裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

金曜日

コミック日記【忍法十番勝負】

コンビニのコミックの棚に廉価版(400円)として『忍法十番勝負』が復刻されていた。実に懐かしい。横山光輝、白土三平という忍者漫画の二大巨匠に、当時若手・中堅だった松本あきら(零士)、石森(石ノ森)章太郎、小沢さとる、古城武司、堀江卓、一峰大二、藤子不二雄(A)、桑田次郎の八人、計十人の漫画家が参加したオムニバス作品である。

何回か文庫などで再刊されているが、最初に掲載されたのは雑誌『冒険王』(最近悪いことで評判の秋田書店発行)で、昭和39(1964)年の1月から10ヶ月間連載され、 昭和41(1966)年にサンデーコミックスで単行本化された。雑誌連載時はテレビで『隠密剣士』が最高視聴率40%を記録する大ヒット放映中。世はあげての忍者ブームで、それに 乗っかった企画あまたある中でベストのものだった。

大阪夏の陣直前、大坂城の抜け穴を記した図面をねらい、奪い合って徳川方・大阪方、また双方どちらにも属さぬはぐれ忍者たちが秘術をつくしてわたりあうというもの。ブームのパワーは凄いもので、松本零士や藤子不二雄(A)、桑田次郎など、ふだんは忍者ものなどに縁のない作家までもが駆り出され、漫画史的にも貴重なものになっている。

藤子(A)の作品は後に『黒イせえるすまん』などで見せる黒白のコントラストを強調した画風が印象的だし、桑田次郎の作品に登場する一匹狼の忍者の名が「魔王」。同時期に少年マガジンに連載されていた『8マン』に登場するライバルロボットと同じ名前である。遊び心か、あるいは考えるのがめんどくさくていいかげんに同じ名をつけたものか・・・・・・。

松本零士に至ってはこの作品が唯一の時代物だそうだが、それ故にアクションシーンなどが斬新で楽しい。一村全員忍者という集落に変装して忍び込んだ敵の忍者が正体をあばかれ、逃げようとするがそこは全員忍者なので四方八方から手裏剣のシャワーを浴びせられ、ハリネズミみたいになって死ぬというのが面白かった。

白土三平はさすがに余裕で、自らの忍者ものの外伝といった風の忍犬ものを楽しんで描いている。中に登場するガンダメという忍者は特異体質で全身の皮膚が角質化して刃物も通らぬという影一族的設定だが、ここに白土作品名物の解説が入る。相変わらず博識で「カメの甲羅も骨ではなく皮膚が角質化したもの」とあるが、先生、あれやっぱり骨だそうですよ。

ところが白土先生、自分が十番勝負のまだ七番目ということを忘れていた(そもそもストーリィから言って、オムニバスということを意識してなかったようだ)せいか、凄まじいポカをやってしまっている。作品の最後で、絵図面の巻き物を徳川方の忍者の親玉、服部半蔵の手に落としてしまっているのだ。そもそもこの『忍法十番勝負』という話は、大坂城の絵図面というマクガフィン(登場人物に行動のモチベーションを与える物件)を徳川・豊臣双方の忍者が奪いあうのが基本のストーリィである。それが一方の親玉の手に入り、彼がそれを家康に献上すればもう話はそこで終りである。さあ、困った(と思う)のは次の回の担当である小沢さとるだ。

そこで小沢先生、凄いアイデアをヒネり出した。何と、根本の設定ををひっくり返してしまったのである。

絵図面を手に入れた半蔵が、いくら調べさせても大坂城に抜け穴などない、と家康に報告する。家康は不敵に笑い、「そうであろう、抜け穴などというのは自分の城も守れぬ者が用意するものだ、亡き秀吉公の作った天下の大坂城に抜け穴などあろうはずがない」と言う。あの絵図面は、最初から偽物で、抜け穴などというのはガセ情報だったというのだ。これは仰天せざるを得ない設定変更である。ここまでに凄絶な戦いで命を落とした忍者たちの死闘は全て無駄だったと言うのだから。

しかし、家康はそれを知りながら半蔵らに絵図面を奪わせた。それはなぜか。天下分目の大いくさがはじまれば人心は動揺する。中には裏切りを謀る者も出てくるかもしれない。しかし、巨大な大坂城に抜け穴という致命的な弱点があると聞けば、大名たちはそちらに注意を集中し、裏切りなど思いもしないだろう、と言うのである。いかにも老獪な家康の考えつきそうな計画である。

しかし、絵図面を夏の陣が始まるまで、もう少し本物と思わせておくためには半蔵のもとでそれを奪う争いを続けさせねばならない。そのために家康は、半蔵のもとに、半蔵が我が子のようにかわいがっている少年忍者、伊賀丸を差し向け、師匠と戦い、そのもとから絵図面を奪えと非情にも命じるのであった・・・・・・。

正直、子供時代にこの作品を読んだときは、小沢さとる担当回は絵柄のせいもあり地味に思えて、あまり記憶に残らなかった。絵図面の謎が強調されるのは次の石森章太郎回だとばかり思っていた。しかし、後年になって改めて読み返して、この小沢回の、忍者の世界の複雑さと虚しさを描いたテーマの斬新なことにびっくり仰天した。

まさに、ストーリー性で言えばこの『忍法十番勝負』全体の転換点、白眉がこの小沢さとる担当の八番勝負と言えるだろう。そして、その転換が前回の白土回のポカの収拾でやむなく行われたものだということは、これだけの大陰謀を家康が最初から企んでいたのでなく、絵図面が偽物と知ってからの思いつきである、ということにしてしまっていることでわかる。
「おそらく絵図面を作った人間も何かそういう考えがあったのであろうな。その絵図面を何かで生かさなくてはせっかくの絵図面がなくであろうが」
これではせっかくの家康の深慮遠謀キャラが台無しであるが、これはこのアイデアを考えついたときの、小沢さとるの本心だったのではあるまいか。

もちろん、これを家康の思いつきにしたのは、最初からの企みとすると前までの話(特に第一回)と矛盾するためであり、また、典型的娯楽作家である小沢さとるには、後年(70年代)の少年漫画のように、自分のアイデンティティに悩む主人公が描けなかったためでもある。小沢回のラスト、価値のない絵図面を奪うために命を捨て、致命傷を負いながらも、最後の気力をふりしぼって血を点々と垂らしながら去っていく忍者は主人公の伊賀丸ではなく、脇役の甲賀忍者だ。伊賀の影丸をさらに幼くしたような顔の伊賀丸は、その秘密を半蔵から聞かされても、何の心の痛みも虚しさも感じることなく (主人公としてビルドゥングスすることなく)生き長らえるのである。それは欠陥ではなく、大部分の当時の少年漫画の主人公の必要とされた要素(読者に理解されやすいという)であったにせよ。

続いての石森章太郎担当回は、当時代表作『サイボーグ009』の連載を開始したばかりで、娯楽性を兼ね備えた文芸派として60年代後半から70年代にかけて名声を欲しいままにする石森らしく、ダイナミズムあふれる忍者同士のバトルと、多くの仲間の命を犠牲にして手に入れた絵図面が偽物と告げられ、呆然と立ち尽くす少年忍者・鈴彦の喪失感を両立させて描ききった異色作だ。

この鈴彦という現代的な名を(おそらく故意に)持たせられた少年忍者は、石森によって、小沢さとるの世代には描けなかった主人公の内面の葛藤を、まだアーキタイプではあるが課せられた、もう一人の、“かくあるはずだった”伊賀丸として読むべきだろう。

作品としての完成度と、70年代にその表現性を大きく延ばして到来した漫画黄金期の萌芽を感じさせる点で、私はこの九番勝負を『忍法十番勝負』の代表回とこれまで信じてきたし、今もそう思う。ただし、その功績の多くは、前回を担当した小沢さとるが用意してくれたものを受け継いで発展させたものであることを指摘しておきたいと思う。

そして、ドラマは大きなうねりの中で、いよいよ大トリ、当時少年サンデー誌上に『伊賀の影丸』を連載して絶対的な人気を誇っていた忍者漫画の巨匠、横山光輝に引き継がれる。だが、 ここで横山先生は信じられない挙措に出る。売れっ子作家のこととて、前回までの作品に目を通すヒマがなかったのか、それとも若手の引いたレールの上を走るのはプライドが許さなかったのか、これまでの伏線を全て無視してしまうのだ。

家康が抜け穴の絵図面を欲しがった理由は、大名たちを操るための大きな謀りごとでも何でもなく、娘の千姫を救いたいための親心である、と一気に矮小化されてしまう。そして、話はもう絵図面など無視し、単に抜け穴の在り処をさぐりに忍び込んだ伊賀忍者たちと、城を守る猿飛佐助、霧隠才蔵たちの、『伊賀の影丸』でおなじみの集団闘争が例によって描かれるだけで、そして何と、最後の最後に、その抜け穴というのがホントに出てきてしまうのである! これでは小沢回の、半蔵とその部下は全くの無能だったことになってしまう。横山先生、あまりの仕打ちではありませんか。

私の中で横山光輝という作家の存在は、鉄人28号という作品を通じて特別なものである。手塚治虫よりもむしろその存在は大きい。しかし、ことこの作品のラストに関してのみは、初めて読んだ小学生の時から口アングリであり、何じゃこれは、であった。

この『忍法十番勝負』、もし前々回前回の流れを受けて、大阪の陣の後、生き残った忍者たちが笑う家康の前で、自分たちの時代が終わったことを予感する、というようなラストになれば(なった可能性は充分ある)漫画史に語り継がれる名作になったろう。60年安保の秀逸なアナロジーにさえなったかもしれない。繰り返すがそうなった可能性は充分ある。

この作品が連載される前年、1963年に、劇作家の福田善之は60年安保闘争の挫折を大阪夏の陣の真田十勇士たちの挫折に置き換えて戯曲『真田風雲録』を上演し、それはその年のうちに東映で加藤泰により映画化された。前例はすでにあったのである。

しかし、典型的アルチザン作家であった横山光輝は、少年マンガの世界にそんな辛気臭い意識を持ち込みはしなかった。ただひたすら、トリッキーな忍者同士の争いを描き、読み飛ばす分には実に面白い忍者ものの佳作として、この作品を締めくくった。 『忍法十番勝負』は、ここに異色大作となるチャンスを永遠に失ったのである。

もちろん、この作品はそんなことを考えずに読める娯楽忍者ものとしては抜群に面白い。しかし、オムニバス作品のラストとしては構成が破綻しているということはあきらかであり、そこはもう、読み返すたびに歯がみをしたくなるのである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa