裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

日曜日

デンパ大悲劇

「千年も、万年も生きたいわ」というのは確かにちとデンパかも。朝食は能登のこうでんさんから快気祝いに送られた五郎島金時。さすがに美味。新宿まで地下鉄、買い 物してからタクシーで仕事場。

 メール等処理。昨日の夜、
「問題あったらFAXしておきます」
 と言われたFRIDAY原稿、別に来ていなかったので問題ナシだったのだろう。今日はそれのみ確認することが仕事で、後は快楽亭の韓国公演旅行帰国祝い落語会に行く予定なのだが、場所があやふやだったのでQPハニーさんに確認。昼はご飯をレンジで温め、納豆と温泉卵で。食べながら圓生の『栗橋宿』をひさしぶりに聞く。

 11時半、家を出て銀座線。電車内でイチャつくカップルは目障りなものだが、今日のカップルはアメリカ人(多分)で、このイチャつきは日本人とは比べ者にならないくらい自然で、鼻へのキスなどほほえましい。やはり、サル真似と本寸法は違うな あ、と感心。

 読書をしようと本を広げるが、つい首がガクンと落ちる。最近、電車に乗るとウトウトと眠ってしまう。体力低下の証である。今日は昼の会だが、終わったら直帰して休もうと決意。三越前駅日本橋亭、すでに列が出来ている。楽屋に挨拶に行って、もう一度外に出て並ぶ。『日韓飛切落語会』という、マニアにしかわからぬタイトル。

 最初に快楽亭が上がってこの会の趣旨を説明、こっちを朝鮮の観客に見立てて“落 語とは”という基本解説をブラ汁が読み上げる。落語の起源など、
「初めて知りました、勉強になりますね」
 と。あと、扇子を使ったソロバンの仕草など、照れながらやっていた。

 それから快楽亭が上がって、旅行珍談、苦心談。国の仕事で行った快楽亭には取材ナシだったのに、同時期に勝手に行った獅篭には朝日新聞の取材がついていた。
「朝日は偏向しております」
 そして“韓国でやったそのまま”で落語と小話。弟子がカップヌードルを作ってくるのがギャグの『タイム・ヌードル』は辛ラーメンでやっていた。前半最後は山田洋 二作『まむし』。いいのだが前半ぶっ続けはちょっとキツい。

 母がそこらから来て、一緒に見る。後半はまじめに(もっとも、向こうで聞いたというかなりディープな皇室ネタがまくらにあった)『文違い』長講一席。前半は会場内が暑かったこともあって眠くてまいったが、後半はシャッキリできたのは噺の緊張度のせいだろう。この話はいろんな演者がやるが、もっともリアルだったのはやはり圓生である。さすがにこういう経験を実際つんでいる(であろう)人だけあって、だましあいが生々しくてあまり好きな噺ではなかったが、快楽亭のも圓生バージョンをベースにしているとはいえ、男女のかけひきが狐と狸のコン・ゲーム的な軽さで演じ られているので面白く聞ける。

 最後に韓国みやげ(例のヨン様靴下)をみんなに配る。私は力道山の伝記映画のパンフレットを貰った。終わって母を快楽亭のおかみさんに引き合わせ、今日は母と一緒なので、と打ち上げを辞退し、親子連れだって千疋屋のフルーツ・パーラーで少し 話す。

 そこから地下鉄乗り継いで帰宅、ベッドに潜り込むが、こうなると寝られず。仕方なく日記などつける。8時、K子と母の部屋の台所に行き、夕食。マグロの手巻き寿司とチーズオムレツという組み合わせで酒。NHK特番で『のど自慢』の裏を追ったドキュメント番組。地方の若者やお年寄り、さらには海外の人々にまでいかにこの番 組が愛され、生きる希望を与えているかという絶賛調。これを見るとみんな、
「ああ、NHKは愛されているんだな」
 と思うことだろうが、実はその後に、NHKの最近の一連の不祥事の自己検証番組『NHKに言いたい』があるんである。この番組、それのための緩衝剤なのではない か?

 で、『NHKに言いたい』。いろいろ謝っていて、深刻なことも言っており、これが普通の状況だったら、仮にも国営放送局がこれだけ頭を下げているのだから……と思うかも知れないが、それをたったひとつのものが台無しにしているのは、海老沢会長の、あの悪相である。よくもああいう表情が出来るものだ、と思えるほどに、この人の顔(特に目つき)は反省とか、殊勝さとか、陳謝とかに似合わない。見ているだけで、
「この人はこっちを馬鹿にして見下している」
 と思える顔である。馬鹿にされるということを一番嫌う今のわれわれ疑似インテリ大衆にとり、最悪の顔としゃべり方である。映像に携わる人間として、自分がテレビ画面に出たときの効果ということを正確に把握していないというのが、一番の問題なのではないか。案の定送られてきたFAXやメール類は彼の態度に腹を立てたものがやたら多かった。

 まあ、海老沢がヨクナイということは議論の余地もないとして、しかし、この番組に対し、本気で怒ってメールしたりFAXしたりという人たちの怒りにも、あまり同調はできない。正当性を背中に負った攻撃というのはついつい、度を越したものになりがちだし、その正義感の根底にあるものを分析すると、単に
「人を馬鹿にしている、不愉快だ」
 という個人的な感情のはけ口だったりする。こういう人々は、単に叩く相手が欲しいだけで、往々にして、その相手は(正義を背負って誰からも何も言われず叩けるパブリック・エネミーであれば)誰でもいいのである。ブッシュ叩きに騒いでいた連中のヒステリックに辟易していた、あの選挙当時のことを思い出してしまう。食事終えて、自分の部屋でその続きを見、途中で飽きてホラーのDVD類など見散らかしつつ また酒。やっとアルコールが回って寝につける。

(過去の日記もボチボチと更新しているのでご確認を)

Copyright 2006 Shunichi Karasawa