裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

木曜日

衣装買い、の記

朝8時起床。入浴してメールチェック、9時朝食。バナナと目玉焼き、ヨーグルト。日記つけ。FRIDAY四コマネタ、一本弱いのがあったとKくんから指摘あったので書き直す。

六花マネとスケジュール打ち合わせ、原稿と会議、講演などのアイマを縫って上映会、公演、ライブなどなど多々。新宿へ出て、紀伊國屋で資料本さがすが見当たらず。アカシアでロールキャベツとオイル焼き。ロールキャベツは一カン二カンと選べるようになった。ソースもちょっと変わったような。

渋谷へ。マンションのエレベーター改装工事、このあいだから一機が終わり、新しいものになった。以前の、ガッタン、ウィーンと動いていた40年前のものに比べ、新しいやつは明るく、早い。半分くらいの時間で4階に着く。とはいえ、マンション全体とはどうも不調和。

仕事場でゲラチェック2本。外食したせいかダルい。原稿書く気せず。伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』読む。マンガの表現を論じて一読、うなったほどの力作なれど、最近のこの手の若手論者(東浩紀氏を代表とする)の文化論に共通の視野の狭窄があって、手放しで褒められない。とはいえ、それはこういうマス文化における表現をアカデミックに論じる際に、ある程度視野を狭めないと論としてまとめられない、いわば必要悪としての制限なのである。

論衡というものは理論の明解さを以てその価値を定められる。マンガのような大衆文化はその裾野の広さが、理論を綺麗にまとめるにはネックであって、何か筋を一本通した見方をしようとしても、必ずそこに例外や範疇外の作品が見つかる。特に
「こういった表現は○○の××という作品が最初」
などと言う指摘は、発表したとたんに読者から
「いや、それより△△という作品の方が早い」
「※※という作品をなぜ無視するのか」
という指摘が矢のように飛んでくる。なにしろこの『テヅカ・イズ・デッド』でさえ、先行の評論に対しそのような指摘で論破を試みているくらいで、実例が逆に論の揚げ足をとられる原因となる。

これを防ぐには、
「この論は細かな事実の違いには拘泥せず、仮定としておいた理論の展開がマンガ史(その他オタク史、アニメ史などの大衆文化)を見る視点をどれだけ広げ得るか、そちらの方に重点を置く」
という姿勢をとらざるを得なくなる。

しかし、と、いうことは(東浩紀氏のオタク論などがほぼ全てそうであるように)、不正確な事実を元に論拠を構築しているわけで、その論自体が空虚なものなのではないか、という不安を読者に与えてしまうことになる。

つまり、最初からマンガ表現論(表現史論)という分野は限定された条件下における成立しか見込めない欠陥を有するものなのだ。これは私がマンガ評論に手を染めたかなり早い時期にそれを投げ出した理由でもある。伊藤剛はそれをおそらく十分に承知の上で、あえてそこを読者に気付かせないよう、力技で押し切る形で本書をまとめた。

そのベクトルは本書に異様な迫力をあたえ、まず、多くの読者にその故意の狭窄を気付かせないだけの成功を収めていると言えるが、そのアーティフィシャルに徹した姿勢が、
「これって自論に都合のいい例ばかりを並べただけなんじゃないの?」
という疑念をどうしても捨て切れさせてくれない。最初からアカデミズム的論文の持つそういううさん臭さに免疫になっている人には感じられないだろうが。

母が書庫の整理に来てくれる。引っ越しのための整理なのだが、肝心の引っ越しのメドは少しも立っておらず。幻冬舎新雑誌のための原稿5枚、書き上げてメール。それからタクシー飛び乗って新宿南口・高島屋。K子と落ち合い、シャツ、ジャケットなど彼女の見立てで買う。

テレビ出演などのときに着る衣装のネタがそろそろ尽きてきたので、新調しようという算段。しかし、なかなかコレ、というのはないねえ。だいたい、今年の冬のトレンドはウォームビズらしくジャケットなどもやたらモワモワとして暑苦しい。なんとかこれなら・・・・・・というところでジャケット、ベスト、シャツとそれぞれ買い込む。あと、冬用の帽子も。

8時、そこからタクシーで幸永。運良くすぐ席が取れた。豚骨たたき、極ホルモン、桜カルビとネギタン塩。いろいろと話しながらホッピー二杯、冷麺二人で分けて。K子はこれから仕事場で朝まで仕事だという。家に帰って飲み直し、またホッピー。DVDでまたコロンボ『死の方程式』。ロディ・マクドウォールが若い。もちろん、『名犬ラッシー』とか『クレオパトラ』とかのときに比べれば老けているわけだが、晩年の、『猿の惑星』の公開30年記念ビデオなどでコメンテーターを務めたときの顔をずっと見ていたのでやけに若く感じる。

しかし、この話、なんで『死の方程式』というタイトルなのか(原題は『SHORT FUSE』)。別に数式が出てくるわけでもない話なのに。犯人が化学者なので本当は『死の化学式』にしたかったのを、化学式なんて単語を出したら視聴者が難しいと引いてしまうだろうというので方程式にしたのかもしれない。

12時過ぎ、就寝。

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