裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

2日

日曜日

上野でDVD収録〜真打披露大盛況、の記

朝6時起床。そのままパソに向かい、原稿書き。『名もニュー』原稿、7時過ぎに完成。

そのまま、コーヒーも飲まずに家を出て、上野。不忍池脇の下町風俗資料館にてDVD『猫三味線』特典映像撮影。

8時45分の集合だったが8時過ぎには到着。ちょうど佳声先生が着いたところ。スタッフはもう8時から資料館内部で撮影準備。いやに早いのは要するに開館前に対談を撮影しなければならないというわけ。腹が減ったので近くのマックでソーセージマフィン食って戻る。六花マネ、おぐりも着いていて収録準備。

真夏のような陽気で、しかも池のそばだから湿気がひどい。私もおぐりもかなり汗ばんでいる。佳声先生もお元気がないようで大丈夫かと思ったが、収録に入ればもういつもの、しゃべり出したらとまらない佳声節で大丈夫。

30分の予定だったが45分くらい回したか。その後、ルノアールでちょっと休んだあと、外でおぐりの撮影。歩いてきて資料館に入るところ。つい
「お〜やおやおぐりサン、こぉんなところに入っていくんですかぁ〜?」
と滝口順平の声で言いたくなる図。

かなりテイクを繰り返していた。待つ間、昔懐かし“チリンチリン”と鐘を鳴らして売っていたアイスキャンデーを食べる。案外おいしいが、価200円。終わって、みんなで近くのそば屋『北前そば高田屋』で昼飯。鴨せいろを頼むが、そばがなあ。そじ坊にしろ高田屋にしろこういうチェーン店のそばはひとしなみにまずい。大盛りを頼んでしまって後悔。

出て、佳声先生の紙芝居公演を聞く。以前と学会でもやったポンチ紙芝居と、『ライオンマン』。何度も聞いたものだが手慣れた感じ。そこで解散。おぐりとは4時半に東京會舘で、と。

いったん家に帰り、メールチェックして原稿ナオシ、そのあとシャワー浴びて少し休む。ズボンを履き替えられたのはラッキー。黒のズボンズボン、と朝、暗いウォークインクロゼットの中で選んで履いて、外に出てみたらこれがブルーブラックのもので、上着とシャツの黒に似合わないもいいところだったのである。

東京會舘までタクシー。車中おぐりから携帯。霞が関の東京會舘まで行ってしまったとのこと。こっちが間違えて教えてしまった。すぐ日比谷の方に来るように指示。会場ロビーで前座さんたちが案内している。幻冬舎Y・T(TはとてもかわいいのT)さんとソファでおぐりを待つ。

Tさんは残念ながらドレスでなくスーツ姿。一応“いいですか?”と確認の電話あったのが彼女らしい。睦月さん、ひえだ夫妻、植木不等式さんなど知りあい続々。開場にやっとおぐり間に合った。悪いことをした。

すぐに開場、来ないかもと噂されていた談志家元が上機嫌で談笑さんの隣で挨拶している。まずはめでたし。

ぎじんさんが写真撮影班で場内にいた。よく“人のためにスタッフで尽くす”人だなあ、と感心。“宝”の席につくが、最前列。

おぐりと共にちょっとビビる。司会進行はフジテレビ山中秀樹アナウンサー部々長。似ている声だと思ったら本人だったので驚く。さすが、よく引っ張ってきた。

やがて開宴、立川流真打たちがズラリと壇上に。全員黒紋付姿の中で唯一、セーラームーン柄羽織の談之助の目立つこと。このまえまではもう一人、派手なのがいてまずバランスがとれていたのだが、一人だとキツいねえ。

二つ目たちも並んだが、笑志さんがちょっと気の毒。家元による真打認定書授与、そしてスピーチ。
「こういうパーティにはアタシがらみ、という客が多いのがほとんどだが、今日はアタシの知らない顔がほとんどで、これは自分なりの世界を持っているということだ・・・・・・」これ、談之助・ブラックの真打披露(会場も同じくこの東京會舘)でも言っていた。私が、ひとり落語の世界に閉じこもらないそういう噺家さんたちが好きだということだろう。

家元のスピーチの真打論、芸論は談笑よりむしろ笑志さんに向けられていた。そこらで遅れてきた開田さん夫妻も席につく。続いて立川流顧問を代表して吉川潮さんの挨拶、さらに小倉智明さんの音頭で乾杯。

そして目の前の席で薗田健一とディキシー・キングスの演奏開始。食事を取りに立ちたいが、あまりに演奏が素晴らしいので立てない。トテヤサの山田さんがいろいろ取ってきてくれた。あ、ひえださんもトテヤサであった。

別のテーブルにいた植木さんがこっちに移ってくる。犬を食った話などしたら嫌われたそうである。あはは。食事の間に小田切レポーター奮戦記のビデオが流れる。夏さんの力作であろう、おそらく。

後半は豪華ゲストのスピーチ続々。キラーカーンが演歌『ふるさとまっかっか』を歌い、続いて前田隣先生の“赤あげて白あげて”という凄い顔ぶれ。マイダーリン先生の軽み、これは芸だけではできない。年輪を重ねて初めて、いろんなものを洗い流した末に出る軽さだろう。

いろいろと毒づいたり、ご自分の病気のことをこういうおめでたい席で話しても少しも気にならないし残らない。こういう境地まで到達する人が最近少なくなってしまったのはなぜだろう?

談笑さんが当然“赤あげて”に駆り出されたが、とにかく大緊張の面持ちで失敗続き、見事に主人公としての立場で笑いをとっていた。ここまでの顔ぶれや人選を見ればわかるが、この会は談笑真打昇進をみんなが祝う会である以上に、
「談志家元をヨイショする会」なのである。

登壇する全員が、いわば偉大なる首領立川談志首席を歓待する喜び組なわけで。“傾向と対策”を得意技とする予備校教師出身、立川談笑の面目躍如である。

そこに気がつくと、談笑さんの緊張の裏側も見えて倍、楽しくなる。その家元歓待の最大の秘密兵器が元・マヒナスターズの高山礼至氏の電子アコーディオン演奏。ピアノからギター、サックス、津軽三味線から琴の音まで出せるアコーディオンで、一人オーケストラとなり、懐メロ中心にたっぷりと聞かせる。

それだけで堪能したのだが、これで大喜びした家元が
「歌謡曲でないのを!」
とリクエスト。すると即座にジャズ・スタンダード中心でオムニバス演奏。スタンディング・オベーションの嵐。

これで終わるかと思ったら、終わる間際に家元がお手洗いに立ってしまい、演奏の終わりで家元に言葉をもらいたいために山中アナが気をきかせたか誰から耳打ちがあったか、
「タンゴを!」
とリクエスト、これまた即座に対応。

このフレキシブルさには舌を巻くが、あちこちの席で、ちょっとウトウトしていた人の姿が散見。素晴らしいが長すぎ。

とはいえ、先ほど言ったように、この会はわれわれのための会ではなく、まして(そう、まして)談笑さんの会でもなく、ひたすら談志首領さまのための会なのであるから、家元が喜んでいればそれでいいのだ。

これで時間かなりオーバーのはずだから、私の挨拶とかはたぶんナシになったな、と安心(?)していたら、後ろから談笑さんが肩をたたいてきて、
「次、お願いします」
と。
うわ、この後? と、少し(いや、かなり)オドつく。

こんな凄い演奏のあとで、何しゃべったってウケやしない。最初の予定ではかなり感動的なエピソードなど並べて、表向きの顔で通そうとしていたのだが全部棄却。来賓の挨拶は私で最後、ということだったのでどうせ最後なんだから、と開き直り、
「ただいままでは“いい”談笑さんの会で、この後は“悪い”談笑さんを担当いたします」
と、トンデモ落語会からのつきあいを話し、
「この会で快楽亭ブラックたちと・・・・・・あ、失礼しました。不吉な名前を出してしまいました!」
とか
「今日は“談笑へえ”のエピソードを用意しようと思ったのですが、並べてみるとどれひとつ、この席では言えないネタばかりで残念であります」
とかやったらウケた。

とにかく短くまとめようということで頭がいっぱいで、短くまとまったのはよかったが、ビターな中にも織り交ぜようと思った“いい話”は全部忘れた。

今回の家元ヨイショ大会の中のブラック・シープ的発言になってしまったかもしれない。まあ、降りたらおぐりが
「ナイススピーチじゃないですか!」
と褒めてくれたのでいいか。

その後、立川談遊こと山本晋也監督のスピーチで〆。
再び一門の真打、二つ目が壇上に並び、最後までつきあってくれた家元が
「アメリカン・ジョークと挨拶とどっちがいい?」
とテレながら、もちろんどちらもやってくれ、さらに音頭をとって三本締め。トテカワYさんが
「いい会でしたねえ!」
と感動していた。

とにかく参会者の数がハンパでない。料理のあっという間の無くなり方からみて、予想の1.5割増くらいで客が集まったのではあるまいか。

不満を言えばあまりにでき過ぎた会であったことで、も少し毒を入れてもいいと思ったが、まあそれは独演会常連たちとの席でということで。噺家らしいシャレで用意された家元の等身大立て看板の前では写真撮影引きも切らず。おぐりは談四楼師匠、談春師匠などに挨拶回り、彼女に紹介されて慎太郎さんと挨拶。

前田隣先生、左談次さんとはマイミク申請のお願い。そして最後、やや緊張しつつ家元と談笑さんの並ぶ前へ。単なる挨拶程度かと思ったら
「・・・・・・思い出したヨ。先生ってェから誰かと思った。小野チャンのとこの子じゃねエか」
と言葉をかけてくれて
「彼ともいろいろあったけど、俺が彼のおかげでテレビとかに出してもらったって事実は事実だからナ。それは感謝してンだよ。・・・・・・あンた、いつか俺の『たがや』を絶賛してくれたろ? あれは本当にうれしい評だった。・・・・・・もうあんなのは出来ねえけどナ。今度、一緒に飲もう」
と話しかけてくる。

そうか、ブラックシープ的な人選で“浮くんじゃないか”と心配していたが、家元にとっては“旧友の甥っ子”なのである。これも談笑さんの家元の涙腺を刺激する選択肢のひとつだったのだな、と思い、その深慮遠謀に改めて感嘆。

エレベーターの前でさらに声をかけられた。裏で挨拶など立ち働いていていた川原さんにも挨拶、あと写真撮影に何件か応じ、やっと会場を出る。

パーティ料理というのはとにかく、口をつけるだけにとどめる主義なので腹が減った。駅前のローズアンドクラウンで同じテーブルの開田夫妻、睦月さん、Yさん、おぐりと乾杯。案じてはいたがやはり睦月さんがYさんを非常に気に入って、いろいろ話しかけていた。やや、気になる。

おぐりは緊張ほどけたかハイテンション、
「カラサワさん見て、“ああ、知識人にはマゾが多い”というのは本当なんだな、とわかりましたよ!」
などと口走る。そりゃキミとつきあうとマゾにもなるわ、と言いかけてやめておく。11時ころ、解散。開田さんたちと地下鉄で。

「家元は私に会うと最近必ず“『たがや』を褒めてくれた”話をするんだけど、実は褒めたのは『黄金餅』なんだよね。『たがや』は雑誌の原稿で褒めたんで、それを誰かから聞いたんだろうか」
などという話題。

帰宅してメールチェック、半身浴。談笑さんとのあれやこれやを想う。最初、トンデモで初めてこの人の高座に接したとき、私は談笑(当時談生)という人は、芸人には少し頭がよすぎて向かないのではないか、と思っていた。

この“頭がいい”はいわゆる高等教育を受けている頭のよさ、という意である。高座での視線が、やはりインテリ特有の高踏的なもの中心で、わからない者は相手にしない、という一種の切り捨て型だった。

それがある時点から、急に固さがとれてきて、人間的に、バカも半可通も分け隔てなく受け入れて、ちゃんと彼らにもわからせる、いやわからないまでも同じ視線で語りかける、という芸風になってきた。それまでは創作話芸パフォーマーだったのが“あ、落語家になった”と驚いたものだ。いろいろキッカケはあるだろうが、私はやはり“あの件”からだと思っている。

“芸人”立川談笑の脱皮をリアルタイムで見られたのは、今思えば、私にとって幸運な体験だったかもしれない。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa