30日
日曜日
古い映画をみませんか・2 【怒りの孤島】
『怒りの孤島』(1958)久松静児監督
幻と言われていたこの映画のフィルムが2010年、奇跡的に発見、
上映会が開かれると知ってかけつけました。会場には、島で唯一の
開明思想の持ち主の吉川先生の娘・絹子(ポスターで傘をさしている
少女)役の二木てるみさんもいらしていた。
昭和16年という設定(と、作中で語られる)だが、モデルとなった
事件は戦後(昭和26年)のもので、映画の中の風俗も戦後っぽい。
これは特定モデルを誹謗することを恐れて時代を変えたか、あるいは
単にフィルムが切れていて26年が16年に聞えたか。
瀬戸内海の、一本釣り漁業が主産業の島で、船が潮流に流されない
ようにするための船の舵をとる“舵子”という役割の子供たち。
島では江戸時代以来の慣習として、その舵子となる子供を他県から
年季奉公として雇い入れていたが、最近は少年院などから未成年の
子を島に“売りに”くる業者がおり、島で窃盗などを犯すと折檻と
称してリンチにあわせる漁家も少なくなかった。
今回もそういう人入れ業者の猪造により十数人の子供が島に売りに
こられたが、その中の一人、悌三は幼い頃別れた両親にめぐりあおう
と放浪を繰り返し、ニコヨンの重助爺さんに養われていた少年だった。
いずれも訳ありの少年たちの、島での生活は想像以上に悲惨なもの
だった。彼らは、自分たちの先輩の直二という少年が、盗み食いをした
という罰で鳥小屋のような檻に入れられ、食事も与えられないまま
放っておかれている姿に戦慄する。唯一彼に親切にし、食べ物などを
差し入れていたのは直二と一緒に島に売られてきた鉄という少年だけ
だった。
舵子たちは島での扱いのあまりのひどさに、祭の晩、脱出をはかる。
だが、直二はすでに死亡しており、鉄はその死体を背負って
逃げようとして島民につかまってしまう。何とか逃げおおせた悌三
たちの証言で、警察と役所の児童課の役員たちが島にやってくるが……。
この映画、子供に人権意識を植え付けるために巡回上映をしていた
らしい。私は幼かったので記憶にないが、も少し上級の子供たちなら、
餓死(しそうになり、檻ごと這い出して転落死)した直二少年の死体を、
親友の鉄がかついで逃げるシーンはトラウマになったのではあるまいか。
鉄は何度も転倒したり、坂を転げ落ちたりするのだが、かつがれている
死体役の直二少年がピクとも動かず、名演技。というか、こういう重苦しい
映画でなければ、これはかなりブラックなスラップスティックシーンである。
映画のラストに児童憲章が出るのだが(この児童憲章の制定が
昭和26年だから、やはりこれは16年ではなく26年という設定
でないとおかしいだろう)、その一節
「すべての児童は、虐待、酷使、放任その他不当な取扱いから
まもられる」
という文章に、出演者の一人だった二木てるみさんは見ていて
“ヤバ!”と思ったそうだ。天才子役として当時大人気だった
二木さんは、ひとつ仕事が終わるたびに役所の児童課に行き、仕事が
過酷でないか、きちんと睡眠などをとらせてもらっているかを
確認されたそうだが、マネージャーに言われてハイと答えていた
ものの、実際はNHKの仕事など、撮影が深夜にまで及んで寝かせて
もらってなかったそうで、何のことはない、児童酷使を告発する
映画に出演している児童がもっとも酷使されていたわけである。
主役は後にジャニーズのメンバーとなる手塚しげお(当時茂夫)。
最後にまた島に戻り、殺されてしまうのだがそこのシーンは残念ながら
フィルムが切れていた。また、実質上の主役である鉄には、後に
ウルトラQ『五郎とゴロー』で五郎少年を演じる鈴木和夫。
日本人離れした顔で、こういう役を演じると忘れられない印象を残す。
本人もこの映画を自分の代表作、と言っていたようだ。
他に原保美、稲葉義男、佐藤英夫、浮田佐武郎などの面々が出演
しているが、さすがにみんな若くて、顔も昭和40年代のテレビで
おなじみになった頃とはまったく違っていて、ちょっと見には
わからない。そんな中で、左卜全と浜村純の二人だけは時間が
止まっているように全く変わらず!