25日
水曜日
観劇日記・11『モンティ・パイソンのスパマロット』
『モンティ・パイソンのスパマロット』
作・詞・曲/エリック・アイドル
曲/ジョン・ドゥ・プレ
出演/ユースケ・サンタマリア 池田成志 戸次重幸 ムロツヨシ 賀来賢人
皆川猿時 マギー 彩吹真央 他
日本版演出/福田洋一
於赤坂ACTシアター
1月21日・観劇
例えばウルトラマンの劇場版映画を観にいって、ウルトラマン
登場のシーンで『ウルトラセブン』の主題歌が流れたらどう思うか。
いや、『ウルトラセブン』の主題歌は名曲である。大好きだ。
だけども、“違ーう!”と思わないだろうか。
この、『スパマロット』がまさにそれ、なのである。
劇中と、ラストで『Always look on the bright side of life』が流れる。
この作品の脚本とミュージカル部分の作詞をやったエリック・アイドル
の代表曲で、彼の言によると、大変なことのあった日本の人々に
この歌詞である“いつでも人生の明るい面を見よう”というはげましを
送りたいということである(ちなみにパンフレットの日本語訳はそういう
殊勝なことを言っているが英語の部分はまるで違ったパイソンらしい
ふざけたものである)、それはまことに結構なことだが、残念ながら
『Always look on the bright side of life』は同じモンティ・パイソン
であっても全く別の作品、『ライフ・オブ・ブライアン』の主題曲なのだ。
違和感を感じるのは、当然のことではあるまいか。
もともと、ブロードウェイで原作の『モンティ・パイソン・アンド・
ホーリーグレイル』を舞台化する、と聞いたとき、古いモンティファン
の多くの頭の中に浮かんだのは
「あのラストをどうするんだ?」
ということだったろう。いかにもパイソンズらしいジョークとして、
この映画の制作者たちは映画という枠組みそのものをぶち壊し、
壮大なドラマをいとも簡単にブッた切って終らせてしまった。
まさかああいう真似は舞台ではできまい。
その一点だけでも、舞台版は映画とはまったく違うものになるという
ことはわかっていたはずだ。だから原作と同じ感覚を期待する方が
おかしい……ということはわかっている。わかっているが、ならば
“モンティ・パイソンの”と、わざわざタイトルに冠しないでほしい、
(ブロードウェイ版とかは単に『SPAMALОT』である)と
思うのはこちらのわがままなのだろうか……。
実際、エリック・アイドルのこの『スパマロット』の(主に収益部分
での)独り占めは他のパイソンメンバー、ことに神の声で特別出演
していたジョン・クリーズとの間に深い確執を生んでいるらしい。
クリーズは、パイソンズ6人の功績を全て一人の物としようとする
エリックのことを“ヨーコ・アイドル”と表現しているというw
では、全くの別物と思えばすべて受け入れられるのか……というと、
残念ながら、そうもいかない。ことに第二幕の、日本版オリジナルの
ギャグが多くなる展開において。
中でも最大の問題があるのが、アーサー王たちがジパングに行く、と
いうことになるくだりで歌われる『コリアン・スター』という
ナンバーだろう。なぜかいきなり、
「♪日本に行って人気者になるなら、コリアンでないとダメ」
と歌われる。
何も私は何とかいう宮崎あおいの元夫のようなことを言いたいわけ
ではない。テレビ局が主催である舞台でよく、こういう自虐ともとれる
ギャグをやったな、ということを考えれば笑えもする。だが、風刺とか
皮肉というのは、誰もが思っても口にできない本質部分をついて
初めてギャグとして成立する。現在の日本におけるコリアンスター
の位置というのはせいぜいがテレビ雑誌の表紙飾り程度であり、映画や
月9の主役がコリアンスターに独占されているわけでもなければ
夜の時間帯のドラマが韓国語で放送されているわけでもない。
「そもそも、コリアンスターが大人気という認識そのものがガセでは
ないのか」
とさえ言われている状況である。ジパングという国を説明するのに
コリアンスターのことを歌うというのは、もう違和感ありまくり
の演出だった。
おかしいと思って帰ってから、本家のブロードウェイ版はどうだった
のかと調べたら、あっちではアメリカの興業界におけるユダヤ人の
ことを歌っているのであった。バリバリのブロードウェイの舞台で、
「ハリウッドやブロードウェイで人気者になるなら、ユダヤ人でない
とダメ」
と“本当のこと”を歌うというのは(笑)、これは勇気が要るだろう
し、風刺としても強烈である。そもそも、芸能業界におけるユダヤ人
の支配というのは、何世紀もの期間に及ぶ根がらみ骨がらみの状況であり、
宗教対立の歴史の根本にも関わってくる問題である。日本人には通り
一遍では理解不能な世界と言っていい。それを、ほんのここ数年の
韓流ブームに置き換えてことが済む、というようなものではないのだ。
私はこの『スパマロット』が、モンティ・パイソンを見たこともない
若い世代の女の子たちに人気である、ということを否定はしない。
大ヒットする舞台がどんどん生まれるということは、私のようにその
業界の隅っこの方で生きている人間にとっても喜ばしいことである。
小劇場で人気の池田成志やムロツヨシのアドリブが、ACTシアターの
ような大劇場でちゃんとウケる、というのも嬉しい確認事項であったし、
皆川猿時とマギーの“英語ドーン!”や、池田成志のフランス兵、
“ニッの騎士”の、アルプスの少女ハイジネタなどには爆笑した。
だが、そういういいところがあるからこそ、ストーリィそのものに、
最も期待していた“ホーリーグレイル”のエッセンス、つまり、
テレビ出身の彼等パイソンズの映画進出第一号であるが故の、
「既成の映画的構築への闇雲な挑戦意識」
に満ちた実験性があとかたもなくなってしまっていた(開幕冒頭の
フィンランドの歌のくだりがそういう意味では最もよかったかも)
のには、失望せざるを得なかった。そして、その最大の責任者が
どうもパイソンズの一員であるエリック・アイドルであるようだ、と
いうことも、私の憂鬱を大きくしている。パンフレット(1800円
もするのに、本役以外の配役が全く記載されてない、“使えない”
パンフである)でのアイドルとの対談で、日本版演出者の福田洋一は
「『ホーリー・グレイル』より『スパマロット』の方が好きなんです」
とお世辞をつかい、アイドルに
「ありがとう、僕もだよ!」
と言わせているのは、上記にあるような裏事情を仕入れてから読むと、
なかなかブラックなやり取りであるw
他の作品は知らず、『ホーリーグレイル』だけは、“いつも人生の
明るい面を見よう”と呼びかける映画では徹頭徹尾ないはずだ。
この作品は中世史の専門家でもある監督のテリー・ジョーンズによって、
中世ヨーロッパの暗い暗い時代を生きていた人々の姿を初めてリアル
に描き出した作品なのだから。