裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

24日

日曜日

ほとびゆく人類

 このままでは人類はふやけてぶよぶよに。焼酎と地震情報で疲れて寝こけていたがふと目を覚ますと四時半。あわててテレビつけたらコミビアをちょうどやっていた。地震情報番組体勢で飛ぶのではないかと心配していたが、地震情報画面で小さくなってはいたがちゃんとオンエア。……第一回よりはるかに見やすく、また声も聞き取りやすく、面白いのに驚く。編集とダビングにスタッフが慣れたということか。おぐりゆか、まだカンペを追って目が流れているが、その存在感、前回の三割増しくらい。このまま大きくなっていったら凄いと思う。こんな時間にブラウン管で見た人物を十数時間後に舞台で観る。思うとまたなかなかおもむきのあるものである。

 とはいえ、脳天気に喜んでばかりもいられぬ地震の惨状。また例によって“これは天災ではない、人災だ”とか喚いている者もいるようだが、マグニチュード6.8なんて規模の地震が人災なら、天災なんてものは無いに等しくないか。人の力には限界があるし、そこまでの災害に常に備えなくてはならない、となったら、日常生活が破綻を来すだろう。人間は常にリスクを背負って生きているのだ。準備結構、防災意識結構。しかし、いざ災難が降りかかった際の選択肢のひとつに“天命と思いあきらめる”という一条を用意しておかなければ、真の心の平安は得られないのではないか。 現代にそれを説く紅羅坊名丸先生はいないのか?

 しばらくネット、5時半再就寝、6時45分起きて入浴、7時35分、ベル鳴って母の部屋の台所でサツマイモ小二切れ、バナナ半本等で朝食。いろいろ準備して、8時45分のバスで渋谷へ。日曜のバスは行事に出かける子供がたくさん。子供の顔と いうのは今も昔もそう、変わらない。引率の先生の顔が大違い。

 仕事場でさっそくFRIDAYコラム一本書き上げ、メールする。日記つけ、さらにコミビア台本一本、先行して書く。おぐりゆかに加え、ちょっとアイデアがあってうわの空の宮垣雄樹(みずしな孝之の相方)を使いたい。座長の許可と本人の許可を 得るために、台本を持っていく必要があるのである。

 昼、オニギリ。昨日の釜飯の残り。納豆と豚汁。リーディングライブのチラシのコピーしばらくやる。鈴木タイムラーKさんから、コミビアで私とおぐりの似顔を描いてくれている(五回目放映分より)みずしなさんの名前をエンドクレジットに入れる際の表記の件メール。マンガ家がみずしな孝之で、役者が水科孝之、だったっけ。

 4時45分、家を出て地下鉄銀座線、上野広小路駅まで。お江戸広小路亭にてうわの空藤志郎一座お笑いライブ『vol.31』。すでに会場前に長蛇の列。先に上がらせてもらい、楽屋口にいた新スタッフ(先日の藤志郎さんとのトークバトル時に紹介された)Tさんと挨拶、朗読ライブチラシを今日のパンフに折り込む作業を手伝ってもらう。階上の舞台の方からは最終リハの声が聞こえてくる。ちなみに、恒例のパンフ表紙のツチダマさんのイラストだが、今回はおぐりの地上波レギュラー決定記念バージョンで、おかげで私も劇団メンバーに混じって顔を載せてもらえるの光栄に浴した。ここに顔を載せるのは、私の年来の野望のひとつであったのだが、案外簡単にかなってしまって、さて、あと何を目標に生きていこう、というようなものである。折り込み作業をTさんとやっていると、これも新スタッフのKさんがやってきて、手伝ってくれる。二人ともミクシィに参加しているので、名前などは知っている。劇団の、役者ではなくスタッフに新顔がどんどん入るというのは、その劇団がのびている 証拠であろう。

 やがて会場、先に会場入りさせてもらい、ティーチャ佐川先生と隣に座って、雑談する。写真の堀川さん、“コミビア、面白いですね”と。見てくれているのか、と喜ぶ。まったく、あの時間帯では気軽に人に“見てね”とも言いにくいのだ。やがて入場、知り合いで一番乗りはみなみさん。開田夫妻は今日は『亡国のイージス』取材に静岡まで行って、その帰りに立ち寄るとか。次から次から人が入ってきて、やや桟敷の方など、2時間この状態か、とちょっと心配になるほど。で、少し笑ったのは、うわの空のお客さんというのは、他の劇団に比べ、オタク度が高いということ。コミケなどで見慣れた体型の客が多いのである。ふつう、小劇場の客というのは、同業の男優女優さんが多く見られ、どこか一般人とは異なる雰囲気をただよわせているものだが、うわの空の客席にはそういうスカした顔の男女はほとんどいない。おなじみ“破裂の人形”さんも、かなり早くに並んでいたとみえて、椅子席の方についていた。

 やがて定例の前説、ツチダマさんは以前はただ座長の隣に立っているだけ、という感じだったのだが、一ヶ月公演で毎日前説をやってから、板についたというか、ちゃんと“相方”というイメージがピタリになってきた。さすが活性化真っ最中の劇団だけあって、告知がやたら多い。まだあるまだあるで、この前説がやたら延びた。

 そしてコント開幕なのだが、これが非常に困ったものなのであった。あまりに今回は描かねばならぬポイント(前回までとはちょっと異なった趣向、テイスト、新登場キャラクター)が多くて、全部を書き記してしまうと、本公演の感想より長くなってしまう。そんなことではさなきだに長いこの日記が、いつまで書いても終わらない。桟敷席に、このあいだの青二プロの朗読ライブのスタッフをやっていたOさんがいら して、この人がサイトのブログに、公演の記録をつけている。
「唐沢先生がもっと詳細かつ的確にレポートをアップされると思うので」
 などと書いてあるが、なに、余計な知ったかぶりの分析などない分、こちらの方がよほど的確かつ良質なレポである。詳細が知りたい方はこちらを参照のこと。
http://blog.livedoor.jp/monapopu/archives/8547291.html

 余計なことをヌキにして、今回、来場された方が来場しなかった人よりも人生を豊 かに出来たポイントは以下の6つ。
・小林三十朗の落語
・水科孝之&宮垣雄樹の新感覚コント
・尾針恵の“ガオー”
・島優子の宅八郎(!!)
・土田真巳の(!)ペ様(!!)
・おぐりゆかのダーウィン発言
 これに、常連さんはプチマロンアイランド再結成と、ひさびさの“座長となおみさん”が見られ、非常に狭い範囲内の楽屋オチだが、座長と尾針の×アメ×クさんコントは、座長がこのアイデアをどこで得たかが『鈴木タイムラー』収録に参加したメンバーにはまるわかりで、つまり楽屋はともかく、この立錐の余地もない客席でわかるのは私一人、という超贅沢なクスクス笑いをもらすことが出来た。

 小林三十朗の落語は、どこでヒネってコントにするのかと思ったら、古典落語『無精床』をそのまま演じるというウルトラストレートで、まさにこれは『悲しみにてやんでい』の予備家予備八が、あの寄席の高座で二十年前に演じた高座そのままなのだろうなあ、と思えるもの。レベルはというと、ブラッCの下(彼は古典は案外きちんと入れている)くらいか。これで客席が笑うのは、そう、なんというか、つまり、そ の、小林さんの“人徳”なのだろう。

 今回一番の問題作、水科&宮垣のキノコ狩りコント。ギャグらしいギャグは、“キノコ”と“子猫”の音の相似、というそれだけで、最後まで客をひっぱる、不思議とも奇妙ともつかぬ味のコント。うわの空の笑いというのは、たとえ冷え切った客席であっても、力業で強引に爆笑にまで引っ張り上げてしまう、いわばタテ方向にベクトルがある笑いなのだが、このコントは、ベクトルが横方向。それも引っ張っていくのではなく、手をとって誘導されているうちに、知らない場所に連れていかれてしまっ ていた、というような感じのもの。

 これが問題作なのは、うわの空という、ある意味非常にカラーのはっきりとしている劇団の笑いとは明らかに異質な笑いであることと、もうひとつ、みずしな孝之さん の『うわの空注意報』の中で“唐沢俊一が”評している如く、
「うわの空の芝居の魅力は小劇場小劇場していないところ」
 であるにも関わらず、その雰囲気に、小劇場的な部分が如実にあるところ。ところが、客席がワンワという受けだったのは、ギリギリのところで、このコントが“不条理”ではなく“お笑い”の範疇にきちんと踏みとどまっているところと、とにかくにぎやかにはしゃぐうわの空ライブのステージの中で、アクセントとして作用していた ことがあるだろう。

 もちろん、客席が満員で、テンションが異様に高まっていた、ということも理由として大きい。これが例えば半分の客数だったりしたら、果たしてこれだけ受けたか、はちと疑問である。こういう地味系ギャグは実はコント作家にとっては魔力があるらしく、昔あの大恐慌劇団も『白蛇抄』などという地味コントを作って、質は高いのにさっぱり受けなかった例がある。今後、水科さんがどうこの調子のものを発展させていくか、興味はあるが危険性も感じないわけではない。しかし、なんというか、神経にこれは後遺症が残るのですね。低温やけどみたいなもので。しばらくこの内容が頭 の中で反復され続けるような気がする。

 そして、後半のほぼ全ての時間を使い、途中で休息まで入る恒例『勝ち抜きクイズグランプリ』拡張判。新キャラ続々登場だが、『てやんでい』の江戸家みけと三増紋寿のコンビが登場、みけが例の必殺“ぷい!”と、ゴジラの“ガオー”を連発、対戦相手を攻撃するが、だんだんその毒にコンビの紋寿の方がやられて、聞くたびに“可愛い!”とぶっ倒れたりするのがなんとも。

 そして二大超強烈キャラが、島優子の、看板女優としてはある意味危険な賭けであるキャラ“宅八郎”。これがあまりの似方、ムードの出ていることに、会場の客たち驚倒絶倒四転八倒。広いおでこに神を垂らし、暗くうつむいていたかと思うと突如キレ出して怒鳴り散らすあたり、実録映画がもし作られれば主役に抜擢されるのではないか、とさえ思えた。そしてこれとコンビを組むのがあのぺ・ヨンジュン様。演じるのは……土田真巳! こりゃ卑怯なまでに意外なキャスティング。しかもソックリ。会場中が、登場したとたんに“うおー”と驚愕したほどインパクトがあった。これも『うわ注』で私が
「私としては一度舞台に立ったツチダさんが観たい」
 と言っており、確かにこれは秘かな私の人生における願望だったのだが、これまたあっという間にかなってしまい、まったく、家に帰ったら首でもつらないと申し訳ないみたいな、 盆と正月が一緒に来たような本日の舞台であった。

 そしてこれら強烈なキャラたちを仕切るのがおなじみおぐりゆか。笑いの神様、今日もまた降臨しっぱなしで、カメという答のヒントに“マダガスカル”と言って、座長に“ガラパゴスって言ったつもりだな?”と突っ込みを入れられたり、ヘビとカメの関係を“ダーウィンで言えば近い”と表現したり、“ダーウィンとウェッジウッドは親類らしいですよ”と変にマニアックなトリビアを言いだしたりして、もう完全に観客たち、おぐり女王サマの言葉を貰い受けようと手を上に向けてかざしているバクシーシ状態。神経症じゃないか、というくらいキンキンとした笑いが場内に渦巻いていた。……逆にいうと、あまりにまんべんなく神様が降りてきていたので、もうちょい、ポイントを絞って神降ろしした方がいいのではないか(笑いにダンドリがあった方が爆発力が増すのでは)、などと贅沢なことを思ったほどだった。終わったあと、全力で100メートルを駆け抜けた程度にはエネルギーを使ったと思う。

 その後、近くの和民に移動して打ち上げ。村木座長とおぐりに、次のコミビアの仮 台本を見せて、宮垣を使う許可を貰う。おぐりが
「ええー、宮垣のおかげでせっかくのわたしのレギュラーコーナーが無くなっちゃっ たらどうしよう!」
 と非道にもすぐプレッシャーをかける。座長も“こんなの、ダメですよ。海谷さんを海賊の役で出せばどうです?”と蹴っ飛ばすようなことを言う。プレッシャーで大緊張している宮垣くんに破裂の人形さんが
「何ビビっているの! 役者なら出なきゃダメだよ! 地上波だよ! もう二度と出られないよ!」
 と、これも聞きようによってはえらく問題のある励ましをしている。破裂さんは十年前まではアイドル業界に身を置いていた人だけに、地上波とることの苦労を最もよく知っているので、こういうコトバが出るんである。しかし、これに限らず、今日は破裂さんのごきげんが極めてよく、水科さんの手を握って、“やっと水科さんが本領を発揮してくれた!”と感極まって叫んだり、これも静岡から直行してテンション高 い開田あやと丁々発止でやりあったり。

 島さんと、スタッフのKさんとも話す。島さんもうわの空には最初、スタッフで加わった人なので(このうまい人が信じられないが)、裏方の人とも話が合う。昔、落語界の裏方をやっていた時分の話などを少し。裏方は役者より実は舞台の快感を味わえる立場だ、と、先輩に言われたことを受け売りする。みずしなさんには“『子猫とチャット』なんて作品描いている人が子猫狩りなんてネタやるとは……”と。

 もう、なんだかテンション高くてはしゃぎまわっていた記憶があるだけで、あと果たして何を言ったか記憶にない。開田あやさんに
「おぐりなはあ、そこらの脱がなきゃ三文の価値もない女優とは180度違うんだ!つまり、脱いだら三文の(以下強制削除)」
 というようなことをわめいて“カラサワさん、今日は変だよ!”と、今日は変な破裂さんに、ゲラゲラ笑いながら抱き留められていたようなぼんやりとした記憶が。どうも、気圧前線に異常があったらしい。

 JR最終で秋葉原まで行き、座長やおぐりを見送って、宮垣、Tさん、若手陣、それに小林三十朗さんと総武線。小林さん、おぐりが最近自信がついたいい顔になってきたという。そして、宮垣にも“テレビくらいびびんな、出ちゃえ出ちゃえ”と声を かけていた。この人が一番うわの空では常識的人情家だ。

 中野から開田夫妻とタクシー乗り合わせ、1時半帰宅、顔のみ洗おうと風呂場へ。脱衣場で、帽子をとった己れの顔をしみじみと鏡に映して見る。薄くなった長髪が乱れて広い額にかかり、顔が痩せたせいか度の強いメガネの奥で、目が気味悪いくらい大きくぎょろりとしている。鼻筋も脂肪が落ちたせいか、以前よりトンがってきた。日本人離れしているご面相である。誰かに似ているとフト思って一瞬後に思い出し、ギョッとなる。『ファントム・オブ・パラダイス』のウィンスロウ・リーチ(ウィリアム・フィンリイ)とソックリである。今の自分がやっていること(やろうとしていること)と思い合わせると、シャレにならない相似形ではないか。運命か?

Copyright 2006 Shunichi Karasawa