裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

11日

水曜日

なにかいいことアルジャジーラ

 インターネット検索大手のライコスは4月2日、前週1週間の検索件数で、カタールの衛星テレビ局“アルジャジーラ”が1位になり、2位“セックス”の約3倍を記録したと発表した(AP通信)とか。2位が笑わせる。朝、7時半起床。朝食、ライ麦パンとソーセージ、キャベツカレー味炒め。空はどんよりと曇って、変になま暖かい。こういうのを春曇というのか、と思う。“出づれば街は春曇りせり”という若山牧水の句があったが、前の句は何だったか、と思い調べてみたら、“貧しさに怒れる妻を見るに堪へかね”だった。苦笑す。

 午前中、ネットが不調。立ち上げたときに自分のサイトにつながらず、なんとか別のサイトからたどっていけば見られるのだが、行けるサイトと行けないサイトがあって、ことにニフティにはまるでつなげない。メールが見られない、送れない、では、私の商売はあがったりなのである。イラついていろいろやってみるがダメ。平塚くんに電話したら、いま出ているというので、戻ったら電話くれるよう頼んでおく。一応なんとか自サイトにはつなげられるようになったので、そこから日記をアップして、さて、と試しにまたつないでみると、今度はアッケなくニフティにも、他のサイトにもつながるようになる。アレ? と思ったところに平塚くんから電話、いや、たった今なおったところです、と、しまらない話になる。まあ、ともあれよかった。とはいえ、そろそろこのパソコンもメンテが必要な時期である。

 メール、いろいろ。ベギちゃんからは“ヨカチンチン”について。ヨカチンチンの歌詞はともかく、先代文楽のよかちょろの歌詞はどうだったか、と、CDを聞いて確認。“女ながらも、まさかの時は、ハッハよかちょろ、主に代わりて玉だすき、よかちょろスーイのスーイの、してみてしっちょる、味ょ見てよかちょろ、しげちょろ、パッパ……”文楽はサゲを無理につけず、これを歌う息子に怒る父とかばう母の会話をサラリとやって、“若旦那ご勘当になります”で終えている。私も若旦那だった頃は、落語全集とかでこんなものばっかり覚えて喜んでいたものだが、よくご勘当にあいならなかったものである。

 昼までに廣済堂一本。昼飯はご飯一杯、ハチメ干物・冷凍しておいたもの一切れ、紀州梅干、アブラゲと菜の花の味噌汁。それから新宿に出て、JRで池袋まで。またサンシャインシティに歩き、文化会館の骨董市。この文化会館には何度も行っているのだが、またちょっと迷う。中野ブロードウェイほど魔窟化はしていないが、古びればその資格十分だな。インポートマートなど、こないだ行ってみたが、いまだ人がほとんどいない状態だし。

 骨董市も、だだっぴろい会場に、出店しているのはほんの二十店ばかしという、やや寂しいもの。それでも、面白いものはいくつかあった。大衆演劇で小平事件を舞台にかけていたもののポスターがある。聞いてみたら4万円。高いのか安いのか。ううん、と迷ったが買わず。他の店で、いろいろ話しかけてくる店主さんがいて、ちょっと雑談。そこは珍品がいろいろ置いてあった。ブリキ製の小じゃれた箱の上にレンズがついており、箱の中に懐中時計を仕掛けて、コードの先のスイッチを押すと、時計の文字盤が、幻灯の原理で天井に映し出される装置、なんてものもあった。“こりゃいったい、何のためにこんなことをするんです?”“さあ……たぶん、夜中に時間を知りたいとき、これで天井に映せば、暗い中でも、それから布団の中にもぐったままでも、時間がわかる、ってことなんじゃないんですかね”“しかし、ならただ単にこの幻灯機の灯りで懐中時計を見ればいいだけの話でしょう”“まあ、そこをわざわざこんな装置を使うところが、好きな人にはたまらんのでしょうね”と。珍品だけにお値段もよく、10万円。SFマガジンのネタにしたらさぞ面白かろうと思ったが、いかになんでもこれに10万は酔狂が過ぎると女房に責められるだろう。カメラオタク経済学者のリチャード・クーがカメラ市に来るたびに、奥さんが監視にピッタリと脇に寄り添い、クー氏が物欲しげな目を展示品に向けるたびに、“マア、なに、この値段! これ、買う気!?”とスゴんで諦めさせるというが、その気持ち(奥さんの)もわからないではない。マニアにその本能のおもむくまま好きに買い物をさせていたら、アッという間に身代限りである。これは一種の破滅願望なのか?
「オタクさに怒れる妻を見るに堪へかね 出づれば街は春曇せり」

 結局、かなりの間ぶらつき、原稿のネタになるようなバカオモチャ数点と、『おもしろブック』昭和32年8月号ふろく『続ラドン』(彩田あきら)を、かなり値切った末に買う。帰りの車中で『続ラドン』を読む。彩田あきらは昭和30年代に貸本少女マンガを描いていた人で、こういう怪獣ものまでやっていたとは。なかなか頑張ってはいるが、描きこむページ数がなかったか、力量がなかったか、主人公の家の女中がメガヌロン(らしき怪虫)に襲われるシーンや、その怪虫がラドンに食われるシーン、さらに自衛隊の設置した磁力地雷(どんなものか不明)の信管コードをラドンがちぎってしまうシーンなどが、全て登場人物のセリフだけで説明されており、その拍子抜けが今読むとかえって面白い。

 帰宅、メール数通。川上史津子さん世界文化社Dさん、廣済堂Iくん等々。講談社Yくんからは電話。来週、釣り堀取材。それにしても、今日の骨董市、カメラ忘れて行ったのが痛かった。二見書房のFくんからは日記について言及。うれしい批評。まあ、この日記全てが私のホンネというわけではないし、正論とも思っていない。人間正論しか吐いちゃいけないわけもないし、時には僻論でしか表現できないこともあるだろう。世間で大勢になりそうな意見にはとりあえず反対のことを言っておく、というくらいの裏モノ的こころもちのメモである。時には不道徳的な言を吐き、時には妙に四角四面なことも言う。ダブルスタンダードが平気で出来るくらいにならないとモノカキとして一人前にはなれない。もっとも、最近は“日記ゆえの”前提省略的な記述をそのままダイレクトにとって、読んで憤慨したりするような単純な読者もいるようだ。これには苦笑するしかないし、少しは敷居を高くしとかないと書いて面白くないから、このスタイルを崩すつもりは当分ない。

 8時、家を出て、渋谷駅前、マークシティ内『銀座ライオン』。オタキング番頭・柳瀬直裕くん退社祝いの会。K子ももう来ていた。奥の正面に座った柳瀬くんの回りには、きれいどころがズラリ。岡田さん曰く“今日のために、ずっと昔に担当切れている編集者とか、いろいろ集めたんですよ”と。柳瀬くん自作という、オタキング十年の歩みという印刷物が配られる。大塚英志電話事件とか、伊藤くん裁判とか、いろ いろあった。どれもみな懐かしい。

 オタキング勤務初期の頃の柳瀬くんはかなりの急進派で、オタク的価値観を世間に広めようと、あらゆるメディアに貪欲に首を突っ込み、ある種、自分のベンチャー・ビジネス嗜好にオタクを利用しよう、としている風さえ見えた。当時の私に、それがちょっとシャラ臭くみえたのは事実である。一度、彼が妙にオタアミ会議室で感情的な発言をしたとき、私が少しキツくたしなめたことがあったが(岡田斗司夫と唐沢俊一がパソコン通信で大ゲンカ、と、こういうネット情報に極めて疎い『噂の真相』に書かれた)、あの時、柳瀬くんはすぐ、わが家に飛んできた。額にびっしり汗をかいて釈明したのは、自分の、オタクに対する思い入れが世間とかなり温度差があることをある件で感じ、少しデスペレイトになったもので、ということだった。何て答えたのか忘れたが、
「そんな思いをオレも岡田さんももう、三十年もし続けているんだよ」
 というセリフは覚えている。世の中という大きな器を急激に変化させようとしても無理なので、自分の好きなことを、周囲の目を気にせず、自分の価値観に忠実に仕事していけば、自ずと世間の方で、自分の席を空けてくれるようになるものだ。伊藤くんもそうだったし、東浩紀さんもそうだが、頭のいい若い人はとかく性急に世の中を変えようとして、人が言うことを聞いてくれないことにイラだちを感じて暴走しがちになる。も少しのんびりとやっているうちにモノゴトの本質は見えてくるよ、くらい な説教をしたんだったと思う。

 それがきっかけではなかったろうが、柳瀬くんはそれから、社会の前線からは一歩引いた位地で、かなり自己を殺した形で、岡田斗司夫の“有能な秘書”を務めるようになった。自分の財産になるのは、ここでの成功より、岡田斗司夫的視点に自らを重ね合わせるその技術だと気づいたのかも知れない(それが成功したのかどうかは知らない。少なくとも体格はかなり重ね合わさった)。向後、彼の独特のビジネスセンスが、オタキングで学んだやり方により大輪に開花することを心から期待する。

 柳瀬くんには、“とりあえず、まだ彼女がいないようだから”と、オッパイ湯たんぽをプレゼント。今回の会の仕切りはOTCだが、店の人が“えー、幹事の方”と訊いてきたとき、習い性で、柳瀬くんが“あ、ハイ!”と立ち上がりかけたのには満場爆笑。K子とあやさん、“まあ、岡田さんもよく飼い慣らしたものねえ”と。まず、 この番頭根性をゆっくり塩抜きするこってあるな。

 で、幹事のIくんに文句を言うが、このマークシティの銀座ライオン、食い物がひどい。タダで呼んでもらって文句タレるのもなんだが、白身魚のソースがけが出てきたときには、食って、開田さんと声を揃えて“うわ、味がない”と驚いた。“これ、何の魚かなあ”“深海魚っぽいね。タラかな?”“メルルーサじゃない?”とか話していたが、訊いたらアイナメであるというので再び驚いた。これが、あの、鬼平が好物だという魚か。K子の顔が、あのSF大会のときと同じような表情になってきたので、一時間ほどすでにたっていたし、部屋も込み合いはじめてきたので辞去。以前、オタキングにいた松原2号くんと、デザイン事務所リグラフィックスの人とが、出口まで追いかけてきて、挨拶してくれた。リグラフィックスの人は、ときどきトークライブなどの客席で見かける顔。高校の頃からの私のファンだそうな。恐縮。K子、開田夫妻と、細雪で腸詰、水ギョウザ、レバ唐揚げ、ニラ炒め等で口直し。開田夫妻とは三日連続で会っている。雑談、多岐に亘って。紹興酒、ほとんど一人で飲んで少々酔っぱらって11時半、帰宅。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa