裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

4日

日曜日

マタンゴの歳を数える

あの映画がヒットしていればねえ……。

※中野『柳家一琴の会』 浅草『タクト音楽祭』

朝9時15分起床、携帯は鳴ったらしいがマナーにしたまま
だったので気がつかなかった。
急いで食事。ブドーとバナナ。
ポテトのスープ、青汁。
夕べダーリン先生の打ち上げのときに母から電話あり、
出てみたのだが興奮していてよく話がわからなかったのだが、
要するにテレビがダメになった、とのこと。
前からアンテナ線の接続が悪くて画像が乱れていたのだが、
と思い調べると、何度もいじったのだろう、コネクターの
真ん中の針がグニャリと曲ってしまっている。
自室からあまったコードを持ってきて、これでつなぐと
スッキリ回復。ホッとする。早く変えればよかったと思う
のだが、人間、ギリギリのところ(映らなくなるとか)に
ならないと行動になかなか移さない。
母は今日、神田陽司さんの会に行くとのこと。
私も行きたいが、なにしろいろいろ休日は予定がカブる。

新聞に小沢氏民主党党首辞任のニュース。
小沢氏の、今のままの民主では次の選挙に勝てない、という
観測は正しいと思う。また、一部で小沢氏がアメリカの傀儡と
言われている原因である、
「今の日本はアメリカの庇護のもとでなければ生きていけない」
という、極めて屈辱的ながらも厳然たる事実を認識していた、
数少ないオトナの目を持った政治家の一人だったと思う。
つまりは現実が大変によく見える人なのに、“自民のやることみんな反対”
という、かつての社会党の悪いところが、敵失選挙で勝った故に
前面かつ全面に出てきてしまった民主のトップとして、
どう動けばいいのかあぐねていただろう彼にとり、自民との大連立は
その矛盾を全てクリアできる、極めて魅力的な案だったに違いない。
読売は小沢氏の方から持ちかけた、と言ってるが、まあ双方から
自然に、というところだったと思う。現実的にみて、これが最も
いい方法だったことは三歳児にもわかることである。

ところがそれを理解できず、
「参院選で勝ったんだし、イケイケでいいじゃないか」
という民主の三歳児以下のお坊ちゃん政治家たちとの意思疎通の失敗
が今回の騒動だろう。というか、小沢氏は彼らを心底軽蔑していて、
根回しする必要も感じず独断でことを起こし、自分の実力と論の正しさ
から言って、みんなも附いてこざるを得ないだろう、と踏んで
いたと思う。私がそう想像するモデルは落語協会脱退時の
三遊亭円生である(お前の教養とか思考の原点はみんな落語がらみか、
と言われればそうです、と答えざるを得ない)。
あのクーデターが失敗したのは、円生が三平を軽蔑して、
「あんなもんは芸じゃありやせん」
と、楽屋でも声もかけなかった、という理由が大きな要素だ。
確かに三平は円生の美学とはかけ離れた芸人だった。
しかし、人気も人望もあり、弟子の数も圧倒的に多かった三平を
取り込むことは、クーデターには必須の条件だった。
ところが、現実には円生も円楽も、三平に声をかけたのは協会離脱
ギリギリのところであり、何の根回しもしていなかった。
結果、三平一門は動かず、クーデターは失敗に終わる。
民主党内に、一人でもいい、小沢氏の腹心で、内政能力に通じた
人間がいれば、もっと事態は異なった様相を呈していたはずだ。
小沢氏の、手下(てか)のなさの悲劇であろう。
『仁義なき戦い』の広能昌三みたいなもので、
「若い頃旅ばかり打っていた(居所が定まらなかった)」
人間は、顔は広いが本当に信頼できる子分がいない。
あの映画で、あれだけ能力がある人間なのに、ついに広能が
広島をとれず、引退せざるを得なかったのはそのためである。
どこへ言っても客人なのである(お前の教養や思考の原点はみんな
映画がらみか、と言われれば、そうです、と答えざるを得ない)。
若いうちはそれでいいかもしれないが、中年以降は自分の組を
きちんと固め、代貸を育てていくことが肝要である。
代貸がおらず、自分で走り回らねばならない人間は政治の世界
(ヤクザの世界と基本は同じだ)では大きな仕事はできない。

昼は母の室でサバの塩焼きと大根の漬物、じゃがいもとワカメの
味噌汁。炊き立てのご飯。最高の昼飯というか、死ぬ前には
結局、こういう飯を食べたいと思うのではないかと思う。

1時半、バスで中野。芸能小劇場で柳家一琴の会。
お客さんは8分の入り。一琴さんも高座で言っていたが、
落語会というのは会場の席数の8割は埋まる、という
ジンクスがあるという。だから大きいところでやれ、と
言われるのだそうである。

一琴師匠はいつも舞台で観ているのだが、落語をきちんとした
形で聴いたのは初めて。
客層も上品な人たちで、素直に笑い、何か自分が凄く場違いな
ところに迷い込んだような気になった。
一琴師匠、高座に鎮座した(体格がいいので、なにやら座るというより
こっちの方が言葉として似合う)姿の安定感がすごい。
もっとも、師匠や先輩をネタに飛ばすギャグはやはり落語家のシャレ。

まず『てれすこ』(ネタおろし)、客に通じないので演者によって
省略することの多い“火もの断ち”もきちんと入れた、
落語の見本、と言った演じ方である。
牢に入れられた男がやつれて痩せ衰えた、というところで
「ここは演出的に極めてやりにくい部分で」
と、頬をすぼめてみせるところが愛敬。

鏡味小仙の太神楽をはさんで、大ネタの『鼠穴』。
前にかけた時はオリジナルの落ちでやった、というが、
今回はそのままでやります、とパンフにある。
オリジナルのオチを好まぬ客筋らしい。
じゃあ、『てれすこ』の“あたりめ(当たり前)の話でございます”
というのはどうなのか。これは上で書いた“火もの(干物)断ち”
のネタがわかりにくいので三代目金馬がラジオで演じたときに
オリジナルで作った落ちなのだし、一琴さんの師匠の小三治は
落ちをオリジナルにして演じることで有名である。
……って、まあここで私が何か言っても仕方ない。
そういう主義の人がいることも事実だ。
とはいえ、田舎ことばに突出したセンスのある小三治の弟子で、
顔形も(こう言っては失礼なのかもしれないが)
鼠穴の竹次郎ってのはこういう人だったのではないか、と
ホウフツとさせる一琴師の『鼠穴』は、技巧よりも一琴さんの
かもしだす人間性を表わしていて、談志のほどくどくなく
円生のほどリアルでなく、落語ってこういうものだ、という
イメージにぴたりとあはまって、これからの人は
この人の『鼠穴』を基本に、ここから離れようとしてみたり
これを掘り下げていこうとしたりするんだろうなあ、と感心。
気がつくとちゃんとみんなの笑うところで笑っていて、
学生時代に志ん朝や小さんを聴きまくっていた自分を思い出して
しまった。

そこで仲入り、トリネタが『鬼の面』これもネタおろしだそうだが
もっとドラマティックな展開になるのかと思ったら……という
軽い噺だった。新作ぽいテイストだが、大阪で一琴さんが習った
ものだそうで(二百円とかいう単位が出てくるからいずれ明治以降
の作だろう)、登場人物が(途中で出てくるバクチ打ちたち以外)
みんな善人、というハッピーな噺。普通、大ネタの『鼠穴』を
トリに持ってこないか、と東京の落語に慣れている者としては
思ってしまうが、これが上方の特長だという。
ふうむ、いろいろ勉強になる。

普段異端にばかり接しているせいか、ひさしぶりに
こういう落語を聞くと心が洗われるというか、オヒサマがまぶしい
というか。刺激があった。
一琴師匠には来年、会にゲストで、と誘われている。
ぜひ、ご一緒させてください、と言いたいがそれこそ私などと一緒に
高座に上がることを一琴ファンの皆さんに古典への冒涜、と
言われないかどうか、ちと不安である。
まあ、ずうずうしくいくつもりだが。

一琴さんと受付の(たぶんおかみさん)に挨拶して、
会場を出る。ゆっくり今日の感想を伝えたかったのだが、
今夜はまた浅草で好田タクトさんの『タクト音楽祭』に伺うこと
になっている。開場まで一時間半、中野〜浅草だとギリギリである。
実は会場でマナーモードにしていた携帯に連絡あり、見ると
知らない番号。バックコールしてみたら、要領を得ず。
どうも間違い電話らしい。携帯の間違い電話はありそうでないので
珍しいなあ、と思う。

中央線で新宿、そこから丸ノ内線で赤坂見附、のはずが乗り過ごした
ので銀座で銀座線乗り換え。
連絡通路を歩いていたら、昨日ダーリン先生の会でご一緒した
人とばったり。一緒に歩いていた白髯の人を紹介され、
「ビッグ錠先生です」
と言われたのにビックリ。ビッグ先生、握手してきて
「テレビとかで見ているお姿と違いますねえ。どこの浮浪者かと
思いました」
と言われて苦笑。確かに今日はインタビューとかじゃないし、
と思い、三日間くらい着古したヨレヨレにシャツ姿にカバンを
タスキにひっかけ、髪もまるでカットしていないぼさぼさ。
少し気をつけよう、と反省もした。

錠先生と別れて少し歩いたら、孫らしき人を連れた老人が
会釈してきた。さっきの会話で、あ、知った人だ、と気がついたの
だろう。うーん。

銀座線で浅草、小腹が空いたので高田屋でネギラーメン啜り、
東洋館に急いで入る。すでにかなりの列。

入場料払って会場入り。立ち見の出る満席。
取材のカメラやビデオががずらりと後ろに並んでいる。
寒空はだかさんに挨拶、昨日のダーリン先生の会で見かけた方々が
数多くいらっしゃっているので挨拶、さらに永六輔さんが
いらっしゃっていたのでそっちへ出向いてラジオのお礼と挨拶。
そしたら、それで私を見かけた日刊スポーツの女性記者さんが
挨拶に来て、日テレの人が挨拶に来て、昔仕事をしたKKベストセラーズ
のS氏が挨拶に来て、という騒ぎ。

やがて開幕、スーザの『星条旗よ永遠なれ』をウガイ音で演奏、
というスパイク・ジョーンズ風なネタで満場爆笑。
ツカミOKというやつか。今日の客層はお笑いファン4、クラシック
ファン6という塩梅だと思うが、クラシック・ファンが率先して
大笑いしていた感があった。

パントマイムの京本千恵美さん(忠さんや神山くんと同じ事務所
だったはず。無茶苦茶アイデア豊富なネタをやる女性パントマイマー)
にも、爆笑、拍手。たぶん、こういう芸を見るのは初めての人が
多いんだろう。

それからジョウロ演奏あり、名和美代児の汽車のモノマネがあり、
彼を司会(本業!)にして好田タクト十八番の指揮者形態模写。
カラヤンから始まり、チェリビダッケ、セイジ・オザワ、
レヴァイン、ストコフスキー、朝比奈隆と、次々に。
演者と観客の知識が一致する幸福な場というのがまさにこの会場
だろう。レヴァインのときは、観客も口笛や歓声を飛ばし、
朝比奈隆のときはスタンディング・オベーション。
もちろんタクトさんから指示はあるのだが、これはどういう状況か
を観客も知っていなければ絶対できない。
「寄席ではこんなにウケません」
と終ってから言っていたが、もともとこういうお客の前でやるべき
芸、なのだ。

休息のあと、東京ユニットのコントがある。
森はじめ(元『コントらぶこ〜る』)の達者さは変わらず。
凄まじいボケの才能があるのに、それを危なっかしくやる芸、
なまなまかな才能と芸歴で出来るものでなし。
客席から、ウケると思っていろいろ声をかける女の子がいたが
「うるさい!」
と親父キャラで一喝したのに心の中で拍手。

それから福岡詩二のバイオリン漫談(懐かしいね)、昔お仕事ご一緒
したときに比べていい歳の取り方をして、一見高尚な芸術家のように
見える外見になっているが、ネタはネギでバイオリン弾いて、
そのネギを放り捨て、“買うネギ放る(カーネギーホール)用の弦”
とやるベタネタ、変わらず。大飼道雄が金ピカの衣装で出てきたが
歌はまともに『誰も寝てはならぬ』、そしてまた京本ちゃんの
マイム。

アンコールで、お客にも参加を要請し、ペットボトルの余った
お茶を口に含ませてまたウガイ演奏で『星条旗よ永遠なれ』。
お笑いの客ならそれで満足して帰るだろうが、クラシックファン
たちは勘弁せず、アンコールの拍手鳴り止まず、再び朝比奈隆で
出てきて花束を受け取っていた。

日本において、こういう試みが成立するということを立証しただけで
今回の企画は価値があるだろう。ダンドリがちょっともたついたり
なんだりしたところはあったが、3000円でこれだけ楽しませて
くれて文句を言ったらダメ、である。
著書『世界一楽しいタクトのクラシック音楽館』(実業之日本社)
を購入。タクトさんに挨拶し、サインしてもらい、握手して帰る。

帰途の地下鉄の中で『クラシック音楽館』読了。
クラシックの入門書でボブ・サップやブルーザー・ブロディの
名前が出てくるのが凄い。そして、ボブ・サップの人気凋落と、
その入場曲であるリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラ
かく語りき』の、あのシビレる冒頭以降の三十五分の退屈さ
を重ね合わせて語るのだ(もちろん、ずっと聴いていれば残りの部分も
面白く聴けるようにはなる、と言っている。しかし初心者には
勧められるものではないのだ)。この工夫に感心。
クラシック原理主義者はこういう伝え方に反発するだろう。
しかし、芸術というピラミッドの基礎を支える底辺を拡大するには
絶対、こういう才能が必要なのだ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4408107204/karasawashyun-22
ただし、関西出身の人でないと“ボロディンは本当にえらかった”って
ギャグはわからない。

帰宅、10時半。サントクで買い物し、パストラミ・サンドを
作って、ワインとそれで。元禄時代の資料本いくつか拾い読み。
赤穂浪士ものでよく出てくる、吉良の実子で上杉家に養子に
いった綱憲が、吉良家討ち入りの報を聞いて駆けつけようとする
のを、家老の千坂兵部(実際は事件の二年前に死去しているが)
に押しとどめられるシーンがある。実は前藩主の綱勝は子が出来ぬ
ままに急死、末期養子で綱憲が家督相続を認められて断絶は
免れたが、領地30万石を15万石に削られて、財政的にも政治的
にも大ピンチのさなかだったのだな。こんなときに私事で
兵を出したりしては、それこそ浅野家の二の舞いになるところで
あったのだった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa