12日
水曜日
観劇日記・37・38『炎の三銃士』『天空の島ラポタ』
『炎の三銃士』
平熱43度公演
作/麻見拓斗(ノーコンタクツ)
脚色・演出/桃原秀寿
出演/宝栄恵美、松本祐一、籠谷和樹、田盛辰実、
桃原秀寿(以上平熱43度)Marcy伊藤(世界征服計画)
松原由賀(その他) 原田明希子(スーパーグラップラー)
上岡一路(劇団宇宙キャンパス) 石川毅 照テル子 田中彩
美濃宏之(劇団東京ルネッサンス) 牧野和馬 他
2012年9月8日観劇
於/大塚萬劇場
『天空の島ラポタ』
ノーコンタクツ公演
作・演出/麻見拓斗
出演/佐藤歩、尾鷲知恵(マグネシウムリボン)、前田綾香
あべあゆみ 青井理佳 干川ともみ 長沢峻太 管野修吾
茗原直人 市村よしたか 柳瀬翼(劇団宇宙キャンパス)
植村圭将 麻見拓斗
2012年9月9日観劇
於/大塚萬劇場
同じ劇場、ステージ、セットを使っての二劇団のコラボ公演。
と、言っても平熱43度主宰の桃原秀寿は以前ノーコンタクツに所属していたことがあり、『炎の三銃士』はノーコンタクツ主宰の麻見拓斗の、代表作のひとつ。今回は『炎の三銃士』を、『天空の島ラポタ』の前日譚としてキャラクターの一部をかぶらせて描いている。役者も『三銃士』に松原由賀、牧野和馬などノーコンでおなじみの面子が出演しており、ほぼ同一の劇団の公演で演出が異るだけ、と言っていい。
セットも同じ、と言っても、あまりセットが“何を表しているか”という具象性を持たず、何となく帆船のデッキにも大きな家の中にも見えるセットを、時にはお城に、時には森の中、と自由自在に使う。さらにはノーコンタクツの方は同じ役者が別の役を説明なく演じたり、時には人が壁になったりたいまつになったり(パントマイムで)になるから、初めて観た観客はとまどうかもしれない。
いや、それより何より、どちらの芝居も(同じ脚本家なのだから当然だが)、麻見拓斗の好みである“宮崎アニメの再現”という色が非常に強い。宮崎アニメの“あの動き”をナマで舞台上に再現させるのだから凄いものである。三年ほど前のノーコンタクツの公演『怪盗ルパン・コリアスタロの秘宝を奪え!』(まだノーコン劇団員だった桃原秀寿主演)は題名からして露骨な宮崎アニメへのオマージュであり、宮崎作品お得意のカーチェイスを、人間の動きだけで演じてみせた(しかも上空からのヘリコプターでの攻撃まで!)すさまじいアクションが見せ場だったが、これも演出上の必要性というよりは、作者である麻見拓斗の
「宮崎アニメのあのシーンを演じてみたい!」
という闇雲な欲求により、“無理矢理再現してしまった”名場面だったろう。これは実際の宮崎アニメのスタッフにも見せたいほどの舞台だった。
そして、さらに宮崎アニメへの傾倒は、設定にまで及ぶ。どちらの芝居も、17〜8世紀ころのヨーロッパかな、と思わせる時代設定の中、コルベットやメーヴェを思わせる大小の飛行機械や、ラムダのような飛行ロボット(もちろんセットや着ぐるみではなく、役者が芝居で操縦したりその中にいるように見せたり、ロボットのマイムをしたりするわけだが)がほぼ“何の説明もなく”登場して、誰も驚かない。この前に観た平熱43度の『真冬の夜の夢』(桃原秀寿・作)では、近世ぽい世界にメカ(自動車)が登場するのを、滅びた以前の世の遺物として説明をつけていた記憶があるが、今回も、ちょっとそういう説明らしきものはあるものの、ほとんど何の理由づけもなく“当然のごとく”、メカが出現する。
『三銃士』の方は割拠する王国同士の争いの中、“神のしずく”というパワーを秘めたクリスタルを求めて、メラン公国の騎士団の三人の若者が旅をし、それに結婚相手を探して旅をしているエンテル王国の王子一行とその命をつけねらう王弟の刺客、世界の征服をねらう武器商人結社、伝説の傭兵団の生き残りたち、がからみあう。かなり複雑なストーリィ構成であり、クライマックスで、映画のカットなみの場面転換を見せる。観ていてそのテンポに圧倒される一方、舞台経験あるものとして、
「うわー、出入りのダンドリが大変だろうなあ!」
と心配になってしまうほどだった。
役者陣では、三銃士の一人で女性騎士であるロラウジーナ役の宝栄恵美が一途で意地っ張りでありながら、仲間のために恥ずかしがりながらメイド服姿にもなる(要するにツンデレの)役を演じていて実にいい(『真冬の……』の主演でもあるがこちらの方が似合っている)。同じく三銃士で、貴族の出でお坊ちゃんぽいウィーゴ役の松本祐一もいいキャラクターだ。主人公は三銃士中、唯一下級兵士のシェラート(Marcy伊藤)なのだが、もうひとつ、主人公らしいインパクトが欲しかった。以前共演経験のある原田明子ちゃんが意外なつながりで出演(開演ぎりぎりに入ったのでパンフを見る余裕がなく、舞台上に彼女が出てきて驚いた)していたが、二刀流の女傭兵役で、ハマり役。相棒のジャビを演じる上岡一路もいい役者である。松原由賀ちゃんが珍しくお色気とは無縁なコミカルな女性キャラだった。牧野和馬くんは今回は若手のコーチ役的なところだったのか、ちょっと役が小さくて残念。
とにかくムチャクチャにテンポが早く、登場人物が多く(21人!)、見せ場の連続であり、最初ファンタジーかと思ってみているとSFチックなガジェットも登場し、あれよあれよという間に話が進んでいく。ここで、ジェットコースター的展開ににしがみついていられるかどうかがこの芝居を楽しめるかどうかの分岐点だろう。
客席は満席。大したものだが、若い役者が多いせいか、その家族、オカアサンオトウサンの姿も見受けられた。こういう世代にももう少し優しい作りだったらな、とも(チラリとだが)思う。
で、ノーコンタクツの『天空の島ラポタ』。これも2008年の再演である。ノーコンタクツという劇団名は、コンタクトレンズではなくメガネをかけているという意味で、以前は主要キャラクターがメガネなのがここのウリだった(と思う、確か)。今回はなにしろラポタなので(何が)、メガネはあのキャラ(笑)を思わせる悪役、バードランのみだが、この役を演ずる長沢峻太がよかった。クールで、しかしギャグも演じ、そして世界を相手の大きな陰謀をたくらんでいるという役を、余裕を持って(本人は大緊張だったと言っていたが)演じて印象に残った。これまで、どこか頼りないイメージが役者としてあった長沢くんだが、大きく延びたと断言する。
こちらの舞台はタイトルからしてももう完全な宮崎アニメコピーで、アンチェスター公国のやんちゃな王女さま、クリスティーヌ(青井利佳)を、彼女が持つ魔女の力をねらってテルシー王国のグバロ王女(あべあゆみ)とその部下のチェフス大佐(柳瀬翼)、そしてそのバックにいるバードランが狙い、それを守って王国の飛行艦のコック見習いの少年、ローニー(佐藤歩が十八番の少年役をハツラツと演じる)がメーヴェ風の飛行機械を使って活躍する。
それにからんで、同じ飛行艦を操る傭兵組織セロバルナの女キャプテン、ロラウジーナ(前田綾香)とその相棒の整備士ジャビ(茗原直人)、公国と国境を接するリガウール共和国の警備兵シェラート(麻見拓斗)などがからむ。……この三人が、『炎の三銃士』からのスピンアウトというわけである。
まあ、自作を演出するわけであるから、登場人物などのキャラの描き分けについてはこちらの方に一日の長あり、という感じ。ことに先に挙げた長沢峻太と、上記の三人が実にいい。ロラウジーナは王女の護衛役の女騎士キックス(尾鷲知恵、これも好演)に昔の自分の姿を投影するあたりがよく描けていた。麻見くんの台本に独特のクールな会話ギャグも、今回はほぼ全てハマって受けていたし、再演ということもあるが完全に自家薬籠中のもの、という演出が心地いい。
ただ、やはりアニメ的な設定にほとんど説明がないのがツラい。メカのことはともかくも、シェラートには(おそらくカラスの姿をしている)悪魔・クローチ(干川ともみ)がついており、その姿はシェラートにしか見えない、という設定はしばらく理解に苦しんだ。アニメなら、説明がくどくどなくても絵で全てを納得させられるが、舞台の場合、実際に見えるものと舞台上での設定が異るとき、その設定を呑み込むまでにはタイムラグが観客の間にはあり、アニメなどを見馴れていない客には最後まで理解されずにモヤモヤを抱かせたまま終演になってしまう場合もあるのだ(私なら、この二作に共通する、語り手を芝居の外に置くと思う。『ロッキー・ホラー・ショー』におけるチャールズ・グレイの犯罪学者、『モンティ・パイソンのスパマロット』におけるムロツヨシの歴史学者の役どころだ)。
絵で見せる、ということに関して言うと幼い王女クリスティーヌの衣装がノースリーブのワンピなのも気になった。演ずる青井利佳はロリっぽい顔立ちで少女を演じられる希有なキャラクターの持ち主だが、もちろん実年齢はもっと上だ。顔立ちは騙せるが、腕を向き出しにしていると、筋肉のつき方などが、オトナであることを語ってしまう。ここは、パンフのイラスト通り、お姫さまと言えば、のちょうちん袖でいってほしかった。
それにしてもいろんな要素てんこ盛りの芝居であった。……話は跳ぶが、内田百鬼園の随筆に、彼の故郷・岡山県の『祭り寿司(魚島寿司)』のことが出てくる。岡山の漁村で、鯛漁の季節になると作られる豪勢なちらし寿司のことで、かんぴょう、椎茸、キクラゲ、高野豆腐、湯葉、蒟蒻、莢豌豆、慈姑、独活、蕗、筍、ゴボウ、ニンジン、レンコン、厚焼卵、カマボコ、タイ、エビ、イカなど、凄まじい数の具を入れる。本来、こんなに具を入れてはそれぞれの素材の味がよくわからなくなってしまい、もう少し数を絞った方がいいのだが、しかし、岡山県人にとっては、この、詰め込み過ぎなまでに豪勢な寿司が、故郷の味なのだという。味の切れよりも、豪華さの方を尊び、そのにぎやかさ、華やかさ、バラエティ、そしてぜいたく感をなによりも喜ぶのだという。今回の二本の芝居を観て連想したのは、この祭り寿司のことである。まさに豪勢、にぎやか、華やかの限り。お客は芝居の整合性よりもお祭り気分を味わって帰るのだろう。これもまた、特化した形ではあるが、ひとつの劇団としての行き方であると思う。