裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

12日

土曜日

柳家キングジョー

 ペダン星軍二等卒、ヤマシタケッタロー。朝、7時20分起床。腕、相変わらず痛む。夢遊病で夜中に外に出て、通行人にラリアートかましながら歩いているのかも知れない。どんよりとした空気。朝食、ソーセージとライ麦パン。都知事戦、この近辺にはほとんど回ってこないのか、ウグイス嬢の声も聞こえず、どうも実感できない。入浴、服薬、如例。トイレ読書に、L・フェーヴル他『書物の出現』(ちくま学芸文庫)を再読中。クロード・ガラモンという人名が出てきて笑う。と、思ったらローラン・アニソンという人名も出てきた。

 11時45分、家を出て昨日も行った渋谷マークシティのスタバで昼食。シュガーコートドーナツとミートドーナツ。そこから銀座線で日本橋、さらに東西線に乗り継いで門前仲町。メトロポリスの本間正幸氏からのお誘いで、秋山呆榮氏による紙芝居『少女椿』全編通し公演。会場は門仲天井ホールなるところで、少し迷った。門前仲町とは靴屋の多い町だと思う。

 会場はモスバーガーあるビルの8階。本間氏に挨拶。相変わらず活発。いろいろと人に引き合わせてくれる。この会はマツダフィルムコレクションの肝煎りで、杉本五郎の流れにいる者としてはなかなか複雑な思いなのだが、スタッフの一人に、澤登翠の弟子の女流弁士、佐々木亜希子さんという人がいた。安達祐美似の美女である。つい、いや、これは珍しい、と言いかけてしまった。アワワ、である。いや、どうせ弁士の仕事なぞ、暗がりでやるものだから、美女かどうかなどどうでもいいのだが、それにしてもこれまでは(危険水域に入るのでやめる)。

 秋山呆榮氏、去年大患をされて、復帰もあやぶまれていたのだが、今回見事に一年ぶりの紙芝居公演、しかも『少女椿』通しはこのベテランにして初めての経験だという。加藤嘉にちょっと似た風貌、ハンチングにテキ屋の柄シャツ、腹巻き、ハッピというスタイルは伝統的な街頭紙芝居で、梅田佳声氏の、瓦版売りを元にしたオリジナ ルスタイルとは流派が違う、という感じ。ところが開口一番、
「この分野では梅田佳声さんという方がいらっしゃいまして、この人が『猫三味線』という、これは実にグロテスクでユニークな作品の通し公演をされている。……それに対抗して、というわけではございませんが……」
 とはじめて、ちょっと驚いた。一回につき10〜11枚でお後は明日……とつなげていく(大体ひとつの話は21巻が基本)紙芝居の世界で、“全巻通し”をやるというのは、元が街頭紙芝居出身者でない佳声さんにして初めて思いついた、いわばコペルニクス的発想だったのだろう。ところで呆榮氏は70歳。まだお若いのだな、と、ちょっと驚いた。佳声先生が74歳である。

 お客さんは30人程度。本間さん、大学関係者とか研究者の人にもいろいろ案内を送ったのに、来てくれたのはカラサワさんだけです、と、ちょっと憤慨。確かに、あの『少女椿』の全編通しを見ようとしないで紙芝居を研究してます、と公言しちゃいかんだろう、と思う。マツダフィルムの上映会の会員のお爺さんたちが三分の一、若い女性客が三分の一、若くない女性客と、あと業界人(文藝春秋社のカメラマンと、逓信総合博物館の人など)、それにこういう大衆文化好きの人たち。若い方の女性客の一人が、“あの、失礼ですがカラサワセンセイですか? ファンです”と、握手を求めてきた。まあ、私のファンならこういうものを見にくるのも当然か。これを見た後は、新宿でフリークス映画のオールナイトに行くそうである。なかなかの趣味。

 最初は『妖精ベラ』、前半と後半。本当は中盤もあるのだが、それは紛失しているとのこと。とはいえ、グロ味十分、ナンセンス十分で大いに楽しめる。呆榮先生の語りは、佳声先生に比べ、非常にオーソドキシカルなものである。ギャグや歌、脱線ばなしをどんどん入れていくのが佳声流なら、こちらはストーリィに忠実に語る。紙芝居の台を、提灯や花で飾り付け、ビデオでスクリーンに上映する佳声先生の道具立てに比べると、これまた昔ながらの自転車の荷台にくくりつけた舞台装置で、よく言え ば原点に忠実、悪く言えば地味、である。

 通しは時間がかかるものなので、かなり端折っていた、ということもあるかもしれない。大衆演芸畑から出て、デンスケ劇団にもいたという、庶民派生え抜きの佳声先生と違い、呆榮先生は、いわさきちひろを世に出した名編集者として名高い稲庭桂子を姉に持ち、街頭紙芝居をあくまで教育の一環としてとらえて実践経験を積み、その後高校教師を地方で6年勤めたあと、東京で姉のやっている童心社に入社、定年までをそこで児童文学の編集者として過ごしたという、いわばエリート文化人の層から、紙芝居を捉えている人だ。語り口にもその差は出ている。とはいえ、『妖精ベラ』に『少女椿』という演目のチョイスを見てもわかる通り、紙芝居の持つキッチュな魅力というものも十二分に理解している人である。

『少女椿』は以前、私も『大猟奇』で取り上げたことがある。朝日新聞社の紙芝居集成で読んで面白いので取り上げたのだが、やはり実演で見ると違いますね。ダイジェストではわからない、へえ、というような展開もある。怪奇幻想味でぐんぐんと客を引っ張る『妖精ベラ』に比べると、派手さで少し劣るか、という感じはあるが、昭和戦後の風俗を今に伝える資料としても貴重で、これはもっとゆったりと、ハメコミを一杯入れて演じたバージョンのものも見てみたくなった。1時半開演で、終わったのが5時近く。ここの会場が5時までという契約らしいので、大慌てでマツダ映画社の人たちが会場バラシにかかる。私も手伝った。

 本間さんに紹介していただいて、呆榮先生とも挨拶。呆榮の他に、芳英という号の名刺もいただいたが、そこにはなんと“東洋書道芸術協会評議員”の肩書が。“私はね、紙芝居と書道は、同じ表現芸術だ、と思ってまして。だから、語りながらもね、
「ああ、ここは書でいうともっとのびのび筆をのばすところだな」
などと、いちいち感じるところがありますねえ”という話をしてくれる。演芸には詳しいが書道に関しては素人以下なので、何とも受け答えできず。逓信博物館の人に二人並んだ写真を撮 影してもらう。お疲れの先生、本間氏等と別れて外へ出る。

 外はいつの間にか驟雨。モスバーガーで、古書コレクター諸氏としばらく雑談。ひさしぶりに、古本マニアの素に戻って濃い話などを堪能。マンガをアカデミズムで語るのもそりゃいいだろうが、あまりに彼らにマンガの知識がなさすぎやしないか、というような話が実例つきで、ボコボコと出てくる。某講師の例、某助教授の例、と、まともな研究家なら赤面するしかないような事例を聞かされて、爆笑しながらもうーん、と考えこんでしまった。コレクターという人種は長年、こつこつと古書市を歩き回り、自腹を切って貴重な資料を収集し、独自の目で、日本の近代マンガ黎明期の地図を頭の中に描いている。ところが、そこに、後から入り込んできた若い研究者たち(いずれも学内では評判の秀才・天才たちだろうが)は、あまりに彼らの業績を下に見過ぎる。はっきり言えば、自分が論文を書くための、下作業をしている人々、くらいにしか思っていない。少なくとも、市井のコレクターたちが、そのように研究者たちの態度を見ているということは事実である。この、感覚の空隙を埋める作業というものを、誰かがやらねばならないのだが、お互いの根にあるのが感情の問題であるが故に、困難を極めるだろう。これからマンガを研究対象にしていこうとする大学関係者はさらに増えるだろうが、その態度自体を改めない限り、こういう、現場からのツキアゲはかなり今後きつくなっていくよ、ということだけは言っておきたい。コレクターというひねくれた人種を相手にするには、人間関係の達人的な能力を必要とするのである。話の途中でベギラマから携帯に電話。三和から今度出るマンガの処女出版で対談をしてくれませんかという依頼。もちろんOK。今月のスケジュールを調べてメールするから、と言って切る。

 7時過ぎまで話して、地下鉄東西線から丸の内線に乗り換え、8時、新宿。伊勢丹会館内『三笠会館』でK子と食事。今日はK子の誕生日だったのであった。エスカルゴに黒鯛のロティ(ローストのこと)、K子の大のお気に入りのガーリックスパゲッティ、それと仔牛のテンダーロインステーキ。昨日のライオンのメニューにも仔牛が出てきたが、同じものか、とK子言う。もうお互いいい年齢なんだから、まずいものを我慢してまで食べたくない、と考えて、でも、例えば80代半ばまで生きるとすると、あと40年も毎日三度々々、飯を食い続けなければならないんだね、と考えて、ちょっとゾッとした。うまいものというのがそんな先まで残っていればいいが。

 カルバドスとチーズで食後を〆めて、帰宅。段ボールを地下のゴミ置き場に出そうとしてエレベーターで降り、古雑誌の棚をふと見ると、どこの部屋のものか、蔵書を紐でくくってかなりの冊数、出している。何気なく背表紙を見て、ちょっとギョッとなった。並んでいる書名のほぼ全部に見覚えがあり、一瞬、“誰かがオレの書庫を勝手に整理してゴミに出したのか?”という考えが頭をよぎったのである。それくらい私と(いや、正確には三十年くらい前の私と)読書傾向が似ている人物だ。少々気味が悪くなった。いや、だって、角川文庫の、『明日泥棒』と『ゴエモンのニッポン日記』がある、創元推理文庫の『ドウエル教授の首』『勇将ジェラールの回想』及びおなじく『冒険』がある、早川SF文庫ではキャプテン・フューチャーとジェイムスン教授シリーズが揃っている(これ、いま古書価高くなかったか?)、サンリオ文庫の『ガープの世界』上・下はある、UP選書アイリーン・パウア『中世に生きる人々』なんてものまで同じ本を読んでるよ、この人。そして、うひゃあ、早川ポケットブックスの銀背が捨てられている! なにか、蔵書のドッペルゲンガーに出会ったような気分になる。しかし、これだけのものを読んで、しかもマニアでなく、不必要だからと捨ててしまう人物というのはいったい、何なんだろうか。……とりあえず、銀背の『地球巡礼』『マラコット深海』『宇宙恐怖物語』『SFマガジンベストNo.4』SFじゃないが『電撃フリント』の5冊は救出してきました。と、言っても、私は全部所持しているものばかりだが、誰か要る人、いませんか。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa