最終的に寝たのが4時だからまだ眠い。気圧のせいもある。かなり乱れ気味。朝食アスパラガススー プ、スイカ。スイカが嬉しい。夏は毎朝スイカでもいい。

 松村達雄氏死去、90才。大好きな俳優だった。昭和40年代、コニカのCMであの独特のイントネーションで
「カメラはコニカ、いいと思うよ」
 と言う。この“イーとオモーよ”というセリフは流行語になった。本気で商品を勧めているのかな、と首をひねりたくなる軽みが身上だったのだ。そういう意味では非常にテレビ時代を先取りしていた人だったと言えるのではないか。とにかく、一時はテレビドラマと言えばこの人が出てきた記憶があるが、もうそのときからおじさん、だった。飄々とした、というのはこういう人のことを言うのかと思っていた。学校でも病院でも会社でも国会でも、この人がいると妙なリアリティがただよった。代表的かつ理想的な日本のおじさん、だったのかもしれない。そういう日常性が、逆に作用して映画では場面さらい、であった。『キングコング対ゴジラ』の牧岡博士なんて出番はワンシーンのみなのだが、この人の一言がキングコングが日本に運ばれるそもそ もの発端となるのだから凄い。

 前に出てきて場面を食う、というのではなく、場面全体を自分のイメージに染めてしまうタイプの俳優さんだった。だから、平凡な役から怪役まで、オールマイティで演じられる。寅さんのおいちゃん役も、この人が相手だと森川信や下条正巳に比べどこか本気で怒っているというところがなく、渥美清もケンカをしにくそうだった。や はり、本来はテレビの人、だったのではと思う。

 記憶に新なのは1976年のNHKドラマ『日本の戦後』シリーズにおける吉田茂役。マッカーサー相手にのらりくらりとやりあう松村の吉田茂は、映画『吉田学校』の森繁久彌より適役だった。貴族的だが神経質で、“不逞の輩”“バカヤロー”などしょちゅう問題発言を繰り返す。芦田均(伊藤雄之助)のずうずうしいふてぶてしさとはウマが合わず、しょっちゅうぶつかっているのも笑えた。ああ、あの頃はテレビ でこんな演技合戦が見られたのだったか!

『まあだだよ』で映画初主演だったが、内田百ケン(門の中に月)の頑固さはあまりよく出ていなかったような気がする。この人がやると、どうも人嫌いの頑固者、という感じがせず、要領よくやっちゃうんじゃないか、という気がするのである。それもこの人の味なんだろうが。そう言えば法政大学のラガーマン出身なのだが、戦争中はそのことを隠していたそうだ。知られると、こいつはいい戦力だと思われ、最前線に送られて殺されてしまうからだそうだ。お国のために死のうとかは一切思わず生き残 るのがこの人のキャラクターだろう。

 その味をうまく使うといい悪役も出来る。タイトルは忘れたが『キンゴジ』の有島一郎が主演のドラマで、気が弱く口べたな有島が、上司の息子の結婚式のスピーチを頼まれ、唯一自分が知っている新郎のエピソードを妻(丹阿弥谷津子)や息子(あおい輝彦)の前で何度も何度も練習し、なんとかマスターして一世一代の式に臨む。ところが、有島の前にスピーチを指名された他社の部長が、その同じエピソードを、非常に流暢に先にしゃべってしまう。この、無意識の悪役を演じたのが松村達雄で、そ の、いかにも世慣れたというしゃべりこそが、松村達雄ならではの味なのだ。

 この持ち味はミステリものなどで案外うまく作用する。市川崑の『獄門島』では島の長老三人トリオの一人である医者の役だし、NHKで放映したグラナダ・テレビのホームズ・シリーズでホームズの兄、マイクロフ(チャールズ・グレイ)を吹き替えていた。もっとも二回登場の一回だけで、あとは久米明になっていたが。若い人(比較的)にも『古畑任三郎』の最高齢犯人役で記憶に残っていることだろう。90才という高齢で死去、というとたいてい“まだ生きていたのか”になるのだが、ちゃんとみんなの記憶に残っているうちにこの世を去った。悲しいが、しかしそれだけは幸い だったように思う。

 スケジュール関係であちこちメール、変更やたら多し。こないだインタビュー受けた『月刊ピアノ』から電話。ディズニー・プロが私の原稿に事前検閲を求めてきて、 「一応拒否しているのですが、見せないと図版を一切貸さないと」
 言ってきている、という。向こうはひたすらおそれいっているが、批判した内容ならともかく、ディズニー・アニメのクラシックスを勧めているのだから、チェックが入ってもかまわないですよ、と答えておく。ディズニー関係の仕事で向こうが横車を押してきたというのは犬が吠えたとか夏が暑いとか志水一夫氏が遅刻したとかいうの と同じく、想定してない方がおかしいというようなもの。

 12時、出勤。コンビニで週プレとアサ芸発売号確認。仕事場に着いたら週プレ、もう届いていた。昼を食べて、FRIDAYコラム、同時にFRIDAY今週号分ゲラチェック。代理店から10月、宮城県での講演仕事。その一週間前が秋田。日本全 国いろいろ足を運べるのは嬉しいけれど。

 部屋、暑い。エアコンそろそろ替えないとダメか。3時、新宿に出て中村屋の前で待ち合わせ、三才ブックスラジオライフ。編集T氏、編集長M氏、ベギラマ。地下のマシェーズで。ベギちゃんに“AVの打ち合わせみたいなコースだね”と言うとベギ 「このまま安田生命前からバン乗って撮影現場行きたいですね」
 と。M編集長、SFマガジンの私の連載のファンだそう。

 T氏、ベギに
「これまでどんなところでお仕事を……」
「あ、SMとかですかねー。英知(出版)で」
「あ、英知ですか。あそこの本、売れてるそうですね」
「売れててもウンチですからねー」
 などと。テレビ収録の際の裏話でタレントの楽屋での顔などの話をするとベギがムチャクチャ嬉しそうに、
「わー、早く早く人に話したい!」
 と。これが普通のテレビ業界への接し方で、普通にテレビ人になってしまってはいかんのだろうな、と思う。通ぶっては業界は見えてこない。藤井隆ともっと早くもっ と仲良くなって、子供が産まれたあたりで自宅を訪問するといい、と言う。
「母親ってのは子供が泣いたら人前でもなんでもオッパイ出しますから。子供の泣き 声を聞くと羞恥心より母性の方が本能で優先されるんですよ」
 だから、うまくそこにカチ合えば乙葉の生チチが見られる、という。
「いいなあ、見たいなあ」
 なんだかわからん。

 1時間ほど話して別れ、買い物少しして帰宅。二見原稿にかかるが気圧すさまじく乱れ、まとまったこと出来ず。10時ころまでそれでも作業。参宮橋でラーメン食って、帰宅、玄関入ったところで雨がザーッと。これで少し楽になるだろう。作業12 時まで続き。ホッピー飲んで寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa