裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

2日

金曜日

トシ伝説

田原俊彦は本当は歌がうまいのだが、ジャニー喜多川がわざと下手に歌わせた
ことで親しみあるキャラクターになり、スーパーアイドルになった。

※体調不良

朝、7時11分に目が覚めて、寝床で読書など。
8時40分改めて起きる。

入浴して9時10分朝食。
プルーンみたいな巨大ブドー、バナナ。
和の○寅からもらったポテトでスープ。

母に依頼されたサマセット・モーム全集、ネット古書店で
探すと、3万円代から12万円代まで。
やはり今、読まれている人でないと高い(ちょっと間尺に
合わないが古書というのはそういうものなのである)。

気圧のせいか鬱っ気はなはだしく、何もする気なし。
メールいろいろ。『アストロ劇団2』稽古、明日からだったが
ハッシーにテレビとCMの仕事が入ったので二日、伸びる。
三日はすでに先の用事が入っていていけなかったのでラッキーと
思ったが、五日もすでに入っていた。

昼は母の室でカレーそば。
ネギは一度網焼きして焦げ目をつけてから入れ、鶏肉は
“そいで”切る。最近の蕎麦屋の鳥南蛮は肉をブツ切りにしている
から味が染み込まなくてダメ、とは母の言。

3時、地下鉄で新宿。小田急で買い物をして、バスで渋谷。
資料本(今日は届いていた)受け取る。
趣味で買った『殺しの烙印』のサントラCDも届いていた。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000M2EAQ6/karasawashyun-22
改めて認識して驚いたのだが、この映画のアンニュイ極まる
音楽の担当は山本直純だったのであった(“例の”主題歌・『殺しの
ブルース』は楠井景久作曲、ただし編曲は山本)。
解説の原田和典の言う通り、山本のこちらの“暗い”面ももう少し聴いて
みたかった。……とはいえ、サスペンスの盛り上げのBGMには
『マグマ大使』のBGMそっくりの部分もあり、やはり争えない。

夢之助騒動の一件、あれからmixiのコメントにもやや、
冷静な意見が増えてきて、ちょっとホッとする。
そもそも、実際の会場でのやりとりは報道とはかなり
ニュアンスが異なるということだし、敬老会で参加した人の中にも、
あの手話通訳で気が散った、第一演者に失礼だ、と怒っている人も
いるようだ。

もっとも中には落語ファンを標榜しながら、今回の事件、
「気が散って落語が出来ないなんて、志ん生が聞いたら
げんこの一つでも頂くところでしょう」
などと書いている人もいる。おいおい。
志ん生は巨人軍の優勝記念パーティという“気が散る”場所での
余興の仕事をいやがり、飲み食いが始まる前に出させてくれと
頼んだが、祝賀パレードでパーティの開始が遅れたために、
落語が始まったときには選手も客も空腹で勝手に飲み食いを
初めてしまい、頭に血が上って高座で脳出血を起こして倒れたのである。
「プロならその場に合わせろ」
などという“落語家差別”的意見が横行しているのを読むと、
日本における芸人の立場ってまだこんなものなのだねえ、と気が滅入る。

しかし、勉強になる意見もいくつも読めた。
ある人は、演者が自分の話を勝手に手話通訳して伝えられるのは
ボランティアとはいえ著作物の無断改変にあたり、著作権法に
抵触するのではないか、と書いていて、虚をつかれた。
ちなみに、このコメントの書き込み者は全盲の人で、
自分も障害者である立場から視覚障害者のための著作を何冊も
書いているが、“視覚障害者福祉のために”、著作権を制限され、
著作の朗読(音声訳)テープを、ボランティアによる、著者の
意に染まぬ読み方、録音でなされることに対し反対の立場を
とっている。“ボランティアだから”と、下手な朗読で自分の
著作を台無しして平気な素人に怒りを覚え、そもそも技術のない
“自称・ボランティア”に対してだめ出しをする権利くらいは、
著者に認めてくれてもよいのではないか、と怒っている。
障害者の立場からのこういう意見がやはりあるのだな、と
改めて深く考える。

さらに、ご自分も手話をやっている人の立場からの意見で、
「落語家の手話通訳は無理ではないかと思う」
というのがあった。手話はどうしても意訳になってしまい、
話芸をそのままには伝えられない、というのである。
前にも書いたが、聴覚障害者にも落語を聞く権利はある。
しかし、それは単に演者のわきに手話通訳者をつければことたりる、
というものではない。演者と手話通訳者の間に綿密な打ち合せ
があり、ネタの選定、表現の選択を極めて慎重に行った末に
初めて可能になることだ。そして、それだって、
「本来の落語の質とはへだたりがあるもの」
だと、聞き手に納得させる義務もあるだろう。
そこまでのことをしようともせず、当日になっていきなり
手話通訳がつきますから、という無神経さで芸を扱うという、
日本の文化度の低さを思う。

……では、お前の講演なり口演なりに手話がつくとしたらどうだ、
という問題に対しては、基本、どうぞおかまいなく、である。
私のしゃべりは長年磨いた芸などではないし、
話が伝わる伝わらない、という問題に関しては、聴覚が健常な
人間にだって、伝わらないヤツには絶対伝わらない、という
体験があり、ほとんど絶望しているといっていい。
しかしまた、どんな状況でも聞いて理解してくれる人間がいる。
そういう人たちが私のトークのファンとしてついてくれている。
私はそのレベルで十分。ただし、これを全ての演者に敷衍しよう
とはツユ思わない。

某有名地方誌からインタビュー依頼のFAX。
地方誌とは言っても東京の書店によく置かれていて、以前
愛読していた。そういうところからインタビュー申込まれる
のはヘンな気分。

頭が痛む、肩が凝る、吐き気はする。
8時半、バスで帰宅。金曜日のせいか、いつもより混み。
サントクで買い物。煮カツ、カニミソなど。
やはり晩には食欲なし。外メシは食えるので、精神的な
ものかな、とも思う。別に屈託事もいまはないのだが。

DVDで『肉の蝋人形』(1954年バージョン)。
3−D映画として製作された作品なので、カメラに向かって
人が倒れたり、蝋人形館の呼び込みのパドル・ボール(日本で
昔パンパン・ボールなどと言っていた、ラケットにボールがゴム紐
でつながっている遊具)芸人がこっちにボールを飛ばしたりという
演出が目立つ。もっとも、主演のビンセント・プライスの
証言によると、監督のアンドレ・ド・トトスは片目であり、
「彼自身はこの映画を3−Dで観ることは出来なかった」
とのこと。

プライスのたぶん最高の演技が見られる作品で、
恐怖と品格の両方を兼ね備えた古き良きホラー映画、だが、
立体というギミックを第一義にした演出のせいか、
各キャラクターの掘り下げがそれぞれイマイチ。
主演女優のフィリス・カークはクライマックスで脱がされるが、
時代が時代なので全然見せないということを除いても色気不足。
冒頭に出てきてすぐ殺される(ジャンヌ・ダルクの人形に
されて展示される)蓮っ葉な友人を演じたキャロリン・ジョーンズ
の方が印象に残る。テレビ『アダムズのお化け一家』のモーティシア
役で人気者になった女優さんである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa