裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

月曜日

かけてモツァレラ謎をとく

 おい八、犯人はピザに毒を入れたんだぜ! ゆうべ寝る前に服用した薬、五虎湯、スカイナー鼻炎薬、カイゲンせき止めシロップ。どれが効いたか今朝は咳全く出ず。ただし頭はボーッとしている。ボーッとした頭で睦月影郎『僕はペット』(マドンナミストレス)読む。ラスト、話には聞いていたがさすがに読んで愕然。力の入り方が違う。朝食、豆。さすがに飽きてきた。果物はブラッドオレンジ。なをきから電話。 “お母さんは無事、帰ったのかねえ。何の連絡もないが”とのこと。

 郵便局に行き、COMIC BOXから写真(近影)を送れと言われたので、速達で出す。仕事場に戻って、ボーッとしている頭で原稿を書きはじめるが、やはりまとまりに欠ける。口の中でぶつぶつとつぶやきながら、考えをはっきりさせるために部屋を歩き回る。なんだかこんがらがってきたので、リビングに行き、昨日の『私を愛したスパイ』のDVDの特典映像などを見ているうちに、突如、現実感覚が消失してしまった。10代の終わりに観た映画だったせいかもしれない。突如、それからコンニチに至る四半世紀の記憶や感覚が地から足の離れたものになり、二十五年間、架空の記憶で空白を埋めてきたのではないか、というような恐怖に襲われる。

 こういう離人感覚に、二十代のときはよくなった。“あ、まただ”と、それを面白がったりしていたりもしたものである。薬局を継ぐための勉強をしていた時が一番ひどかった。あれは、自分を現実から引き離した状態に置かないと、とてもやっていけなかったからではないかと思う。自分が自分でないという状態が、実は一番気が楽という状態だったのかもしれない。考えてみればあの頃はよく熱を出したり、原因不明の過呼吸に襲われたり、体調も今よりずっと不安定だった。久しぶりに風邪を引いてあの頃の不安定な状態に、肉体の記憶が甦ったのかもしれない。

 そのままいたらぶっ倒れていたところかも知れないが、そのとき北海道新聞からの電話で、〆切が今日ですが……という電話が入って、すんでのところで現実に引き戻された、という感じ。五冊、書評しなくちゃならないが、風邪のせいでまだ三冊しか準備できておらず。急いで新宿に出て、紀伊國屋に出かけ、残り二冊を仕入れる。地 下で釜揚げうどん一杯。

 マイシティ喫茶店で、しばらく読書。二冊の基本的ツッコミどころをメモしながら読む。読み終わってタクシーで帰宅、果物を買うのを忘れた。すぐ原稿にかかり、4時、書き上げてメール。くたびれて横になる。一緒に買ってきた佐藤秀明『アザラシは食べ物の王様』(青春文庫)を読む。イヌイットと一緒にアザラシを解体し、生の肉を齧り、女の子たちに混じって腸の内容物をすすり、子供が大好物の目玉を一個もらって、口にほうばる。なんともグロテスクだが、読んでいてうまそうに思えてしまうところが妙である。さんなみで山鳥を解体したときや、ハンニバルでウサギの丸焼きを食ったときに感じる、自分が生命連鎖の一環に位地しているんだ、という感覚を味わえる描写だからだろう。著者の筆は軽く、時に軽薄っぽく、どちらかといえば悪文家なのだが、しかし、生き物を食らうギリギリの最前線からの報告には、やはり飽 食のこの国に生きるものにとって学ぶものが多い。

 まだ体、本調子でない。7時半、家を出て、半蔵門線、神保町。スーパーで果物と明日のパンを買う。K子と、夜咄乃むらで食事。鍋はもうメニューから外されたし、鴨の陶板焼きもなくなり、ますますメニューが少なくなっている。とはいえ、アナゴ白焼き、鶏たたきポン酢など、味はうまい。温泉にでも行きたいがどこがいいか、というようなことを話す。私はどうせいくならうんとひなびた湯治宿みたいなところがいいのだが、K子はそういうのはダメ。田舎そばすすり、まだ時間早いのですずらん通りのホイリゲ古瀬戸でワインと鹿肉などつつきながら、仕事の話などを看板まで。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa