24日
木曜日
古い映画をみませんか・14 『三匹の浪人』
平山亨監督『三匹の浪人』(東映京都 1964)
『仮面ライダー』等変身ヒーローブームの生みの親、平山亨
プロデューサーと言えば、師匠の松田定次監督ゆずりの
「ヒーローは徹底して強く、明るく、正義が最後に必ず勝つ」
を自分の番組のモットーにしている人、という印象が強いが、
京撮(東映京都撮影所)で助監督を務めていた時代はやはり
インテリ助監督らしく、東映の、いかにもヒーロー然とした
ヒーロー像に不満を感じ、
「あれじゃ今の時代についていけない。時代劇を改革せねば!」
という気概に燃えていた時期があったという。
水戸黄門ものの脚本をまかされたとき、最後に必ず悪人たちが叩っ斬られて
終わり、というラストに不満で、あるとき、黄門さま一行が立ち寄った
貧しい家で、その貧しさの理由を訊くと、以前、自分の夫は侍として
上司の命令に従って、ある陰謀に加担した、しかしそこに現れた黄門
一行に悪の一味として斬り殺され、悪事に加担したというので家も改易、
路頭に迷っているという答えで、愕然とした老公が
「自分の思慮が足りなかった」
と平伏してあやまる、というストーリィを作り、先輩たちに“アホか、お前”
とこっぴどくドヤされた、というエピソードもあるくらいの人だ。
監督昇進二作目にあたるこの『三匹の浪人』は、その映画青年・平山亨の
思いがかなりストレートに反映された作品だと思う。
主人公の三人(近衛十四郎・進藤英太郎・高津住男)の行動原理は
正義とか人情ではなく、ひたすら金。
漁村を支配する二組のヤクザ、それを使い分けて密貿易の上に
村の娘を根こそぎかどわかして売り飛ばそうとする悪徳奉行(安部徹)。
二組のヤクザをわざと対立させて、というのは黒沢の『用心棒』からの
いただきで、これは『用心棒』を見て東映時代劇改革に奮い立った
平山亨のオマージュだと思うが、『用心棒』の三船敏郎の行動の
モチベーションが、最初に出会った貧しい養蚕農家の親子への同情
ということで一貫しているのに、こっちの三人はもっと人間的に、
いろんな要素に振り回される。
最終的に、お調子者の高津住男は、貧しい村の娘(御影京子)に
「あんた、あたしの死んだ兄ちゃんみたい」
と言われて、その娘を守ろうとして命を落とし、
進藤英太郎の和尚は、自分と同じく侍を捨てた高津が、最後に武士の意地
を見せたことに何かを感じ、そして近衛十四郎は、ぶらりと入った女郎屋の、
女郎の幼い娘の笑顔に突き動かされ、死地に飛び込んでいく。
幼い子供がキーになるところがいかにも平山亨らしく、雀百までだなあ
と微笑ましいが、最後にそれを甘い感傷に持っていかないところが
カイカクの気概であって、自分たちを救ってくれるためとはいえ、
何十人もの人間をバッタバッタと斬り殺した男を、純粋な幼子の目は
許しはしないのだった(それでも最後に救いは残してあるが)。
途中に対立するヤクザ同士のロミオとジュリエット的な要素もあり、
そのジュリエットの三島ゆり子は親分の妹で、勝気なこの妹にポンポン
言われて頭のあがらぬシスコンの親分を『悪魔くん』のメフィスト、吉田義夫が
演じているのが可笑しい(ロミオ役は『ミラーマン』のSGM隊長・和崎俊也)。
……とはいっても、描かれる要素が多すぎて、話が混乱してしまうのが惜しい
ところだ。もうちょっと脚本を練り込めば痛快さは倍加したろう。
にも増して、演出に悩める若手・平山亨監督の、あきらかな迷いがあるように
観ていて感じるのである。
助監督が折田至、特別出演みたいな形で汐路章など、後にプロデューサー・
平山亨の持ち駒となる顔があちこちに確認できるのが興味深い。
進藤英太郎が、死んだ高津住男と吉田義夫を前にして
「経をよんで進ぜよう」
と言って、お経を詠むのかと思ったらアホダラ経を唱え始めるシーンが
最も印象的だった。
しかし、それよりも観終った感想としては、映画斜陽期の混乱と困惑が
ひしひし伝わってくる作品だったなあ、という方が強い。
ある意味、完成試写を観て、最もそれを感じたのが演出家本人ではなかったか?
平山亨はこの作品のあと、オクラ入りになった作品『壁の中の野郎ども』
を渡辺文雄主演で撮って、テレビ部に移動になり、かくて伝説は始まる。
そのときに、かつての悩める映画青年の煩悶をスパッと捨てて、松田定次
の教えである明朗活劇ヒーローものの原点に帰ったことは幸いであり、
平山亨という人間の一番凄いところは、そのインテリ的煩悶を捨て去る
ことが出来、娯楽の根源に帰ることが出来た、ということではないかと
思うのである。