裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

水曜日

古い映画をみませんか・18 『七変化狸御殿』

大曽根辰夫監督『七変化狸御殿』(1954・松竹映画)

「あれが最後の一匹とは思えない」
と、水爆大怪獣映画『ゴジラ』のラストで志村喬は言ったが、まさにその通り。

昭和29年3月に起った第五福竜丸事件は日本映画史に残る名作『ゴジラ』(東宝)を
生んだが、ゴジラはそれをネタにした唯一の映画などではなかった。
日本はその事件で時ならぬ“放射能ブーム”にわき上がり、マスコミと
いうマスコミに放射能の文字が踊った。

映画界もご多分に漏れず、その年8月に公開されたアメリカ製怪獣映画
『THEM!』には『放射能X』というタイトルがつけられた(これは
実際に放射能で巨大化したアリと人類の攻防を描いた映画で、ハッタリの
タイトルではない)し、ゴジラ公開後の12月になると、『力道山の
鉄腕巨人』(新東宝)では、ビキニの灰をあびた放射能マグロにまじって南海の孤島
からターザンみたいな力道山が上陸する(ちなみに、日本に来た理由は、
古川ロッパの博士が発明した放射能除去装置を悪人から取り戻すため)し、
少年探偵団もの映画『青銅の魔人』(松竹)では、魔人こと二十面相がねらうのは
永野公爵家に代々伝わるウラニウム鉱山の秘密(なぜ原子力の概念など
ない時代の先祖がウラニウムを知っていて、宝としていたのかは謎)である。

同じく年末に正月映画として公開されたのが、美空ひばり(当時17歳)
主演のミュージカル映画『七変化狸御殿』。日本製ミュージカルとして
狸御殿映画というのもさんざ作られたが、今見るとさすがに古さを感じる
ものがほとんどの中で、この作品はミュージカルシーンもギャグセンスも、
現在に通じる佳作である。

歌の好きな少女狸・お花(ひばり)が、満月の夜、チビ狸のポン吉(堺駿二)と
一緒にこっそりまぎれ込んだ狸御殿の踊りの大会で優勝して、狸の若様・鼓太郎ぎみ
(男装の宮城千賀子)からご愛玩の駒鳥をたまわる。お花は若君にひそかな
恋心を抱くが、若君もお花を愛で、翌日、お花の住む胡桃の森をお忍びで
訪ねてくる。しかし、それをねらっていたのが隣国に住む、コウモリの一族。
この一族の連中は全員、忍者装束にコウモリ傘をさしているが、この傘は単なる
ダジャレではない。実はコウモリ一族の住む国は度重なる水爆実験の影響で、
絶え間なく放射能雨が降り続いており、毎日死人が出ているのだ。雨がふる
たびにガイガー・カウンターをチェックして、
「おい、今のは何カウントだ」
「800万カウントです」
などと会話しているのが何とも。この映画もまた、『ゴジラ』の系列に属する
放射能映画だったのだ。ちなみに、800万カウントは昨今話題の単位に
大ざっぱに換算すると約13万ベクレル強。

コウモリ一族の首領・闇右衛門(有島一郎。あきらかにアノネのおっさん、
高瀬実乗〜昭和22年没〜を意識した演技をしている)は生き残りをかけて、
狸の国の守り神、照々大明神のご神体である玉を奪おうと計画する。狸の国は
この大明神のおかげでしじゅう晴れており、放射能雨を浴びないですむので
ある。闇右衛門は狸の国にスパイとして入り込んでいた娘のお誘(淡路恵子)
に玉を奪わせようとするが失敗、しからばと、若君をさらって人質にし、玉と
引き換えにしようとする。お花たちと、森の精(学芸会みたいな格好をした
高田浩吉)に一旦は助けられた若君だったが、再び襲われて拉致されてしまい、
魔法のガラス瓶の中に閉じこめられる。このガラス瓶から若君を助けるには
オランダ屋敷に咲くマンジュシャゲの花をはじめとする3つのアイテムが
必要であり、お花とポン吉はそれを求めて旅に出る……というもの。

イヤリングならぬ鼻リングの怪オランダ人、伴淳三郎や浪曲をうなる広沢
虎造の森の石松、さらには東映京都で端役ばかりやっていた中村時十郎が
松竹に呼び戻されてさすがのお仕込みの土蜘蛛の精を演じていたり、森の
中でドラムを叩く狸がフランキー堺だったり、正月映画だけに喜劇、時代劇
から浪曲、漫才、音楽界とさまざまなジャンルの人気者が一堂に会し持ち芸
を披露する。実に楽しく、ひばり、伴淳、高田浩吉、川田晴久などの歌う
ナンバーも傑作揃いで(音楽・万城目正)いい映画なのだが、それだけに
放射能雨のリアルさが何とも違和感バリバリで、しかも悪役のコウモリ一族
がその被害者、というあたり、すさまじくひっかかる(おまけに有島一郎も
娘の淡路恵子も無惨に殺される)。……まあ、逆に言えば、これは敵に情け
なんかかけていられない当時の冷戦状況の、ダイレクトな表現なのかも
しれないが。

放射能雨がギャグにも昇華しきれなかったのは、それが“現実”だったからだ。
『ゴジラ』の中にも、
「原子マグロだ、放射能雨だ、そのうえ今度はゴジラときたわ」
というセリフがある。この時期、米ソ両国はボカスカ核実験を行い、
放射能雨が日本にも年中降り注いでいた。60年代の東京の大気中の放射能値は
現在の一万倍であったという。
今でもなお、その時降り注いだ放射性物質が日本をはじめ世界中の土中には残っている。
放射能にたっぷり汚染された米を食いマグロを食って、それでもわれわれは
元気に丈夫に生き延びてきた。
毎日テレビで報道される放射能報道にビクついて、ロクに食事も摂れなく
なるより、こういう映画を作って笑いにしてウサをハネとばす方がずっと
健康にはいいことだけは確かなようである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa