裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

11日

水曜日

観劇日記・26『大河ドラマ・徳川家太郎』

劇団あぁルナティックシアター本公演『大河ドラマ 徳川家太郎』
原作:橋沢進一「花の道、わが生涯〜徳川家太郎一代記」より(ウソw)
脚色:あぁルナティックシアター
演出:橋沢進一
音楽:グレート義太夫
出演:《出演》橋沢進一 佐々木輝之 大村琴重 岡田竜二 菊田貴公
石川ルカ 小沼正治 久保広宣 麻衣夢 渡辺一哉 岩田真 井上勝実
大橋健一 帯津千春 松山幸次 茗原直人 山本尚寛 泊太貴 毎川一輝
暁雅火 大野由加里  別府明華 尾形梓 竹村太吾 清水悠策 根岸晴子
第一話『上から家太郎』
2012年4月5日(初日)観劇
第二話『家太郎、立つ!』
2012年4月8日 観劇
第三話『さらば、家太郎』
2012年4月10日 観劇
いずれも於下北沢駅前劇場

ルナティックシアター4月公演は客演を大幅に入れて、三部構成の大作(?)。
まあ、ここの芝居であるから大作と言っても壮大なテーマや演劇的感動とは見事に
無縁で(褒め言葉)、とにかくナンセンスな笑い、内輪受け、楽屋オチの羅列。
それでいて、見終ったあと、何となく芝居を観た感じにダマされてしまうマジック
みたいなものがここの特徴だろう。若い演劇人は決して真似をしてはいけないww

何しろ聞いたら、三話合計で5時間以上に及ぶこの作品の台本というのがたった
8行だったそうで(!)あとは口立てと言う、稽古場でアドリブをどんどん出し
ながら、面白かったものを取り入れていく方式で作っている。他の劇団でもそういう
やり方をしているところは珍しくないが、たといそういうところであっても、記録係
という者がいて、決定したセリフや動きは書き留め、最終的には台本の形に完成させ
るのが通常である。

ところがここはそれもしないで、当日にまでみんながアドリブをどんどん舞台上で
出し、変化させていく。つまり、稽古が持続したまま舞台に場所を変えたような
ものだ。したがって、公演日数のおしまいの方が、芝居が完成形に近づき、面白く
なってくる。私はいつもここの芝居は初日と千秋楽を見比べるのが楽しみであった。

……ところが今回は三部作で、一話ごとに二日の公演。初日が終わるともう翌日は
千秋楽なわけで、芝居がいい具合に煮詰まる間がないのではないか、と心配していた。
初日の第一話を観た限りではその心配は杞憂ではなかったようで、1個々々のギャグ
は面白いのだがそれがひとかたまりになって“演劇”になり得ているかというと、
お世辞にもそうは言えない出来だったので、かなり不安になった。出演者の手探り
状態がこちらにも伝わってきたためだろう。

それが第二話、第三話になるにつれぐん、と面白くなっていったのは、やっと
大河らしいストーリィの流れが見えてきたからである。第一話は独立した青春もの
であり、本来はそこに後につながる伏線をいろいろ張って後につなげなくては
いけないところが、あまり機能していなかったものと思われる。

そして、今回の大きな魅力が総勢30人近い豪華キャストだ。演劇祭流れで、初めて
ルナに参加した役者さんも多く、さすがに芸達者ばかりで話を盛り上げていた。
麻衣夢のような常連も、恋人役に竹村太吾が配されると別の魅力になるし、
団員の大村琴重も暁雅火とのコンビでまた面白い味をかもしだしていた。
中でもずっと以前ルナのカンバン女優だったという帯津千春は、前回の博覧狂喜
博覧会ではいまいち真価が発揮できていなかったが今回は魅力全開。これまで観た
どんなコメディエンヌとも異る、奇妙な味を振りまいて印象的なことナンバーワン。
それぞれのエピソードがからみあうようなからみあわぬようなヌルい雰囲気は
これは作・演出である橋沢進一の当初からの思惑だろう。これに文句を言う奴は
野暮である。

とにかく、この劇団に関しては前にも言ったが、通常の”演劇“という概念では
評価できない。日本にひとつくらい、こういう劇団があってもかまわない。
打上げの末席に参加させてもらったが、役者さん、スタッフさんたちの、狂騒的な
までの盛り上がりはこれまでのルナの公演をはるかに上回るもだった。二日替わり
三話公演という、サディスティックなまでの強行軍ならばこそ、やり切った後の
達成感も大きかったのだろう。

小劇場演劇は金のためにやれるものではない。参加したスタッフたち全員に、
ある種の達成困難な目標を与えて、それを乗り切った満足感を与えることが公演
主催者の使命である。それを考えるとき、橋沢座長は見事に目的を達したことに
なる。

ただ、“興業”という面においてはどうだろう。三部作ということは、三話全部を
観ると1万円以上かかるということだ。しかも6日間という短期間に繰り返し
足を運ぶことを強要することになる。さらには、そのうち一日だけに足を運んだ
お客は、全体を通したストーリィが把握できないという欲求不満を抱くことになる。
こういう興業形式は劇団も、お客をも、疲弊させることになるのではないか。
そこに大きな課題は、残る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa