裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

月曜日

六一〇ハップ・トゥルーパーズ

 温泉につかった気分で昆虫軍を撃破! ちなみに六一〇はムトーと読みます。朝6時15分起床。入浴、朝食コーンスープにミカン。昨日のNHK謝罪特番が新聞の一面、ニュースショーでも取り上げられている。鎮火のつもりが油をそそぐ結果になったという好例。昨日の日記で海老沢勝二は自分の顔がテレビ画面上でどんな印象を与えるか知らない、と書いたが、ああいう内容のない陳謝の繰り返しが、“説明と責任自覚”を求めている視聴者をかえってイラだたせる効果しかない、ということも把握できていないことを露呈した。巨大マスコミ関係者の長として、自己の持つメディアの用法についても無能であることを喧伝してしまったということだろう。同情もできない。

 とはいえ、この番組の姿勢を叩く他のマスコミがどんどん、国民の怒りを誘発させるアジテーションの方向に向かっていくことには危惧の念を覚える。ネットのサイトいくつか回るが、20代の若者が怒っているのはともかく、40近くなって、マジに怒ってもう受信料支払わないとNHKにFAXした、と(たぶん自慢して)書いているところもあって、タメイキをつく。若者が怒らなくなったと識者は騒ぐが、いい年をして政府とか公人とかに対し床屋清談なみの正義感で怒りまくる中年が増えたというのも、現代の大人の未成熟性の表れ以外の何物でもない。

『ネットワーク』という映画が昔あって、フェイ・ダナウェイが騎乗位セックスシーンを披露して有名になったが、そんなキワモノではなく社会派シドニー・ルメットの問題作で、ピーター・フィンチ演ずるテレビのベテランニュースキャスターが、番組を降板させられるうっぷんを最後の放送で爆発させて、視聴者の前で激怒したところそれが偶然大ウケし、テレビ局も彼のキャラクターに目をつけて新たに番組を作り、カリスマキャスターが誕生する、という話だった。大衆は彼の怒りに同調して政府や大企業など、ありとあらゆるものを罵倒する快感に酔い、大人気番組となる。もちろん、それで視聴率を稼ぐネットワークの掌の上の踊りに過ぎないのだが、自らが人形であると気づいていないフィンチは、あらゆるものに怒り続けるうち、自分でも怒りの方向をコントロールできなくなり、ついには禁断のネットワーク批判まではじめてしまい、結局、命を奪われる(そのシーンの生放送で最高視聴率を稼ぐ……)というコワい話であった。怒りという感情は、一瞬のアドレナリンを放出し、快感を得られるものではあるが、やがてその快感に中毒しはじめると、自分ではその噴出を制御出 来なくなる、やっかいなものなのだ。

 不快感に端を発する闇雲な怒りというのは、自分と、その自分をとりまく世界との乖離に対し異を唱える、きわめて原始的、語をかえれば幼児的な感情である。生まれたての赤ん坊が不快感を表明して泣きわめくのは、母親の胎内という、すべてが自分と一体化した世界から、外界へと追い出されたことに対する不満の表明だ。それ以降もしばらくは赤ん坊は、自分の欲求が満足されないことに対し、わめき叫んで不満を表明する暴君として家庭に君臨するが、やがて成長していくにつれ、いかに子供といえども、世の中というものが自分だけのために用意されたものではないことに気がついてくる。快感を得るためにには、媚びるなり、言いつけに従うなり、努力して自分の価値を認識させるなりという、なんらかの“努力”が必要になることを学ぶ。そうしてさらに成長したところで、子供は、自分と世界(他者)が、どんなに努力したところで決して一体化するものでなく、両者の間には凄まじい溝が横たわっているという“現実”を理解するのである。

“僕をわかって欲しい”“理解して欲しい、受け入れて欲しい”という叫びは、人間の心の底からの叫びであると共に、最終的に決して叶えられない自分勝手な望みでもある。世の中のことをたいていわかっている、とうぬぼれている者でも、ややもすると簡単にこの陥穽にはまりこんで愕然とする(私もついこないだ、それを体験したばかりだ)。オトナになるということは、世界と自分の間の、どうしたところで埋められない距離を認識し、その上で世界と関わり合っていく方法を探っていくということである。これまでの人間はたいてい、二十代半ばくらいで、いわば天動説から地動説への転向を完了して、いくつかの未熟部分を抱えながらも、まず一般にはオトナとし て通用する社会人となっていた。

 どうも最近は、いい歳になってまだ、この世界と自分の一体感に固執し、自分に快を与えない世界は間違った世界だ、と糾弾することに執念するオトナが増えてきた気がする。怒るばかりでなく、やたら涙もろくなって、テレビのニュースやドラマに大泣きするような人も、要するに感情の共有によって世界(テレビ画面の中の世界に過ぎないのだが)との一体感を無理矢理に成立させようとしているわけで、同じ穴のムジナである(これは自分も歳でそのケが出てきたことへの戒めでもある)。情報のグローバル化によって、世界中で起こっていることがダイレクトに自分とつながっているという感覚を得られることが自我を肥大させ、あたかも個人の感情がパラレルに世界を動かす要素となるかのような錯覚を抱かせる。そして、その認識が裏切られたと知ったときに、自ら世界とのコミュニケーションを断って引きこもりとなるのである(実質的なコミュニケーションは断っても、妄想上の自世界を構築できるネットには固執したりする)。この、距離の認識をきちんと出来ていない人々ほど、感情をあらわにすることにためらいがないように思う。怒る前にはまず、10数えてから、と古 人が言ったのは故のないことではない。

 ……だがしかし。というようなことを踏まえてさらに言えば、本当の意味での怒りしか、世界を動かしはしないとも思う。人間はじっと耐え、感情を抑えた上で、本当に怒るべきときには怒るべきなのだ。だが、その怒りが有効なものであるためには、方向性と、そしてパワーが必要だ。怒りに世界を動かすパワーを持たせるには、そのエネルギーを蓄え、増幅させる期間が必要である。耐えに耐えてこそ、大魔神の変身も、高倉健の殴り込みも、力道山の空手チョップも、いざ爆発させた怒りに、人を納得させる力を付与しうる。安直な怒りはその蓄積のエネルギーを中途半端に発散させてしまうだけの効果しかない。あの『NHKに言いたい』で、鳥越俊太郎が海老沢会 長に向かい、
「この番組での謝罪が(NHKの自浄力の)ガス抜きになってしまう」
 と発言していた。その“ガス抜き”という言葉は番組ばかりではなく、その番組に怒った反応を示す視聴者たちにも向けられるべきなのではなかっただろうか。こんな番組に対しいくら怒っても、世界と人々の距離感は解消されないのである。

 バス通勤、仕事関連で連絡多々。昼は八番ラーメン、今日は醤油味。食べて1時、ルノワール会議室。藤津亮太氏、米沢嘉博氏とブレインナビで出す鉄人28号本の巻頭対談。米沢氏、冬コミ準備で体力が低下したのだろう、結膜炎になったと眼帯かけ て病院から直行、少し遅刻。

 司会は河出書房のSくん。さて、鉄人へのそれぞれの思いを語り出すが、『少年』の連載から入った米沢さん、アニメから入った私、サンデーコミックスから入った藤津さんと、見事に世代が別れ、こういう座談会にありがちなナアナアが排除されて、いい緊張感が漂った座談になった、と思う。とはいえ、手塚と違い横山光輝を語って“きれいにまとめる”のは極めて難しい。ひとつの要素に収斂しないのである。雑談も。藤津さんとはオタク大賞の話、米沢さんとは冬コミの話。米沢さんの話はやや深刻。すでにビックサイトですら参加人数をまかないきれず、パンク状態という冬コミはいったいこの後、どこへ行くのか? 

 終わって仕事場にもどりまた雑用。4時半家を出て水道橋。5時45分の待ち合わせだが、ちょっと早めに行って白山通りの古書店を冷やかそうという算段。で、三十分ほど回るが、久しぶりに普通の古書店(専門店、大型店でない)の棚をのぞいて、あっという間に一万円がところ本を買ってしまい、このままでは大荷物になる、とそこらであきらめ、水道橋駅に戻る。ちょうどI矢くん、高橋のび太くん来たところ。今日はと学会有志+で神田『松翁』で忘年会兼次回と学会二次会場等の打ち合わせ。

 S山さん、K子も来て、連絡取ったらIPPANさんはすでに店に行っているとのこと。あわてて迷いながら『松翁』へ。二階に上がると、すでに宴会の用意が出来ていた。事務所みたいなところを取り片付けました、という感じの二階の部屋での宴会はあまりゾッとしないが、料理はさすがにどれも結構、特にメインの鴨鍋がボリューム、味ともに大満足なもの。コースの値段、けして安くはないのだが、まあ次から次から出てくるわ出てくるわ、鍋を食っている最中にさらに生牡蠣まで出てきたのには驚いた。これくらい食えばモトはとったという感じである。酒はこの店お勧めの“黒 帯”というやつと浦霞。

 話題は前回の例会の二次会の反省から。とにかく最近のと学会は参加者が増え、それをまかなう二次会場を押さえるのが大変になった。まあ、米沢さんのコミケ会場問題に比べるとスケールは1000分の1だが、本質は同じ。その他、スポンサーをつけての興業の話などもするが、まあ後はそのときに考えよう、という安直な結論に達し、その後は酒に流れていく。najaさん、H川さんも遅れて参加、K子がモーヲタのH川さんをいろいろいじる。最後の蕎麦のあと、スポンジケーキまで出て(これだけ畳敷きの座敷の方で食べてくださいと言われる。よくわからず)、腹がハチ切れそうになった。次の店も予約していたがみんなお腹がいっぱいで、キャンセル。早い(8時半)が解散。中央線で新宿まで行き、そこからタクシー。帰ってネットものぞかずに朝までぐっすり。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa