15日
火曜日
ばからしい、ふしんせん
「花魁、あの船は北朝鮮のスパイ船じゃないかねえ」(花魁言葉シリーズ第三弾)。朝、7時45分起床。明け方から、ノドのイガイガと鼻水のダラダラでよく寝られなかった。朝食、おとついの残りのわっぱ飯茶碗半膳と、大根の味噌汁。K子にはモヤシ炒め。
朝、ゆうべ送った天本英世追悼記事に、つけたしを数行加えて、メール。原稿と一緒に私信も附しておいたら、“そのエピソードも面白いのでいれてくれ”と言われたのであった。小雨がショボつき、肌寒い。微熱続き、鼻がグズる。やはり風邪気味のところ、昨日ムリをしすぎたのが祟ったらしい。少し横になって、眠るでもなく起きているでもなくトロリトロリ。
昼に外出して、SFマガジン用図版を井の頭こうすけ氏のもとへ宅配で出す。それから、ラーメンでも食おうと兆楽方面に向かうが、鼻水がもう、ボタボタというか、ジャアジャアではないかというくらい出る。これではとても外ではメシが食えん、と東急本店地下でチャーハンのパックを買い、家に帰って食べる。ささきはてるさんから電話。『新現実』のこと。それから“アレ、ひとひねりしてありますよね”“いやさらに半回転、ひとひねり半ってとこですね”“アッハッハー、でも、それ絶対、読む方の八割方はわかんないんじゃないんですかー”“いいんじゃないんですか、馬鹿にはどう言ったってわかんないんだし”“カラサワさんは作家だからそう考えるんですよー。ワタシは編集者だから、どうしても間に立とうとか思っちゃう”などと、しばし雑談。チャットや携帯メール文化の発達で、なくなったのは“行間を読む”技術であるということなど。含みを持たせたりした書き方はまず、伝わらない。
ネットで、マンガ家の華倫変死去の報。3月19日に亡くなっていたとのこと。人の死に関して、いちいち動揺はしないタイプの人間なのだが、今回のこれに関してはいささか愕然とせざるを得ず。心不全という発表があったが、その死因をこれほど信じられない人も珍しい。大体、連絡がぷっつりとれなくなってから、あちこちから電話やメールが何度も何度も届いていながら、なぜ一ヶ月近くも、その死を家族は出版社や知人等に報せなかったのか? いろいろネットなどを回り情報を集めるが、どうも塚原尚人くんのときと似たような精神状態であったようだ。痛々しい。
私が最初に彼の『カリクラ』を取り上げて評論したのは、1999年、ぶんか社の『ホラーウェイヴ』で、であったか。それから同時期に出た『B級学』でもやはり取り上げ、私はいささかはしゃぎながら、この、たぶん現代のマンガ状況の中でのおさまりどころがなさそうな才能を、喧伝しまくったように記憶している。そういうタイプの作家が好きなのである。偶然だが、彼もまた私の本はよく買って読んでいたそうで、また、後に私が連載をはじめたWeb現代の初代担当Iくんが、彼の担当だったこともあって、これだけご縁があるのならと、その連載をまとめた『裏モノ見聞録』を出版するとき、彼に前書きマンガを描いてもらった。しかし、なにしろその頃彼の住まいが東京から遠い土地であったため、なかなか顔をあわせる機会がなく、また、たまの上京のときはこっちが忙しいというようなことで、Iくんに、会える折があったら一緒に飲ませてよ、と頼んであった。結局、一度も会えないままになってしまった(彼の日記の中には何回か“カラサワ先生がこう言った”とかいう文章が出てきているが、全てウソである。会ったことも、メール一通交わしたこともなかった。あ、ナンビョーさんの旧BBSに書き込みしてきたことがあったな)。
彼の作品を読むたびに感じていたのは、現実感覚の消失である。ちょうど今の自分が風邪をひいて、味覚があまり効かなくなっているのが、何だか華倫変の作品に似た感覚だなあ、とぼんやり思う。ものを食べても、味がぼんやりとしか感じられない。はっきり感知できるのは、苦みや辛味ばかりである。彼の作品の登場人物たちは、まあ最初から世間との折合いが悪い者たちばかりなのだが、それがさらにまた、摩擦係数の大きい方へ、大きい方へと自らハマりこんでいく。逃げればいいのに、なにも自分からつらい方へ近づかずともいいのに、と思うのだが、傷つき、痛みを感じなくては、現実感覚が取り戻せないのだろう。サイトでも、自虐的なばかりに露悪的な発言を行う一方で、鬱病などについては凄まじい真剣さで、その病気への理解を訴えていた。一人の人間の中に二つの人格があった、などというと陳腐な言い方になるが、どちらも、彼の本質であったと思う。自分を救う(現実社会とのつながりを取り戻す)ためには、自分を破滅の淵にまで追い込まねばならない、という二律背反の中で、華倫変はもがいていた。……そのつらさを、作品を描くことで客観視し、昇華できればよかったのだが、彼は作品の中にまで、ストレートにその状況を反映させてしまっていた。こう言ってはなんだけれども、死の報を聞いて驚きながらも、どこかで、その意外性のなさもまた、感じてしまっているのである、私は。冥福を祈りたいのはやまやまだが、まず、どうしたって冥福などしそうにないタマである。永劫に中有の闇に迷っているのではないか、そんな気がして仕方ない。
Iくんとメールやりとり。追悼展をやるべく動いている模様。さて、生きている者としては風邪っ気だろうと気分がむしゃくしゃしようと仕事。SFマガジン原稿にかかる。が、さっぱり考えがまとまらず。風邪のせいか、気圧のせいか? 古書一冊、札幌北24条のブックス1/2からネット購入。札幌にいた時分にしょっちゅう通っていた、懐かしい店。『古本マニア雑学ノート』の中に出てくる、雨の中、当時の彼女と別れたエピソードが、この店の前であった。
8時半、まだ雨止まぬ中、神山町『華暦』。風邪を汗で流してしまおうと熱燗をたのむ。カンパチ刺身、生しらす旨し。こういうものの味がわかるということは少し回復気味か。しかし、やはり飲んでいると心臓がバクバクしてしまう。今日は客の数も少なく、しかもみなはやばやと帰ってしまい、われわれがラストの客となる。体が火照り、こりゃあかなり熱があるよ、と体温計で測ったら26.7度。拍子抜け。