9日
月曜日
整腸の家
信仰により便秘を治し、自然なお通じを。朝、7時20分起床。昨日とはうって変わった好天気。朝食、豆サラダ。と、言っても内容はニンジン角切り、ミニアスパラ寸切り、モヤシ、トウモロコシにシシトウ、グリンピースと、もはや豆以外のものの方が多い。K子にはキャベツとナスの炒め物カレー味。牛乳切らしていた。果物はブラッドオレンジ。服薬・入浴等如例。リンスを柑橘系のものに変えたら、猫が風呂場 に入ってこようとしなくなった。
新聞に山内雅人氏死去の報。声優の草分けというか、小学二年生の頃観た、劇場版『サイボーグ009』のブラックゴースト役で記憶したのだから、私が名前を覚えた最も早期の声優の一人である。アニメでは『新造人間キャシャーン』の東博士、『未来少年コナン』のラオ博士が代表作か。読売新聞は“海外ドラマ『ドクター・キルデア』のリチャード・チェンバレンの声を吹きかえた他、テレビアニメ『未来少年コナン』のラオ博士の声などを担当した”という程度の記述だったが、産経は“外国映画やテレビドラマの吹き替えのほか、アニメ『未来少年コナン』のおじいとラオ博士の2役などで親しまれた”と、ちょっとオタク風な記述。ネットで調べると毎日及び朝日も“おじいとラオ博士”となっているが、この二役はネットなどで検索すればすぐわかること。二つのうち、主要キャストであるラオ博士のみを記す読売の記者の方が“きちんと見ている”ということなのかも知れない。74才。
ちなみに、産経には他に松本善之助氏の訃報も。他の新聞は報じず。産経の記事も単に“ホツマ研究家”とあるのみで、ホツマとは何なのか、松本氏がどういう人なのか、の説明がないから、一般読者には何でこの人の訃報が載っているのか、わからないかも。言うまでもなくホツマは“ホツマツタヱ(松本氏表記ではホツマツタヘ)”のことで、いわゆる神代文字により書かれた歴史書で、記紀の原典と言われているものである。この文書の写本を昭和41年にこの松本氏が神田の古書店で偶然発見したことから世に知られることになったという、いわくつきの古文書であって、これが本当であるならば、漢字伝来以前に日本には独自の文字があり、その文字で歴史がちゃんと記録されていた、ということになる。当然のことながら偽書として学会からは無視されたが、今なお少なからぬ信奉者がいるのは、日本が古代から大陸の影響とは無関係に文化を独立させていた、という考え方が、ナショナリストたちにとって快いものだからであろう。産経新聞にのみ、その訃報が載ったのも故なしとしない。ネットでは確認できなかったが、著書『秘められた日本古代史ホツマツタヘ』を出した毎日には載ったのか? なお、氏はホツマ研究家になる前は『現代用語の基礎知識』で有名な自由国民社の編集者であり、翻訳事業に深く携わっていた(氏の著者が日本翻訳センターから英語に翻訳されているのはそのつながり)そうで、“コピーライター”なる言葉を日本で初めて使用したのも、編集者時代の氏であったとか。83才。
イラク戦争、いよいよ大詰め。報道陣が詰めているパレスチナホテルが砲撃を受けたというニュース、死傷者が出たことはいたましいし、メディア関係の友人も多い私にとっては他人事ではない、と一応遺憾の意を表した上でのことであるが、近頃痛快なる出来事かな、と手を打った。今回の戦争におけるジャーナリズム、たぶん無意識であろうがそれ故にタチの悪い、“報道は神の目”といった視線が、日を追うにつれ鼻についてきたところである。テレ朝で例により鳥越俊太郎が大いに怒っていたが、アメリカ軍にしてみれば命のやりとりをしている最中に、絶対安全な場所に籠もって自分たちに批判的な報道をしている連中を見れば、戦争もそろそろ終盤だし、やつらの肝を冷やしてやるために一発、ミサイルでもぶちこんでやれ、と思っても、人情としちゃ当然のような気がする。メディアが発達しすぎたが故に、われわれも、世界のどんなところでの出来事でも、報道されてアタリマエ、当然のように受け止めがちだが、仮にも一国の存亡をかけた戦争の現場でそう簡単に取材が出来てたまるものか。比較するのもナンであるが、数年前、コミケに取材を申し込んで、てんてこまいの事務局からそっけない応対をされて、それがケシカラン、と大悪口を『クイック・ジャパン』に書いた奴らがいた。スケールは月とスッポンほど違うが、基本にあるのは、“報道・取材は当然にして絶対の権利”という、報道する側が勝手に言い出した、よく考えれば妄想でしかない思想なのである。“戦争を起こす奴らは頭がおかしい”とさんざマスコミは言ってきた。頭がおかしい者に殺されても、被害者は文句を言ってはいけない、と言ってきたのもまたマスコミである。この尻を全マスコミお墨付きの狂人、ブッシュに持っていくような恥ずかしい真似はしないだろうな。
午前中、廣済堂原稿一本、書き下ろしでメール。電話、快楽亭から、今度の『落語秘密クラブ』なる会へのお誘い。さて、昼飯は、と思った途端、突如エビフライが食いたくなり、キッチンハチローでエビフライライス。こないだ、“つかなくなった”と書いた、皿脇のスパゲティナポリタン、今日はちゃんとついていた。まあ、洋食にはこれがないとやはり寂しい。脇で、場所柄NHK職員らしい人たち(平均年齢50代半ばくらい)が四人で食後の雑談。
「サダムちゃん(こう言ってた)はどうなるんだろうねえ」
「実はアメリカに潜入してて、ニューヨークで会見、なんてのが一番カッコいいんだが、そうもいかんだろうなあ」
「しかし、可哀想なのはあのサハフ情報相だねえ」
「“アメリカ兵は一人もバグダッドに入っていない”って、役目がらとはいえああいうこと言わされるてのはなあ」
「いや、あれは言っているうちに、自分でも信じちゃうんだよ。そうでなきゃ言えないよ、あそこまで」
「アンタ(と、一人に)なんか、政見放送ずっと担当してたんだろ? ああいう連中ばかり相手にしてたんじゃないの?」
「……(苦笑)まあ、考えてみれば、大して変わらんなあ」
そこから池袋に出る。ずいぶんと遠出だが、ちと、面白いものが見られるかという予感あって足を延ばした。サンシャイン方面まで歩いて汗をかいたが、結局、結果としては汗をかいただけ。空しく渋谷まで帰宅。連絡数件。滞っていた企画が二件ほど つついたら動き出した。これも春のおかげであるか。
今日のトンデモ落語会で配ると学会東京大会のチラシをコピー。5時45分、タクシーで新宿南口、そこから中央線で中野。開場前になんとか間に合う。ウツギさんにチラシを渡して、他のものに折り込んでもらう。それから談之助師匠に前売り券を託す。知り合い、開田夫妻、白山さん、QPハニー氏、植木不等式氏、藤倉珊氏、久しぶりの睦月さんに川上志津子さん。島敏光氏も来ていて、握手を求めてきて、わざわざこないだの原稿(Web現代で舞台をレポートした)のお礼を述べられた。さすが黒澤明の甥、礼儀に厚い。あとメールで招待した筑摩書房のMさん、Nさんのお二人も。なんと女性編集者のNさんは川上志津子さんの知り合いだった。世間はせまい。先日、ロフトで東京大会の予約をしてくれて、お金を払い忘れたというファンのH氏からも代金を受け取る。
ちくま文庫の二人を招いたのは、トンデモ落語会の本を落語本の本山とも言うべき筑摩から出すという陰謀のためだが、さて、今日のネタでどうでるか。ちと不安なきにしも非ずだったのだが、その不安見事的中。戦争でハイになっているせいか、みんなネタがヤバいことヤバいこと。冒頭のブラッCはいきなり、“落語界のR・A・ラファティ、快楽亭ブラッCです”とカマす、いや、これは別にヤバくないが、誰がそんなことわかる。あとはオノマトペ落語だが、川柳川柳が“はじめてコイツ見たときにね、てっきり精薄児だと思った”というキャラクターがさらに白熱化している。続いて出た白鳥はイラク戦争ネタ、これはまあ無難。次が志加吾、当然まだ英語表記だが、助六の白塗りで出て、マンガネタ『似合わねぇ似合わねぇ』。染五郎ばりに太股をチラリとみせて、こないだの自分の会ではファンの女の子たちが嬌声をあげたらしいが、ネタはワンパターンで、最初の一つ、二つはウケたが後はここの会ではすべり 気味。もうふたヒネリくらいは必要だろう。後で快楽亭が
「ここの会であのネタは、“似合わねぇ似合わねぇ”」
とやって拍手貰っていた。
前半最後が談之助、もう戦争とかがあれば独壇場。とはいえ、やはり前半はアブなネタ満載で、頭を抱える。“朝青龍がモンゴルに創価学会を広めたいと言っているのはナニを考えているのか。蒙古と日蓮は大敵ではないか!”というのなど、最高に傑作なツッコミなのだが。それにしても2ちゃんネタからゴルゴ13ネタまで、くり出す知識においついていける客がどれだけいるか、というようなものに、ちゃんと笑いが返るのがここの会のなんだかわからないところ。『イラク戦争をやめさせる方法』という、まさに賞味期限ギリギリというネタが本ネタで、人間の盾があるなら人間の矛、というのを出せ、というのには虚をつかれた感じで爆笑した。
中入り、筑摩書房の二人はロビーに出て来ず、“呆れているんじゃないか”と、気を揉んだ。傍見頼道さんも来る。トンデモ本大賞の前売りは9枚、スズキくんの唐沢俊一フィギュアは3個、はけた。まだチョボチョボ。後半、快楽亭はこれまた本には出来ない『北朝鮮のよかちょろ』。一升瓶を本当に腰にはさんで“ヨーカチンチン、ヨカチンチン”とやる。笑っていいものか頭を抱えていいものか。トリの談生に至っては言語道断、客に右翼がいないで(睦月さんはいたが)本当によかったですね、という類のもの。ギャグでなく、高座に座っている者の狂気を味わう、というか、そんなネタ。それにしても最近独演会にはちょっと行ってないのだが、手の動き、顎などなでる仕草、“うぅー”というような発声、どんどん談志をコピーした高座になっている。変なところのコピーだが。
終わって、やっとロビーに出てきた筑摩の二人に、“今日は申し訳ありませんでした!”と平身低頭。ところが意外や、Nさん“いえ、オモシロカッタですよ!”と。うーむ、どういうヒトか。外は雨。世界文化社のDさんも来ていた。足をひきずっている。ひねって捻挫したところが腫れて、もう一週間もビッコひきっぱなしだとか。“なんでまたひねったんですか”“カラサワさんの原稿貰えないストレスから……”などと言われて恐縮。お酒飲めないそうなのでそこで別れる。K子そこで到着、えん屋二階で打ち上げ、談之助まじえて、出版の形をどうするか、ということを筑摩と打ち合わせ。私の方で前書きを書き、ワクをはめる作業(いま、なぜこのような新作が必要なのかという理由づけ)が必要であろう、とMくんも言う。これは確かに、一般客への橋渡しがないと無理だろうなと思う。企画書代わりにその解説を書いて出すことにする。K子はなにやら志加吾とまるちゃんに、説教みたいなことをしている。
Nさん(浪曲の三味線もやっているという多才な人)はさすが落語担当らしく、今日の快楽亭の元ネタが『よかちょろ』だったということで大喜びしていた。少しホッとする。いつもは無責任に大笑いしている会だが、一般人にこれを伝えるというのがいかに神経を使うことか、あらためて理解できた。“それにしても、お客が濃い会ですねえ!”と感心しえT(呆れて、とも言う)いたが。11時に出るが、高座で、
「なぜか楽屋で志加吾くんが目を会わせてくんない」
と、悪趣味な内輪ギャグをふっていた談生が、志加吾となにやら密談。そういうのを見かけると、すぐ開田あやさんが近くに飛んでいって聞き耳を立てる図に、睦月さ んと大笑い。
その後三次会でいつもの『とらじ』。傍見さん、QPさん、あやさん、川上さん、睦月さん、植木さん、ウツギさん、白山さん、快楽亭、談之助、ブラ談次、それにわれわれ夫婦というメンツ。川上さんの友達という人も来る。大柄な女性で、挨拶されたとたんにK子が“まあ、ニューハーフ?”とかます。みな、よく十分の一秒程度の間にすぐ嫌味や悪口を検索できるものだ、と感心。およそ森羅万象にわたっての話題が出たような気になるくらいしゃべった。ここの焼肉はこの会の打ち上げのときが一番うまく、特に今日はホルモンが抜群。ダイエット中の睦月さんも、もりもりと食っていた。川上さんはなんと光文社の私の担当Oくんとも知り合いだそうな。本当に世間はせまい。ブラ談次がちょっと驚くようなことを告白。シッカリヤンナサイ、と発破かけておく。1時半、さんざ食って飲んでしゃべって、解散。中野は寒いが、今日は渋谷も寒かった。