23日
土曜日
つれない三四郎
ゆくぞとも声をかけてくれないんですよ(ケン坊&ボケ・談)。明け方の夢で、昭和二十年代の雑誌編集部が出てきた。大物評論家がやたら横暴な態度で新人の女性編集者を怒鳴りつけて泣かせている。その様子を私がみつめながら、“あの先生がいくら威張っても、鈴木サクミにはかなわないな”と言うと、編集部の同僚が“そうだそうだ、鈴木サクミは文章書かせても絵を描かせてもあの先生以上だ”と言う。この鈴木サクミという名前、いったい誰かと起きてから考えると、高校三年のときの担任の先生“鈴木作美(さくよし)”の名前の読み替えである。個人的にはあまり思い出したくない名前で、記憶の引き出しの底に押し込んでるのだが、わが脳ながら、よくまあこういう名前を選んで引っ張り出してくるものだ。
朝食、サツマイモ二切れ、バナナ三切れ、ブドー(クリクリで昨日貰ったもの)数粒、冷ポタージュティーカップ半杯。バスで久しぶりに仕事場へ。倹約したなあ、という気分になる。昨日仕事バリバリやった反動か、今日はダラダラ。小人閑居シテ不善ヲ為ス、というが、われわれみたいなモノカキ商売は、不善なことを考えつくのが 仕事なので、少しは閑居もしないといけない。
昼は参宮橋まで行き、道楽のノリミソラーメン。ギョウザも食いたいと思ったが我慢。またバスで帰宅、仕事場に行き閑居。70年代初頭のベスト・ヒットのCDを繰り返し聞く。南沙織の『純潔』って凄い題名の曲だなあ、と思う。歌詞を聞くとどこ が純潔なのか? と首をひねるが、
「嵐の日も彼とならば おうちが飛びそうでも楽しいのよ」
というのは凄い文句である。“私愛してる 彼も感じてる 恋は大事ね”って、そんなこと言ってる状況じゃないと思うが。五輪真弓の『少女』の“垣根のすきまから 少女はいつも 遠くを見つめてた”の後の
「かわいい仔犬たちが 年老いてゆくのを 悲しそうに見ていたの」
も、いくら犬の成長が早いとはいえ、仔犬から年老いるまでを見つめている間には少女も少女でなくなると思う。伊丹幸雄の『青い麦』の歌詞を読んで
「二人の恋には日向が似合うよ」
とあるのに、三十数年ぶりにアッと驚く。ずーっと、“二人の恋には田舎が似合うよ”だとばかり思っていたのであった。しかし、歌詞を読んでから聞いても、よほど 注意深く聞いてない限り“田舎が似合うよ”に聞こえる。
昨日原稿送った『漢字天国』から原稿受け取りのメール。それに添えて、刊行サイクル変更のお知らせ。〆切などはいつから変更になるのか、ちょっと混乱して、問い合わせ返信。あと、鈴木タイムラーのKさんから、テロップの件で問い合わせ電話と問い合わせメール。あと、サイトトップで告知していた東放学園オタクアミーゴス公演はすぐに申し込みが100人を超して、このままだと学園の生徒が見られなくなっ てしまうので予約を打ち切らせていただいた。
70年代ベストヒット聞き続き。『花のある坂道』(大石悟郎)の“その頃ぼくは感じやすくて 心はいつも傷ついていた”なんて歌詞に大笑いしたり、“だって地球はまるいんだもん!”という傑作フレーズで今なお知られるフォーリーブスの『地球はひとつ』の“地球はひとつ みんなの地球 地球はひとつ みんなの都”って部分は『ジーザス・クライスト・スーパースター』のテーマとメロディーラインが似ていて、てっきりパクリだとばかり思っていたら、あの映画は73年製作だからこっちの方が早いんだとわかって驚いたり。そもそも聞き直してみたらそんなに似てない。
ミクシィに書き込んでいる最中、6時ちょっとすぎ、グラグラ、と地震。かなり長い時間揺れていたので、ちょっと緊張する。私の仕事場は四方が本棚なので、耳をすませてどこかで崩れる音がしないか、と思っていたが、別にそういうこともなし。しかし、これだけの揺れは久しぶりで、震源地ではかなりなことになっているのではないかと予想。すぐテレビをつけてみる。新潟だそうだ。小千谷で震度6強というのに仰天。その割に、伝えられている画像にあまり緊迫感がない。新潟にいる某国営放送のYくんのことを思う。彼の出身地は有馬で、阪神大震災のときは両親の家が災害に合い、今度は本人が地震に直面とは、よくよく震災に縁がある人である。無事だろう か?
三つある書庫と、リビングに積み上げてあるビデオ、DVD類を点検。別に崩れたりはしていないのでホッとした。ひとつ発見したのだが、第三書庫のスチール本棚の下に、早川書房のポケットミステリの一山(十五冊くらいが)そのまま積み上げてあり、以前見たときは気がつかなかったが、このポケミスは、本来、スチール本棚の上に積み上げて置いてあったものであることに気がつく。綺麗にそのまま棚の下のところに移動していたので気がつかなかったが、これは上の棚から、積んであったそのままで下の方に落っこち、落ちはしたが山が崩れもせずに、そのままストンと、まるで下に最初から積み上げてあったように着地したのだろう。笑ってしまった。もっとも これは今回の地震ではない。先週の日曜の深夜にあった地震のときだと思う。
6時半、家を出て新宿へ行き、サウナ&マッサージ。サウナで汗を思い切りかいたら1.5キロ体重が減った。休息室でまた地震情報。NHK教育が、チャンネル全部を使って、現地の人々の問い合わせや状況報告の掲示板のようになっている。見ている客が新潟の人らしく、
「まずいよ、さっきから携帯をかけているんだがつながらない。新幹線も空港も全部止まっていて、明日帰れないぞ」
と会話している。
マッサージ受ける。後頭部のあたりに疲れが溜まっていると言われる。隣のベッドでは、女性客が揉まれながら“私、占いとか信じちゃう方なのよね”とか言っているのに対し、マッサージの先生が、
「ああ、でも占いっていうのは大体が心理的な会話術でしてね、中途半端にどうでもとれることを言っておいて、それを客に勝手に解釈させるのがコツなんですよ」
と答えている。その女性がさらに、“ドラッグとか興味あったりするのよね。試してみれば、凄い芸術的なイメージが見られるのじゃないかしら”とか言うと、
「いや、ドラッグで見るイメージって、案外単純で、誰もが同じようなものを見るんですよ。だいたい、ドラッグで芸術的な幻覚が見えるなら、ヤクザやそこらの不良た ちはみんなアーティストになれるはずでしょ」
とこれも否定。なにやら、と学会にスカウトしたいような先生の物言いだった。
帰宅、9時。地震情報、続けて見ながら家で母とK子とメシ。ピザ、塩豚焼き、自家製キンピラ、パイデザから貰ったラッキョウ、それにキノコ釜飯。新幹線の脱線で一人の死者はおろか怪我人もなかった、というのに驚く。被災者の方々にはまことに申し訳ない感情ではあるが、なまなかなスポーツやドラマよりも、天災の情報というのはドキドキ興奮して、テレビの前に釘付けになる。酒も量がいって、焼酎ソーダ割りを五、六杯重ねる。キンピラとラッキョウが、焼酎に実に合う。