裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

31日

金曜日

芸術は百八つだ!

 岡本太郎、除夜の鐘をデザイン。朝、7時起床。7時45分朝食。大雪。ホワイトクリスマスならぬホワイト大晦日である。昨日一日ピーカンだったのは私の日頃の行いを天が嘉したもうたか? 朝刊の一面は紀宮様ご婚約、ではなく奈良の誘拐犯逮捕記事。これまでの猟奇事件の、いかにも異常者臭ただよう感じの人物ではなく、ごくごくつまらぬ中年男。オタクバッシングもこれならあまりおこらぬだろう、と安心。 しょせん世間は外見で決める。

 11時ころまでかかって、コミビア(テレビの方)の四コマ原案を作る。大晦日までこういう仕事、まあ仕事があることで文句言ってはいけないが、こういう状況下では、タイでの津波による日本人被害者のニュースなど見て、いたましい気持ちにはなることはなっても、頭の中の何パーセントかには、
「ふん、ぬくぬくと海外リゾートで観光などしている身分の連中が、自業自得だ」
 というような意識が混じるのである。

 出来た原作をこれまた不満顔のK子に渡し、それから仕事場。地下鉄で新宿まで行き、東急で弁当を買って。東急地下食料品売り場は大変な混雑であった。ああ、暮れだなあと少しジーンとする。コラム書き、のはずが、どうにも筆、進まず。あちこち に挨拶メールなどを書いてだすなどで暮れる。

 3時頃母が仕事場に来て掃除をしてくれるハズなのだが、雪で遅れているのかなかなか来ない。バスが来ずに地下鉄乗り継いで渋谷まで来て、駅から歩いて来たとかでずぶ濡れになって4時過ぎに来る。一緒に仕事場の大掃除。本を片付け、あいた床のスペースに掃除機をかけると、なんとか新年を迎えるにふさわしい様子になる。

 6時ころでひとまずカタをつけ、一緒にタクシーで新宿。東口のさくらやで大型冷蔵庫(うちはお客が多いので、材料保存しておくのに一台では足りず、もう一台、クリスマスプレゼント代わりに買う)と、私用のDVD/HDレコーダー買う。これで 『鈴木タイムラー』も見逃さない。

 帰ってもう一仕事、のつもりだったが体クタクタなので、元旦に回すことにする。ああ、帰省のない正月は逆にハレとケの区分がメタメタになる。まあ、私らしいが。 手巻寿司と年越し蕎麦、酒とホッピー。いい感じに酔う。

 年越しビデオのうちの一本、宝塚宙組・和央ようか主演『ファントム』。私の女優を見る目というのは案外確かで、まだ和央ようかが新人クラスだった当時、取材で初めて宝塚の舞台を生で観て、
「一番華を感じたのは和央ようか。この子はこれからブレイクするんじゃないか」
 と書いたら、それから間もなくぐんぐん伸びて、主役を演ずるようになった。いわゆるこれまでの露骨な宝塚顔じゃない、どっちかというとアニメぽい丸顔なのが、宝塚の中での彼女の個性、そして現代性になっている。くるんとした目と、閉じたときちょっと突き出したようになる唇。男役というよりは少年役。普通のすまし顔美人で はなく、動き、変化してこその魅力。

 ……要するに見る目があったわけじゃなくて、オマエの好みをそのまま言ったのがまぐれ当たりしただけじゃないかと言うご意見もおありだろうが、まさにその通り。いいじゃないか、好みを優先させたって。それはともかく、今や彼女の代表作となったこの『ファントム』、オペラの怪人を下敷きに、なぜファントムがクリスティーヌの声にあそこまで魅せられたか、を掘り下げて描いている。
(以下少しネタバレ)

 これが大いに不満で、ファントムのクリスティーヌへの愛を、その声が唯一自分を愛してくれた亡き母の声に似ているから、などとしてしまい、ファントムを卑小なマザコン男にしてしまって、劇のスケールをみずから狭めている。やはりファントムのモチベーションは“芸術の神”に対する愛であるべきで、演出家、プロデューサーという業種が、一人の天才を前にしたときの、ミューズに仕える身としての衝撃、この才能を世に出すことが自分に与えられた神の使命なのだ、という常識を越えた狂気じみた、しかし個人の愛情などよりはるかに大きく、強い衝動がそこに描かれてはじめて、そのテーマがファントム個人を超えた普遍性を持つと思うのである。だからファントムの行う殺人や誘拐に正当性(文学的正当性だが)が備わるわけで。演出の中村一徳は、和央ようかという希代の人材を前にして、そのような衝動を覚えなかったのだろうか? と不思議になるくらい、そっちの方面への言及の薄い演出だった。

 まあ、こういう不満は宝塚を観る際にはあまり意味がない。だったら何も舞台を観ないで、和央ようか一人を見ていりゃ、それでいいわけで。私は大いに満足した、それだけでも。なにせ、お気に入りの女優が、私のフェチ嗜好であるところの片目役で全編を通してくれるのだ(厳密には片目ではなく、顔面の1/3が隠れているだけだ が)。あに、モニターの前で悶絶せざるを得んや。

 ポスターやスチールもいろいろあるけれど、嬉しいのはこのビデオのパッケージが私のフェチ心直撃の、半面掌隠しポーズであること。そう、このポーズに宝塚のオーソドックスな馬面美女は似合わない。掌で隠した以外の部分が、きれいな三日月を描かないといけない。まさにその条件にぴったりなのが、和央ようかのあの丸顔子供アニメ顔ではないか。このポーズをとらせるために、神様は和央ようかという女優をこ の世にお遣わしになったに違いないとさえ思う。

 いいかげん酔って、曙の負けぶりや除夜の鐘も、流し目で見ただけで就寝。来し方行く末、いろいろ思うことはあれどあえて語らず。原稿、だいぶ来年回しにしてしまったものがあり、プロとしてここらはいかがなものかと大反省。ただ言えるのは、精神的にはあわただしくも凄まじく楽しい一年だったということ。こういう年齢でこういう感想の一年を過ごせるのは幸福なうちに入るだろう。この充実をくれた全ての人たちに感謝。来年も基本的に計画はナシ。目の前にある興味あることから、手当たり次第にやっていければそれでよし。あと、十五日に一日くらいは完全休業の日を作らねば。気の盛り上がりと体力低下とのアンバランスがこのまま続けば、本気で死ぬかも。

 とまれ、私のことを好きな人の上にも嫌いな人の上にも、明日はよい初日が照りますように。今年は日記アップが遅れたので時期がずれたが、恒例なので、“読んでますメール”も例年通り受け付けます。この一年の日記タイトルでもっとも気に入った ものを付記して CXP02120@nifty.ne.jpまでお送りください。一名さまに記念品を贈呈いたします。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa