裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

18日

火曜日

執筆スケジュールひたすら消化、の記

朝6時半に目が覚める。この時間帯の目覚めは久しぶり。少し疲れとか、とれたか?夢で、町中で母と兄弟で口げんかする。面白いのは、このときの弟役が若乃花だったこと。なぜ“お兄ちゃん”キャラで日本一有名な男を弟役にキャスティングしたのか、私の脳は。

9時、朝食。アボカドとバナナ、スープ。小泉首相靖国参拝のニュース。人間心理、ことに独立独歩型の人間心理には、
「周囲が反対すればするほどやりたがる」
という行動原理がある。マスコミこぞっての反対コールは小泉サンの意思を固めるだけだ。こんなのは周囲を見渡してもモデルがいくらもいるのに、どうしてそれがわからんのか。

私もどちらかというとこれまで周囲に反対されたことばかり(物書きになったこと含め)やってきた人間で、しかもそれである程度やってこられている。「周囲の言うことと逆の方に行くのが成功の道」という信念は確かに思い返せばかなり根強い。小泉サンの思考の流れはよく理解できる。こういう人間にはこういう人間向けの懐柔の仕方というのがちゃんとあるのに、マスコミも世間も単純すぎる。

日記つけ、メールやりとり。H社A氏から、さっぱり進まぬ新連載企画の件。それに関しては平身低頭だが、もうひとつ、代替という感じでA氏が出してくれた新企画が、実は同じような企画を某社に出し、半ば通りながら別事情でペンディングになっていたものの拡大版みたいなもの。これは運がいい、と喜ぶ。昨日の件といい、企画屋ジョニー健在。

12時半までアサヒ芸能『こんニュー』原稿。書き上げてメール。急いで家を出る。1時、タクシーで直接東武ホテル。編プロL社、M氏。前任で社長のI氏が病気で入院したのでその引き継ぎ。それほど大きな仕事しているところではないので引き継ぎ事項もそうない(1分で終わった)のだが、M氏、I氏と同じくマガジンハウス社出身で、ポパイやオリーブの編集長も務めたという経歴の人。その話が面白い。

「あの会社は電通の人と大政翼賛会出の人で作った会社ですからなあ。経営理念というものが最初はもう、まず無いに等しかったんですわ。それでも時代は右肩あがりだから広告はどんどん入ってくるでしょう。一冊の雑誌に80くらい広告が入って、記事をどこに入れようか、困ったことがありました」
とか、
「好きなことをやって儲けなくてもいいんですから、そりゃ楽しい。外部の才能ある人間がどんどん参入してくれて、何もしないでも雑誌が出来ていきましたなあ」
と。バブル期のエピソードなどをさんざ聞く。氏がしかし管理する側に回ったあたりからもう、会社は経営を頭に入れなければやっていけなくなる時代になった。

一番大変だったのはオリーブを廃刊にしたときで、
「もう、部数たるや惨憺たるもの、しかも経営理念ナシの伝統を一番引き継いでいた雑誌だったので、読者とかのことを考えず、自分たちの好きな企画ばかりやっていた。それだから逆に、自分と雑誌を一体化させていたスタッフが多かったんです。女の子なんかは泣き出すし、だいぶ突き上げを喰いました」
それでも敢てM氏は彼ら彼女らに
「渋谷とかを歩いてみろ。もうオリーブ少女なんてどこにもいない。時代は移っていく。それを読めなくなった雑誌に未来はない。もうオリーブの時代は終わったんだ。これからはこれからの時代に合わせた雑誌を作っていくしかない」
と言って廃刊を納得させたという。顔は谷啓をしなびさせたような人だが、歴史を見てきたんだなあと感心する。

打ち合わせ終えて仕事場に行き、かす漬けシャケの茶漬けをかきこんで昼食。カメラマンY川氏、来。日刊ゲンダイ用の写真撮影。Y川氏、なんとこないだの銀小でのマジカルトムの公演で私を見た、という。大道芸の写真を撮っていて、トムくんとはつきあいがあるのだそうだ。世間の狭いことに一驚。

掲載用写真の他、ちょっと頼んでプロフィール用の写真も何枚か撮ってもらう。2時、Y川氏辞去。すぐ原稿書きにかかって3時半、SFマガジン『どろんぱっ!の時代』書き上げメール。それから週刊ポスト用書評原稿書く。凄いスケジュール消化。合間に雑用も多々。

快楽亭ブラックに電話、次のブジオ!にゲスト依頼。リスキーなゲストは先に呼んじまおうということ。向こうの方からも南湖さんとの三人会の企画など。5時、時間割、今日はSくんが仕事で来られずねがっち、おぐり。おぐりにカレーの資料など渡す。お仕事モードでサクサクと対談は片づける。終わって別れ、東急ハンズで買い物してまた仕事場、メール数通。

HMVによってDVD、CD買い込む。帰宅、母に夕飯のこと電話したらちょうどパイデザ夫妻を招いていたとのこと。まぜてもらうよう頼む。イクラ、チーズ、アンチョビのカナッペ、ゆで卵マヨネーズとレタスのサラダ、オムレツ、それと自家製カボチャのニョッキ。

ニョッキは茹でて作るが、焼いてみればカボチャ団子になる。思い出すのは、カボチャではなくジャガイモだったが、予備校生の頃、札幌は狸小路の喫茶店『民芸茶屋』に、講義をサボってタムロしては、アニメの話、特撮の話を延々と友人たちとしていたことで、その喫茶店の名物が“いもだんご”だった。私は青春時代をむやみに忙しくあわただしく過ごしてしまった人間だが、あの無為の一年は人生の中でも異色な時期で、いまだに夢でも見ていたような感覚で胸によみがえってくる。

自室に戻り、半身浴。湯上がりにホッピー飲みながら、DVDで『妖怪百物語』。これが子供向け作品か、と思える脚本、構成、表現に感心、感服。映画の変質というより受け手側の変質が娯楽作品の変化には大きく関わってくる。それは娯楽の基礎教養の量の減少とも関係がある。このテーマは昼に書いたSFマガジンの原稿から紙幅の関係上カットしたもの。今度どこかできちんと語らねばな。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa