裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

2日

土曜日

ウィーンウィーン少年合唱団

 天使のバイブ(まあ、お下品)。朝6時15分起床、メールチェック。体重を測るが、前夜の暴食にも関わらず体重増なし。ホッとする。それから朝食時、血圧を測るに、下が90を切る。酒粕ドリンクの効用か? 母、まだモバイルの調子が悪くメー ルが受信されない、と言う。

 8時45分のバスで仕事場へ。土曜なのに混むのは、日・月と連休だからである。非常にわかりやすいというか、予想つきやすいというか。仕事場入ってすぐに、『鈴木タイムラー』の台本書く。最初なので、ナンにも手掛かりなく(それこそ私とおぐりのキャラ設定すらまだ明日の打ち合わせの結果待ちである)、書き出すのに非常に苦労というか初期馬力を要するが、なんとか書きだす。書き出してカタチになってきたのを見ると、なんとなく、“おお、いいじゃん”といった感じになってくる。

 昼は参宮橋までバスで出て、道楽のノリラーメン。本当は昨日焼肉なんて脂っこいものを食べたので、ソバあたりにしなくちゃいけないのだが、ちょっといろいろ気に かかることあって、ヤケラーメンである。えいくそ。

 知り合いの編集者Nくんから来信。見ると、勤務していたB社をこのたび退社いたしました、勤務中はなにかとお世話になり……という挨拶状。よくある挨拶だが、この人からこういうハガキを貰うのももうこの何年かで4回目。有能な編集であるのだが、とにかく尻が座らぬのが癖というか、最初A社で仕事して、その後すぐに退社して以来、G社、H社と転々とし、(G社にいたってはほとんど数ヶ月もいないでやめた)そのためにライブを開くなど大がかりに進めていた企画が途中で退社のため流れたりした。しばらく浪人状態で、作家のD氏に世話になっていたらしいが、去年の末に連絡があり、Bという新興出版社に入ったと本を持ってきた。そこは現在は翻訳専門の出版社だが、一年くらいたったら日本人作家の本も出せるということで、そうしたら是非、中断していた企画を再スタートさせますので、それまでお待ちください、 という話を して、そろそろ一年目、というところで、退社。

 企画のことはともかく、入社のとき、そろそろ腰を落ち着けないと、履歴でこれだけ転々としていると、次の就職にさしつかえるから、と言っていたのに、大丈夫なのだろうか。何があったかは知る由もないが、次の行く先も葉書の文面にはなく、ただ 手書きで 「大変ご迷惑をおかけしまして……」とだけあった。心配である。編集者で社をあちこち移る人は珍しくもないが(それがこの業界の特徴みたいなものだが)、こうしょっちゅう飛び移る人も珍しい。病とい うか、運命というか。

 おぐりとワークスにメールした後、家を出て銀座線で日本橋まで。トンデモ落語会である。地下鉄駅で朝日新聞夕刊を買い、自分の“ピンホールコラム”を読む。このピンホールコラムの執筆者中では私は山口文憲氏の文章が一番達者であると思っているのだが、今日の氏のコラムには(相変わらず文章はむちゃくちゃに達者なものの)やや、首を傾げた。要するに、昨今話題の、皇太子殿下が撮影された愛子さまビデオで、愛子さまが“パパ”と皇太子を呼んでいたことを、新時代の天皇家の象徴、として称えている内容で、それはいいのだが、別に天皇家で父親をパパと呼んだのは、何も愛子さまが初めてではないと記憶する。呼ばれた皇太子自身、ナルちゃんなどと呼ばれていた幼児の頃は、両親をパパ、ママと言っていたはずだ。幼稚園に入り、きちんと人前に出るようになってから“おたあさま、おもうさま”に変えたのであり、たぶん、家では(この言い方も天皇家にはおかしいか)長いことパパ、ママだったのではないか。幼児にとってパパ、ママは一番発音しやすい呼称であり、プライベートでそれを使うのは何もおかしなことではなく、これを問題視する者たちがそもそもおかしい(今の天皇制支持者が支持する明治以来の皇室は洋風生活が基本である)が、しかしパパ・ママ呼称をまるで現在の皇太子家が最初の使用例として賛美するのには、 ちと疑問が残るのである。

 日本橋の三越前駅は改築中で、出口がやたら閉鎖中であり、ちと構内で迷う。なんとか出て、お江戸日本橋亭。藤倉さん、IPPANさんなどの姿。睦月さんも久しぶりに来ていた。開口一番が白鳥なのは驚いたが、次の仕事が入ってるので、ということで。それから以下ブラッC、昇輔、談笑、中入りはさんで談之助、ブラック。中入り後にいきなり川柳さんが私服で出て、“昼に出ていたんだけど打ち上げに誘われたんで……”と、野球の話題で漫談みたいなものをひとくさり。すでにいささかきこしめされているようで、打ち上げに出るのなら出来るだけ離れて座ろうと決心。

 レギュラー陣、いずれも今回はそれぞれのキャラにあった作で、聞きがいのあった会だと思うが、圧巻はなんといっても談笑のメタ落語だろう。マクラで、思いつきでやったらしい“ヒロシです……”ネタの言語道断なパロディが案外の大ウケで、これで本編で失速しなければいいんだが、と心配していたのだが、それが杞憂に終わるくらい充実していた。自分がどうも落語の中の登場人物らしいと気がついた主人公が、この落語がサゲまで行くと自分が消失してしまう、という事実に恐怖し、それを阻止しようと、いま、ここで立川談笑という落語家が落語をやっているお江戸日本橋亭にやってくる、というもの。ラストではブラ汁が主人公役で本当に談笑を追い出し、高座に座ってしまう。下手すればシラケになってしまうところを、ちゃんとギャグにまとめてしまう談笑の力量も大したものだが、それをギャグとして受け止めてしまうトンデモ落語界の客たちも凄い(談笑は“オタク”と言って嫌うようだが)。終わったあと、FKJさんがいたので、
「草月ホールが喜びそうなネタでしたね」
 とか話す。

 打ち上げは神田の焼肉屋。日本橋亭の弱点はここくらいしか、ロクな打ち上げ会場を確保できないことである。天動説の人が挨拶してきてくれたので、“今日も打ち上げは焼肉だそうですが、いかれますか”と声をかけたが、さすがに今日は遠慮とのこと。K子とも合流して。川柳師匠の近くに座らされそうになったので、遅れてきた昇輔さんに“あ、ここここ!”と席を譲って、開田夫妻の向かいに。ワイワイとこのあいだの大阪旅行のことなどを話す。日記の記述に反応して、掲示板に妙な書き込みがあった、と教えてくれる。もっとも、そういうのをスルーするのにかけてはわが掲示板の常連はなかなかのものなので、すでに流れてしまっていて、管理人たる私も気がつかないままだった。昨日の今日でまた焼肉もどうかと思ったが、これまた案外食べ て飲んでしまう。

 帰宅後、メールチェック。今日の日記の上で書いた気にかかること、やや解消。この調子でいくぞ、という気になって寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa