29日
火曜日
与作は木を切る〜2×4(ツーバイフォー)、2×4〜
丈夫な住居だよ〜2×4〜、2×4〜。朝、8時起床。5時半ころからずっと、長い長い夢を見続ける。長いだけで大して面白くもなし。山中にある美大のような大学の学生たちが秘かに革命計画を立てており、私はそのリーダー。私は星を見る術を心得ていて、今の日本の支配者たる者どもはみな火の星座の者であり、来るべき革命でそれは水の星座に支配の座を譲る運命にある、と告げる。で、夢の中でその解説のようなものを延々とする。従来の星占術は単なる宿命論でよくないので、個々のキャラクターを星によって看破し、その組み合わせを考えなくてはならない、などと唱えていた。北一輝のパロディみたいな役柄か。
母から電話。日本に帰っても、もう誰も世話する相手がいなくて、自分の存在意義というものがなくなったみたいだ、という。それは悲しい人生である、これからは自分のために時間も金も使いなさい、と言うが、しかしそういうことに慣れていない、というのはあるかもなあ、と思う。豪貴の子供にお祝いを早く贈れという。ゆうべも実は夫婦でそれを話し合ったのであるが、母と180度異なって、自分のためにだけ人生を生きている人間であるK子が、“だってあの子はまだ生まれたばかりで私たちに何もしてくれていないのよ”と凄いことを言い、反対していたのであった。
12時、家を出て銀座線で京橋。ゴールデンウィーク初日である今日は、フリー職業の身ではあっても何か休日らしいことをしよう、映画でも観に行こうか、でも休日は込むからなあ、と思い、なら、と、本日のみの上映である京橋フィルムセンターの『逝ける映画人を偲んで1998−2001』の、『悶絶! どんでん返し』を観に出かける。神代辰巳の追悼とすると、彼は1995年没だから企画に合致しないのではないか、と思ったら、助演の粟津號の方だった。2000年3月15日、没。外を歩くと陽はうららか、初夏らしい、GWの初日にふさわしい日より。こういう日に、映画も多々あろうに『悶絶! どんでん返し』を観に行く、またよきかな。
京橋駅のA1出口から出て向かうフィルムセンター。火事で焼けて、立派に改装されてからももちろん足は運んでいるが、その以前はもう、ほとんど日参、という感じだった。なにしろ、学生当時、入場料が確か学生割引150円。いかに名画座全盛の時代とはいえ、ここほど安く映画の観られる所は他になかった。リバイバル公開前の『七人の侍』もここで観たし、ベルイマンの『第七の封印』も観た。最高の満足は、ドイツ映画特集で観た『会議は踊る』で、当時のノートに赤で三重丸が描いてある。エノケンの『近藤勇』はなをきと一緒に観て“♪佐幕の夜回り、ガーッコガーッコ、ガッコゲッコピョン”の歌で兄弟揃って腹をよじった。クリストファー・リーとピーター・カッシングの『吸血鬼ドラキュラ』なんかも、当時はここでしか観られなかった映画で、確か夏休みの帰郷を延ばしてまで観た記憶がある。ビデオ時代の今じゃ信じられない映画優先だ。映画優先と言えば、常連のほとんどが映画マニア、というより映画で身を持ち崩しました、という感じのお爺さんばかりで、世の中にこういう人種は多いのだなあ、と呆れていた。いや、映画というのはこういう人たちを生み出す魔力を持っているわけなのだが。その中に混じってまだ(比較的)若い、映画青年のような人もいたが、その中の一人が、あの当時の客席の木製の背もたれに、私が姿勢を変えるときにちょっと足をぶつけただけで、キッと振り向き、ヒステリックに“足を、ぶつけないで、クダサイッ!”と怒鳴りつけてきて、いや、確かにぶつけたこちらも悪かったが、何も泣き声で文句つけんでも、と思って合わせたその目が、自分に快く映画を見せないもの全てを許さないぞ、という目で、そのとき、ああ、映画に限らずモノゴトには常に一線を引いてつきあわないと、と、いう思いを強くしたものであった。今回のプログラムにも入っている『笛吹童子』のときだったな、ありゃ。
そんなマニアばかりな場所だったが、市川崑の『雪之丞変化』のときには、そういう客席が、まるで歌舞伎座か新橋演舞場かと見まごうような、長谷川一夫目当ての、和服姿でめいっぱいおめかしをしたオバサマたちで埋まり、仰天したものだ。その、平均年齢50代半ば過ぎ、というオバサマたちが、ゲスト出演の市川雷蔵が長谷川一夫の手を握ったときに、一斉に“いやあ〜”と声を揃えて叫んだのに仰天したのは昨日のことのように覚えている。……などと追想にふけりながら、並んで待つ。あの頃と同じ映画老人が私の前に並んでいたが、他に今日は若い人の姿、事に女性の姿が多いのに驚いた。以前、女性のためのロマンポルノ上映会といった催しで『悶絶! どんでん返し』が上映されて評判になったこともあるだろうし、こういう映画を観るにはフィルムセンターが一番抵抗がないだろう。
昼は買っておいたサンドイッチと牛乳で、ロビーで。うわあ、二十五年前と同じことしているよ、オレ、と呆れる。見ると、同様なことを例の映画老人たちもやり(私も将来は危ないかな、これは)、また、昔の私のような映画学生もやっている。館自体はどんなに綺麗になっても変わらない。爺さんたちは“今日は若い連中ばかりだねエ”と、何か残念そうに言い合っていた。『クルー』原稿用の資料本を読んでいるうち、上映時刻。ふと見ると、9割以上、席が埋まっていた。
で、『悶絶! どんでん返し』。これ観るの、実は心配であった。学生時代に(ここで、ではないが)観て以来なのだが、そのときは完全にアテられてしまって、どーんと落ち込んでしまったのである。ストーリィは有名なので今さら説明の必要もないと思うが、主人公のぼんぼん会社員がひょんなことでヤクザにおかまを掘られて、それがもとで一気にドロップアウトしてしまい、完全な女装のオカマとしてそのヤクザと、M趣味の情婦(谷ナオミ)との三人で、奇妙な同棲生活を始めるという話。東大は出たものの、伯父の常務のコネで入社した会社では無能扱いされ、結婚相手も勝手に決められて、社会に自分の居所を定められないでいた主人公(鶴岡修一世一代の好演)が、オカマに変貌することで、見違えるほど生き生きとして、アイデンティティを確保していき、ラストでそのヤクザにも、“化け物!”と突き放されると、完全に開き直った表情で、自分のことを奇妙な目で見つめる世間の人を、逆ににらみ返す。そして、顔半分化粧が落ちた、その“普通の”顔の方を髪で隠し、キッと前方を見つめて歩き出す。その前に、映画で身を持ち崩した老人たちを見ていたときの恐怖もそうだったが、あの当時、自分の不安定きわまりない立ち位地が、この映画を身ながらヒシヒシと思い合わされてきて、オレのアイデンティティはこの主人公のように、完全に表のまっとうな社会との絆を切らないと手に入れられないものなのではないだろうか、あの“化け物!”という罵倒は、世間から自分に向けられているものなのではなかろうか、と、秘かに恐怖していた思いを外気にさらされるような、そんな痛みを感じた作品だったのだ。
しかしあれから二十数年、こっちももう開き直ったのか安定したのか知らないが、この映画を、ちゃんとナンセンスとして笑えるようになったのは目出度しと言うべきだろうかなんだろうか。有名な花電車訓練(女たちが性器に吹き戻し笛をはさんで、粟津號が唄う『涙の連絡船』の“今夜も、汽笛ィが、汽笛ィが……”にあわせてピーと吹く)シーンも、昔は泣けてくるばかりで、笑えたものでなかったのが、今は素直にバカ笑いできる。今の私の立場だって、単なるフリーの貧乏モノカキであって、当時と大して違わない。自分が変わったのでなく、自分の立ち位地を客観視できるだけオトナになった、ということなのだろう。
上映終わってそこを出て、地下鉄銀座線で渋谷に戻り、3時、金王高桑ビル地下の『カフェ・ガボウル』にて、無声映画鑑賞会。連チャンで映画鑑賞とは、ううむ、なんか本当に学生時代に戻ったような日だな、今日は。金王高桑ビルは昭和40年代テイストの古くさいビルで、なかなかよし。案内をくれた佐々木亜希子さん(以前の紙芝居の会で紹介された女性弁士さん)に挨拶。いかにもこういうカフェ、といった場所で、客は全部で20人ほど。今日は子供の日が近いということで、日本とアメリカの子供映画特集。日本のものは山本早苗の『日本一の桃太郎』、瀬尾光世の『一寸法師・ちび助物語』、鈴木阿津志の『日の丸太郎・武者修行の巻』の戦前アニメ三本、アメリカのものはちびっ子ギャングものから『モンキー・ビジネス』、『ドッグズデイ』の二本。いずれも佐々木さんの弁士の他に、民俗楽器、ギター、シンセサイザーのトリオの伴奏がつく(『日の丸太郎』は松田春翠の解説つき、『ドッグデイズ』は伴奏音楽つきのフイルム)。
アニメの方はいずれも以前に見たことのあるものばかりだが、しかし改めて、当時の日本アニメが海外からの絵柄やギャグの積極的な取り入れ(悪く言えば模倣、もっとひどく言えばパクリ)と換骨奪胎に熱心であったことに感心する。さすがに山本早苗の桃太郎(1928)は和風だが、ちび助(35)や日の丸太郎(36)はディズニー、フライシャーの絵柄やメタモルフォセス的動きを堂々と取り入れており、例えば杉浦茂を語る際には、ここらあたりを経由しての日本の美術家たちへのアチラの絵の影響を押さえておかないとダメだろうし、それから、桃太郎はまず仕方ないが、後の二本に、教育臭がほとんどないことは指摘しておかないといけない。いや、桃太郎だって、鬼の頭をこづいたら目玉が飛び出してしまった、というようなブラックな描写は、教育とはかけはなれたものだ。マツダフィルム所蔵のものだからではなかろうが、アニドウの『世界アニメーション映画史』の日本のアニメ史の項にも、この桃太郎は“格別な興味をひくものではない”とそっけない書き方をされているが、そんなことはない、十分に興味も笑いもとれる作品である。この本には戦前の日本アニメは教育・啓蒙を目的とした、つまらぬものがほとんど、という書き方がしてあって、ちび助や日の丸のことをはじめ、多く作られていたであろうナンセンスものについて触れられていないのだが、これは今後、訂正していかねばならない史観ではないかと思 う。
佐々木さんの解説、声はいいしタイミングも上手いが、まだ、作品に対して遠慮している、という感じ。どうせギャグものなんだから、もっとどんどんアドリブなどを入れて、佐々木亜希子の解説、という風な個性を出していけばいいと思う。てなことを、終わったあと、少し話す。帰ろうとしたら、佐々木さんに、柳下美恵さんを紹介される。無声映画伴奏のピアニストとして著名な人で、柳下毅一郎氏の奥様。いやいやどうも、とご挨拶。これまで、無声映画の会などで何度かは彼女の演奏は聴いているのだが、直にご挨拶するのははじめて。ご主人にもどうかよろしく、と言って別れる。いや、なかなか充実した一日だった、と、学生時代ならそれで済んだろうが、この年齢では、仕事を放ったらかして一日遊んだ、ということになってしまうんであろう。オトナになるってのは嫌なものだ。
休日でうるさくにぎわう道玄坂を登り、東急本店地下で買い物して、帰宅、さて、と、モノカキに戻って仕事。9時、夕食。イワシのオリーブオイル漬け、ラム肉ジンギスカン。NHKで、1978年製作のブラジルの河津波ポロロッカの再放送(放送開始50周年記念)を見る。プロデューサーは『未来への遺産』の吉田直哉。当時の番組の方がやはり骨太に見えるのは、世代的なひいき目だろうか? そのあと、LDの棚などを少し整理。『トラ! トラ! トラ!』のLDを少し見てしまう。撮影が姫田真佐久、日米合作の戦争大作も撮り、『悶絶! どんでん返し』も撮る。その幅 に感服。