裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

月曜日

観劇日記・番外【追悼・淡島千景】『毒薬と老嬢』(劇団NLT)

淡島千景さん、2月16日肝臓ガンで死去。87歳。
葬儀の映像をテレビで見ていたら、淡路恵子さんが焼香していた。
そうだ、この二人は舞台『毒薬と老嬢』に主演しているのだった。
淡島千景にとり、この作品はかなり大きな意味を持つものだったの
だろう、柩の中に入れられた脚本5作品のひとつに選ばれている。
もちろん、私も淡島千景を生で観られる、というのが大きな目当てで
観に行った、当時の日記を追悼としてここに採録する(文章を一部分、
改訂・補填しています)。

『毒薬と老嬢』
劇団NLT
作/ジョセフ・ケッセルリング(翻訳/黒田絵美子)
演出/グレッグ・デール
出演/淡島千景 淡路恵子 川端慎二 池田俊彦 渋谷哲平 倉石功
   泉関奈津子 山田登是 霜山多加志 三輪浩幸 佐藤淳 高腰昭紀
   中村瑞樹 松村良太
於/銀座博品館劇場
2004年5月25日マチネ観劇

学生時代、出久根達郎さんの経営していた古書店『芳賀堂書店』でこの舞台の
初演時の台本を見つけて買って、その面白さに夜を徹した経験がある。
逆に言うと、そのイメージがあまりに強かったため(また、都合よくテレビで
フランク・キャプラのこの映画を放映したため)、舞台はもう見ないでも
いいや、と思ってしまい、初演時からずっとアビーを演じてきたNLT主催者の
賀原夏子の演技(マーサは北林谷栄)を見逃してしまった。これはいくら後悔
してもしきれない。

今回アビー役は淡島千景、いくぶん賀原に比べると品がよすぎるが、上品な、
人を殺すなど思いもよらない老婦人という役柄では、どちらかというと淡島
の方がアビーには適役だろう。で、観てみることにしたのである。

ゆらい演劇というのは(なかんずく翻訳劇はそうだが)冒頭の状況説明部分と
いうのがクドくて、話に入っていきにくい。この舞台も例外ではなかったが、
映画ではケーリー・グラントが演じた、一族中唯一のまともな青年で劇評家の
モーティマー(演ずるのは客演の渋谷哲平!)が、壁際の、物入れ兼用の長いす
の中に、伯母たちが隠した死体を見つけたあたりから、急激に面白くなって
いき、話が日常からどんどん逸脱して、モーティマーたち常識人が右往左往の
度合を増していく中、狂人であるアビーとマーサだけが、ハタから見ると
正気を保っているように見える。われわれ観客は、誰が異常で誰が正常かを
知りながら、それと正反対の立居振舞が舞台上で演じられるのを見る。
よく、演劇は日常の行動の異化作用をもたらす、と言うが、まさにこの
芝居の魅力は、その異化作用の極地にあるだろう。

淡島千景と淡路恵子は女優としては淡島の方が先輩なのだが(もと
もと淡路は淡島の大ファンで、淡の字を芸名につけた)、演技は
淡路の方がずっと確か。淡島はかなりセリフの噛みも目立つ。
ただ、ほんわかとしたムードが常にただよい、何というのか、
それこそ宝塚とSKDの格の差というのか、それが次第に出て、
舞台をリードしていき、最終的には淡島千景の舞台、という
イメージで終わってしまうのは、さすが というか何というか、
舌を巻いてしまった。これが“大女優”の持つオーラの力、
というものなのだろう。

渋谷哲平が意外の大好演、ちゃんと生き延びているんだなあ、という感じ。
自分をセオドア・ルーズベルトだと思いこんでいる人畜無害な狂人・テディ役
の倉石功は、セオドア・ルーズベルトという、アメリカで最も愛された大統領、
というイメージが日本人にいまいち通じないのでちと損をしているが、大柄な
体型は活かされている。映画版ではピーター・ローレが怪演した整形外科医
アインシュタイン(この名前も凄いね)をNLT代表の川端槇二が演じていて、
パントマイム芸など、ズバ抜けた達者ぶりを見せる。こういう役者の芝居を
観ることが出来るのが演劇鑑賞の醍醐味だ。で、この作品のキモである、
モーティマーの兄にして凶悪犯・ジョナサンは若手の池田俊彦。達者だし、
ガラも凶悪犯に合ってはいるが、クラシカルなイメージが基調のこの芝居で、
フランケンシュタインの怪物そっくりというメイクが、妙に現代風でポップな
ものだったのはいただけない。むしろ髪型など『フランケンシュタインの花嫁』
のエルザ・ランチェスターをイメージしているようなところもあって、悪くは
ないのだが。しかし、なんといっても、原作では怪物役を映画で演じた“ボリス・
カーロフそっくり”と表現されているキャラ(初演時は本当にボリス・カーロフ
本人がこの役を演じるという大楽屋オチがあったそうな)である。 基本に忠実
に、ユニバーサル風のモンスターメイクでやってほしかった。
そして、死体役の松村良太。死後硬直のマイムが見事で、ラストの舞台挨拶
では淡島・淡路に次ぐ大きな拍手を貰っていた。

この作品のテーマは“慈善”である。歳のせいか遺伝のせいか、静かに狂気の
世界に足を踏み入れた老婦人二人は、屋敷に下宿しにくる孤独な老人たちを、
はやくこの苦の世界から逃れさせて神の御許に送ってやりたいという、やむに
やまれぬ慈悲心から、彼らに毒酒を盛る。そして、自分たちの善行に対する
自己評価の過大さが、彼女たちをして、次々と連続殺人に走らせる。
慈善、良心、信仰、同情……といった、耳に心地いい、それを施すことで
自らも善行を積んだという満足感を味わえる言葉が、その快感故に、一歩足を
踏み出すことで、凄まじくハタ迷惑な行為へと変化する。第二次大戦の
真っ最中にこんなブラックな芝居が書かれ、上演されて大ヒットしたアメリカ
という国の凄さに感服すると同時に、21世紀、国家自体が、大がかりな
アビーとマーサになってしまった感のあるアメリカに、いささかの皮肉を
感じざるを得ず……とか言いたいが、こういうウェル・メイド・プレイを
そんな俗な比喩で汚すのはやめておこう。

それにしても、“整形外科医を連れて顔を変えながら旅をしている凶悪殺人犯”
というアイデアの何とブッ翔んでいることか。赤塚不二夫がこの設定が大好き
で、『おそ松くん』などで何回も借りてきては使っていたのを思い出す。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa