裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

24日

月曜日

愚か者の方法

 朝7時15分起床。朝食、カニ足でマフィンサンドイッチ作って。きんさん死去の報道あり。あまりマスコミがひっぱり回すから早死にをした、というようなことを言う奴はいないかな、といくつかチャンネルを回す。

 週アス一本、10時前にアゲてK子に渡す。それから風呂入って、書き下ろし用原稿。肩、今日はすこぶる調子よし。午後から雨という予報なのだが。窓の外にはマンション外壁改装工事のため紗の幕が張られており、何かウス暗い。風呂入っている最中に例のノンバンクからご利用願いの電話。完全に断る。

 昼はチャーリーハウスで定食。この店の名前を知ったのは、伊丹十三がかつて責任編集していた『モノンクル』という雑誌で、編集部にやってきた南伸坊に、“チャーリーハウスのチャーリートンミンはメチャメチャにウマい! アナタも是非、試してみなさい”と言った、という記述を大学3年か4年のときに読んでからであった。伊丹の映画『タンポポ』の、この店はモデルの一軒のはずである。確かにここのトンミン(湯麺)のスープは絶品だが、非常に上品な味で、小腹が空いたようなときはともかく、夜まで保たせるにはちょっと物足りない。そういう時は定食がおすすめ。日替りで、毎日それぞれおいしいが、一番人気はこの月曜日のうま煮かけ定食で、遅く行くと売り切れているときもあるほどである。

 牛肉とタマネギ、マッシュルームを細切れにしてオイスターソースで煮込み、これを飯の上にかけて、さらにその上に生卵を落としてレンゲでパクつく。ゲテな食い物であり、食べ終わるといつも腹もたれがして“ああ、ゲテなものを食ってしまった”と後悔するのだが、しかし、食べている間はもう、他のことが考えられないくらいウマいし、しばらくするとまた食べたくなり、月曜日はまだか、と心待ちにするほどになる。一種麻薬的なところがある。あの、水木しげるの、うまいものを食うときの描写で、鼻息を“んふーっ”と荒くする場面、あれはリアリズムだったのだな、としみじみ感ずるのである。ポケットに井波律子『中国のグロテスク・リアリズム』(中公文庫)を入れて出たのだが、そこで述べられているラブレー的グロテスク・リアリズムの、昼飯における体現のような定食であった。

 その後パルコブックセンターに寄る。昨日まで平台から消えていた『カラサワ堂怪書目録』が復活して、『トンデモ本 女の世界』も加えると4冊が平積み。結構なこと。週刊文春からコラム原稿依頼。最近飛び込み多し。まあ、結構なことではある。パチンコで言えばストレート穴によく玉が入るようなものだ。D書房からは催促。ううむ、これも急がねば。

 H書房(昨日略称にし忘れた。意味あるのか?)の原稿チェック。最中にインターネットの某掲示板の事件のご注進入る。そうかそうか、とすぐ仕事放り出して飛んでいって火事場見物。中学生か、私ゃ。要するに、いくら言ってもプロの仕事が出来ないダメ彼に彼女が説教して(彼はライター、彼女は編集者)、プライドだけ高い彼の猛反発くらい、世にも鬱陶しいバトルの末に決裂しちゃった二人のお話。・・・・・・親友として、とか師匠として、の説教というのは大抵こういう結果を生む。説教(忠告)はビアスの『悪魔の事典』によれば、“友情を失う方法は数あれど、中で最も愚かな者が選ぶ方法”だということで、私もこの彼女も共に愚か者の最たるものらしい。とはいえ、私は彼女のそこまでに至った気持ちというのが痛いほどわかる。世の中は愚か者たちで成り立っているのだ。

 3時、喫茶店でH書房のAさんと打ち合わせ。書き下ろし分の原稿、渡す。刊行は4月上旬。表紙装丁及びイラストをどうするか、で少々やりとり。帰って、その件で電話数本。なをきといろいろ長電話する。『アイアン・ジャイアント』をお約束で勧めておく。なをきも今年は単行本が12冊くらい出るそうな。お互い仕事中毒であることよ。“単行本というのはそんなに頻繁に出すもんじゃないよ”としたり顔で言う奴に限って、年に一冊も出せないでいたりする。新刊本屋に言ってみるといい。なをきの本は出すぎたからと言って棚のところに納められたりはしない。ではコーナーを別ワクで作ろう、という風になる。すでに“ギャグ”という分類の中の一つ、でなく“唐沢なをき”という分類になっているのだ。

 いろいろと胸にもやもやがわだかまり、ぼんやりと夜まで過ごす。8時、神山町の豆腐料理屋でK子、それからササキバラゴウ氏と待合せ、メシを食う。なんと、上記のライターの彼、年末にササキバラ氏に電話取材していたことが判明して驚く。せまい業界だ。その電話でのやりとりの模様から、彼の抱いているルサンチマンの根の深さがよく見えてくる。彼の悲劇は、そのルサンチマンを抱くに至った原因が主に彼の視野の狭窄度にのみ、かかっていること。だから周囲の人々はそのルサンチマンに共感することがまったく出来ない。こういう場合、彼にとって悲劇の度合が深くなればなるほど、回りの人々にそれは喜劇と映る。しかも、その回りの視線を彼はまるで理解できていない! 彼に、自分の置かれている正しい立場を教えてあげようとする行為すべてが、彼にとってはプライドに対する侮辱となる。鳴呼、已矣哉。・・・・・・もっともそれはそれとして、取材したのなら記事の掲載誌くらい送ればいいのに(ササキバラ氏は掲載誌が出ていたことも知らなかった)。

 そのようなこと思いつつ、おぼろ豆腐、田楽、湯葉刺身、湯豆腐など。ビールと日本酒で、ちょっと深酔い。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa