9日
木曜日
人類の月面着陸は山下ケッタロー論
大日本帝国碩学、ソエジマタッカヒコー。朝6時45分起床。朝のうちに原稿いくつかアゲて、と思っていたがそううまい具合にはいかず。資料のみカバンにつめて日 記書いて。
航空券、モバイル、資料類などカバンに詰め込み、家を出て仕事場。母が今夕掃除に来るときにわかるようにトンデモ本大賞のアリス衣装の袋を置き(アイロンかけてもらって神無月ひろに返す)六花マネにメールで各〆切関係に今日は四国、と連絡してもらうことにしてアサ芸とGBの(どっちもイラストレーターが同じ仕事だ)ゲラ に赤を入れて返送。これだけやって、またタクシー乗って羽田。
運転手さん、大沢悠里と小倉智昭を足したような口調のキレのいい半白の髪のおじさんで、話題も面白く好感度は高いが道はよく知らず、羽田空港に入る道を間違え、すんでのところで木更津まで持っていかれるところ。殿町なるところで高速降りてUターンしてなんとか羽田まで辿り着く(羽田もターミナルが第一と第二と分かれているが、どの航空会社がどっちのターミナルかという指示がないので、二人ちょっととまどう)。料金はもちろんさっ引いてもらったがおかげで昼飯が食えず、最終案内のアナウンスがあるところを、急いで『まぐろカツサンド』なるものを買って機内へ。
さすがにいい席をとってくれていた。サービスがどこが違うかというと、飲み物のおかわりをスチュワーデスが“勧めて”くれる。やれやれ。お茶とスープ。一時間ほ どのフライトで四国高松空港。
四国なる土地には足を踏み入れるのが初めて。上空から見てみるに、かなり特殊な地形、木々の種類や山の形なども本州はもとより、九州などともよほど異なって見える。迎えの人が立ってて、ハイヤーで高松市内のホテルへ向かう。天気快晴、山の姿 が映え、まことにすがすがしく美しい。
高松市内は地方都市のある種の典型的にぎわい方。朝になると、中国もかくやという自転車通勤、通学の群れが街の道路を埋め尽くすという。自転車で通うにちょうどいい大きさの街なのであろう。ホテルの控室に通され、一時間、講演まで放っておかれる。主催者とか司会者とかが挨拶に訪れるということもなくホントに一時間ひとりぽっちにされたが、これはかえってありがたい。モバイルで話の材料になるトリビア などを仕込む(結局使わなかったが)。
やがて会場に通される。四国の生コン関係者5〜60人ほどを相手に、『生活の中のトリビア』というお題で。前回(後楽園)よりはだいぶ話し方、堂に入ってきたという感じ。私はこういう場合、レジュメは一切作らない。最初と最後に話すことを決めて、そのツナギの理論を決めたら、中は1時間なら1時間、2時間なら2時間、そこから連想の及ぶ雑談をどんどん開陳して、最後に結論に持っていき〆る。ロフトプラスワンで“基本4時間”というトークを何度も経験しているから、1時間半など、 アッと言うまでしかない。講演には便利な男であると思う。
終わったあと、親睦会に出てくれと最初の依頼のときに注文があったが、それは勘弁してほしいと言って、結局、写真撮影のみ。結婚式用の写真室で生コンの人たちに囲まれてパチリ。これでお勤めは済んだ。ハイヤーで空港まで送られる。秋のように空が高い。立派な石垣があったので、運転手さんに“城の跡ですか”と訊いたら、イサム・ノグチの作品なんだそうだ。空港前にある、砲台みたいな石積みもそう。これが芸術か? と言われると、どうもそうは認めたくない気がする。自分は現代美術は 基本的に嫌いな男なのである。
空港でみやげものを買う。売店のおばさんが
「あら、ひょっとして『世界で一番受けたい学校』(ママ)に出ている先生?」
と声をかけてきて、そうだと答えたらレジの下の棚から色紙を取り出して(やはりこういう場所だけに用意がいい)サイン求められた。娘に自慢できるわー、だそうである。時間がやや、あるのでせっかく高松に来たのだから、と空港内の讃岐うどん屋に入る。案内掲示板に“出発ロビー”“手荷物検査”などと並んで“うどん”とある のが、さすが高松。
釜揚げうどんと天ぷら、さぬきビールなる地ビール。これが酵母の味がくどくなくてスッキリ、結構。釜揚げうどんは空港で食うものとしてはなかなかうまかった。フ ライト30分遅れ。飛行機が変更になったせいか、帰りは普通席。
窓際の席だったのでいい感じの夜景を空から眺めつつ、ビールのほろ酔い頭でいろいろ考える。トンデモ本大賞のことなど。朝のMLのやりとりで、今回の不備の点の指摘がいろいろあった。前にと学会の凄さは前回の反省点を次回にきちんと活かすこと、とあったので次回はさらに改善された会になるだろう。とはいえ、改善して全て の問題がなくなるかというと、そうもいくまい。
例えば舞台構成上の不備というものには、構成の基本思想に基づくものがあるからだ。今回の会の性格設定を私は“ショーとしての徹底”においた。ブログなどの感想を見ると、それに満足したという声が多いのは嬉しいが、しかし“構成より内容に重きを置いてほしかった”という声もかなり根強い。一番多いのが、トンデモ授業で、せっかく盛り上がっているのに時間が15分で切られるのはもったいない、という意見である。じゃあ一人2時間やらせたらどうなるか。会の趣旨も進行もあったものではなくなる。料亭に懐石料理を食べに行って、
「この酢の物がうまいからこれだけをどんぶり一杯ください」
と言っているようなものである。
こういう意見を述べるのは大抵がマニアックな人たちで、いわゆるノイジィマイノリティに属する。会場が800人入れるという大規模なところで、マニア受けネタで全編通すとなると、置いていかれる客の数がハンパじゃなくなる。今のレベルがそのギリギリじゃないか。そもそも、デバンキング系の発表者というのは多くがマニア向けしゃべりしか出来ない人たちである。皆神龍太郎さんという、デバンカーネタのドンピシャを語りながら満場の観客を沸かせられる話術を持ったスーパースターがいるのでつい、ああいうネタでも一般人を引き寄せられると思いがちだが、あれだけの人材は他にちょっと探せない。やるなら100人かせいぜい200人の収容スペースの会場で共犯感覚を持たせて淫靡なマニア笑いを取る、といった方法で(それも実は大好きだが)やるべきなのである。私はと学会主催のイベントはもっと増やしていいんじゃないかと思っている。ああいう大会を年に一回。あと、年に三回くらい、一般聴衆を入れる、どこかの会議室か旅館を借り切っての勉強会のようなものを開催してもいい。そこでは時間をたっぷりとって、明木先生や志水さんなどのマニアックな発表を聞き、かつ聴衆参加のゼミナールのようなことも行えるようにする。何にしても、と学会が外にその顔を出すという機会をもう少し増やさねば、年一回の大会で、マニアックな客もビギナーも冷やかしも一編にフォローしようと思うからムリが出るので ある。……などということを想っているうちにはや東京着。
タクシーで新中野まで。自室で朝日新聞ベストセラー快読の原稿だけ大急ぎで書き上げ、メール。それから母の室で夕食というか夜食(10時)。このあいだ母に雑談で話した四谷『桃太郎』の桃太郎鍋を母が想像で作った桃太郎風鍋。要するにわが家の定番の牛頬肉を使った鍋で、出汁で頬肉を煮込んでそのコンドロイチン分をたっぷり煮出した汁に、シメジ、レタスの葉、葛切、ニラを入れて食べるもの。わが家のは出汁にはちょっと塩を入れるくらいであまり味をつけず、ポン酢でいただく。