唐沢 えー、今回は『裏モノ日記』単行本化記念ということで、今回の本に解説をご寄稿いただいた皆さんをお招きして、『裏モノ日記』そのものについて、いろいろ語っていただきたいと思うわけです。あ、ちなみに対談場所はいつもこの日記に出て参ります幡ヶ谷の『チャイナハウス』で、みなさんの前にある皿にはここの店の定番前菜の炙り鶏と、今日のマスターのお勧めの蚕のサナギの煎ったもの(笑)。では、老酒でカンパーイとやって、始めましょうか。
芦辺 僕は飲めないんでお茶ですが……そもそも僕、なんで『裏モノ日記』に興味を持つようになったのかっていうと、たまたまなんですよ。古本や特撮に関する用語を調べていて、ネットで検索していたら、偶然、唐沢さんの日記がひっかかったんですよね。
浅野 僕は始まる当初から見てました。ニフティの「裏モノ会議室」で唐沢さんのサイトが立ち上がるって予告されていて、その頃からどこにあるんだろうって、いろいろ探してたんですが。
唐沢 あれは一回、フェイクがあったんですよ。旧・青林堂のサイト内のコンテンツで私の『書痴快楽園』ってコーナーが立ち上がることになっていたんですけど、立ち上げる前に青林堂のサイトそのものがツブレちゃって。
美好 私も自分がネットを始めた当初、1999年ぐらいから見ていましたね。
唐沢 あ、私も99年からの開始なんです。そもそも日記を始めようと思ったのは、美好さんの『ラッキーホラーショー』に掲載されていた日記を読んで、こういうのを自分もやれたらいいなと思ったのがきっかけなんですよね。
美好 初めて唐沢さんとお会いしたとき「ぞんざいな絵日記」と言われたのを覚えてます(笑)。ただ起こった出来事を、絵も文も下書きなしでささっと書いたものでしたから。
唐沢 いや、弟のなをきなんかは、“才能はぞんざいな絵で何が描けるかにかかっている”と常々言ってますよ。丁寧な絵なんて、だれにも描けるしね(笑)。……とはいえ、最初はサイト自体、を立ち上げるのがメンドくさくてね、岡田斗司夫さんや眠田直さんたちに“早く作りなさいよ”とつつかれていたんだけど、なかなか腰を上げられなかったんです。ところが、そこで外圧があったんですね(笑)。当時、伊藤剛くんって元・私のところのスタッフだった人との(バカ)裁判ってのがあって、岡田さんの本の中に載せた私の原稿の中で伊藤くんのことを侮辱したと言って、彼から訴えられていた(笑)。向こうの要求ってのが1500万払って、朝・読・毎の三紙に謝罪文を載っけろ、ということだったんですけど、裁判の結果、それは却下されて、結局和解で決着したんです。その和解条件も当初の要求に比べれば非常に緩くて、自分のサイトで3ヶ月間、謝罪文を載せればいいってことで落ち着いた。で、岡田さんは自分のサイト持っていたからいいんだけど、僕はその時点で持ってなかったんですよね。それで急遽、どうしてもサイトを立ち上げねばならなくなって……。
芦辺 ということは、『裏モノ日記』が始まったのは、その裁判がそもそもの原因ということですか?
唐沢 そう(笑)。あれはだから彼に感謝しないといけません、私の日記ファンは。最初は、まさかそのサイトにこんなに毎日延々と日記を書いて、しかもそれが人気になって本にまでなるとは露とも思っていませんでしたね。でもいざ書き始めてみたら、「こんなに自分の資質にあったメディアがあったのか!」って新たな発見があったんですよ。
芦辺 唐沢さんは日記そのものってのは前から書いておられたんですか?
唐沢 今回の本のあとがきにも書きましたけど、中学生のころから、書いては挫折し書いては挫折し、の繰り返しだったんですよ。一番続いたのが高校二年から三年にかけての一年半かな。意外と労力がいる作業だし、いまの仕事に就いてからは忙しくて日記どころじゃなかったですからね。
芦辺 僕は基本的に作家になってからは日記を書いたりはしていないんですよ。過去にいちばん一生懸命日記をつけていたってのは会社員時代で、タチの悪い上司がいて鬱屈してた時期でした(笑)。その日のイヤなことを思いださなきゃいけないから苦しい作業のはずなのに、よっぽどこれを記録しておかなきゃという思いがあったのか、とにかく毎日欠かさず職場での出来事を書いてたんですよ。で、作家デビューして自由業になってからは、解放的な気分になった反面、日記を書く習慣がなくなった。だから毎日日記が書ける同業者の方っていうのは、僕にとっては面白いんですよ。
唐沢 幸せになると書くことがなくなる人っていますよね。私は美好さんは結婚したら絶対書かなくなると思ってたんだけど。
美好 結婚した相手が相手ですから(笑 ※美好さんのご主人は犯罪ルポライターの
蜂巣敦氏)。でも結婚云々は関係なく、毎日、日記は書きますよ。
唐沢 日記のキモってのはなんでも続けて延々と書くということですよね、結局。作家だから面白いこと書かねばならん、とか言うのでなしに、とにかく日常の記録が大事なんだ、と。そう思ったらプレッシャーがすっととれた。別に不幸でなくても日記がつけられる(笑)。
美好 私の日記は投稿作品だったのでプレッシャーとか全然なかったんですよね。好き勝手に書いちゃってました。
芦辺 僕は今回の本の解説で「『裏モノ日記』は都市小説だ」って書かせてもらったんですけど、最初から“都市生活者の手記”みたいな感じで読ませていただいてるところがある。
浅野 僕はとにかく毎日、ノンジャンルで何でもアリ、みたいなところが楽しくて読ませていただいています。だから今回の解説を書くにあたって、何にポイントを絞って書けばいいのか悩んだくらいなんですよ。
唐沢 15年もモノカキやっていると、ある種イロがついちゃうんですよ。例えば私が何か映画を観て感動しても、それをストレートに書いたら、パブリックなカラサワシュンイチのイメージに合わないからダメなんですね。ちょっとひねったマニアの視線で書かないといかん。『クレヨンしんちゃん』観て泣いた、てのは没なんです。でも、私も人の子で(笑)、泣きもするし感動もする。そのことも書きたい。『日記』はその格好の捌け口にはなっているような気がしますね。「あんなに毎日、書きまくっていて、よくネタがなくなりませんね」って声もしばしば聞くんだけど、よく読めばおわかりの通り、仕事で使うネタと『日記』で書くネタは滅多に重ならない。ネタを垂れ流しているわけじゃない。仕事で書くときのネタは探して手に入れるし、日記のネタはただぶらりとしていて拾うものだしね。『近くへ行きたい』はかなりカブりますが、まあ、あれは原稿のメモを日記でやっているんだと。あと、例えば、買った古本の値段とか露骨に書くと、それが掘り出し物だった場合古書市場に影響を及ぼしちゃったりとか、買った本のタイトルを全部書くと「何の情報を集めようとして、それで何を書こうとしているのか」同業者にバレちゃったりとか(笑)、そういうことがままあるんです。だから、毎日好き放題書いているように見えて、実はけっこう気を使ってるんですよ。
美好 それと、毎日なにを食べたのか、献立から味まで詳しく書かれるじゃないですか。あれがすごく美味しそうで。
唐沢 もっと簡単な覚え書きでいいんですけどね。ウチの女房から「旨そうに書いて、人を羨ましがらせなさい」という指示があって(笑)。グルメ日記としてこれを読んでる人も多いみたいね。『日記』を読んで六本木の「トツゲキラーメン」というものを食してみたいと思ってたらいきなり閉店になったと書かれていて、ショックでしたってメール寄越してきた人もいた。
浅野 「トツゲキラーメン」は『日記』読者には人気高いですよ。僕もいつか行こうとは思ってたんですけど。
唐沢 いまにして思うと、なんとなくツブれる予感がしてたのか、あの店のことはしつこく何度も書いてるんですよね。また、しつこく書かないとなんでこんなものに執着するのかが伝えられない不思議な食い物で(笑)
浅野 あのラーメンの描写がまたスゴかったじゃないですか。「20代の頃に食べないと、絶対、胃袋が耐えられない」とか、旨いかどうかはともかく、スゴいラーメンだというのはよくわかった(笑)。
芦辺 唐沢さんご夫妻は大阪に来られるときでも、地元の僕ですら知らないような旨い食べ物をかっさらっていくじゃないですか(笑)。あそこまで大阪でエンジョイされてしまうと、地元の生活をあんまり楽しみきれてるとはいえない僕なんか、「オレは大阪でなにやってんだ?」って自問自答したくなる。もともと食べ物なんかにあまり執着がなかったせいもありますけど、いままで自分の人生がストイックすぎたことに反省することしきりです。
唐沢 食い物に執着するのは学生時代、本に金をかけすぎて栄養失調になりかけて以来の主義なんですが(笑)、本当は私、うまいスジコとかうまい納豆とかがあれば、三食それでいいって人間なんですよ。女房がね、一食たりとまずいものは食いたくない、という執念の持ち主なんで引きずられて……。
芦辺 『日記』読んでなかったら、「さんなみ」なんて旅館知りませんでしたよ。
唐沢 いや、あそこの料理を食ったら、これは誰でも日記に書きたくなる。と、いうか、食べて、この味を何と表現したらいいか、と思ったときに、“これはオレの日記に対する挑戦だな”という感じがして(笑)。舌に筆が果たして拮抗するかというね。
浅野 渋谷の「兆楽」なんて、いつも見慣れている店のはずなのに、なんか『日記』を通して読むと、別の店のように思えてくるんですよね。
唐沢 あそこは味はともかく、店の料理人があまりにひなびた感じのする人ばっかりで、何かドラマを感じるんですよね。料理より、店の方が味わい深い(笑)。結局、巷のグルメ記事って食べ物にしか焦点が当たってない。その食い物をわざわざそこに足を運んで食うオノレの存在意義、みたいなとこまで含めて書かないと。
芦辺 僕なんか芝居や寄席が大好きなんだけど、「自分はまだそういうものを十分に楽しめるほど教養を積んでいない」っていうヘンな引っ込み思案があって、なかなかその世界に思いっきり飛び込めない。そこで唐沢さんが『日記』で落語や芝居にしょっちゅう出かけて、芸人さんたちと積極的に交流しているのを見て、自分はこれではいかんと思いましたね。旭堂南湖さんって講釈師の人を私がいま、バックアップしたいと思っているのは、唐沢さんの真似事でもいいからそういうことを始めよう、というのがモチベーションになっている。
唐沢 人間関係ってもともと苦手なんです。好き嫌いが激しいし、そういうところでは口べただし。いや、ホントに(笑)。芸人さんがいいのは、彼らも自分の本性の上に、“芸人”っていう衣装をまとっているから、わずらわしいプライベートな部分はカットできる。芸がよければ人間性は多少問題あってもつきあえる(笑)。
芦辺 僕は大阪土着の人間で、住んでいてほとんど不便を感じない、これで一生関西から出て生活することはないだろうと思ってたんですよ。ところが『日記』を読んでいるうちに、「ああ、東京にいれば唐沢さんみたいに、いい娯楽に接して旨いもの食って、っていう生活が送れるんだなあ」って、初めて大阪から出たいという気持ちが芽生えてしまった(笑)。これはすごいことですよ。僕自身、自分のいまの生活ポジションというものをそんなに変える必要性は感じてなかったし、変えるとしてもまだまだ先のことだと思ってたから、犬まで飼っちゃったしね。それを変えさせてしまったという意味でも、『裏モノ日記』の影響は大きいんですよ。
唐沢 そんないいことばかりじゃないですって(笑)。『裏モノ日記』ってタイトルの下に「裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である」って書いてるでしょ。美好さんの日記なんか読んでて面白いのは、書く題材になりそうな奇人変人がわらわらと周囲に寄ってくることなんだけど(笑)、私の場合はいたって日常が平穏なんで、あんまり毎日書くに足る面白いことがあるわけじゃないんですよ。
美好 でもその奇人変人の多くが「私なんて平凡な、絵に描いたようなフツーの人ですよね」と言ってるんですよ。どこからどこまで平穏で日常なのか人によって差がありますよね。
唐沢 「私って不思議人間じゃないですか」って奴に限って面白くもない人間なんだよね(笑)。しかし、日常もそうですよ。何か変わったコトがあったということで日記つけてる人って、夏休みに日記に書くことがないから海水浴つれてけと親にゴネたとか、そういう幼児体験した人じゃないか(笑)。毎日義務みたいに何本ものイベントに行って、たくさんの本を読んで、その感想を逐一書いたりしてる人がいる。人ごとながら、“あれじゃ女の子ともつきあえないんじゃないか?”とか心配になったりする。僕はそんな勤勉になれないし、あくまで仕事の片手間なんで、内容としちゃそんなに面白いものにならないだろうと思ってた。だからその言い訳として「一見平凡で怠惰なる日常」なんて書いたわけです。そうしたら、初めて数ヶ月で「唐沢の日常は濃すぎ」なんて声があっちこっちから上がってきた。あれが最初、よくわからなかったんです。でも、考えてみれば一般読者には、例えば睦月影郎とか、開田裕治とか、立川談之助なんて人たちと普通に会っている、という、いわばこっちにとっての“ケ”が、“ハレ”に映るんですね。もともと『裏モノ日記』ってのは、ニフティでやってた「裏モノ会議室」の延長でやってるところがあって、あそこに集まってくるのはとにかく「普通とは違う物差しで世の中を見よう」って連中ばっかりだったから(笑)、『日記』もだいたいそういう濃い人たちしか読まないもんだと思ってた。ところが始めてみたら、逆に、いままで私の本をまったく読んだことがなかった人などからの反響が大きかった。これにはこっちがビックリしましたね。もともと始めたときの主義で、日記猿人にも登録してなかったし、最初から読者を増やすような努力は一切しなかったんです。わかる人が見つけて、秘かに楽しんでくれればいい、と。あんまり読者を増やすと、こっちが言いたいことが言いにくくなっちゃったりするからね。ところが、あっちこっちでリンクされたり登録されたり。
芦辺 ただ、小説家でも公開日記を発表しているがために、本業とのバランスが取れなくなって追い込まれるケースって多いんですよ。
唐沢 「ネット日記は人格を壊す」ってよく言われますよね。自分の書いたことに引っ張られてしまうというか、ネット日記ってのは人に読まれることが前提としてあるから、多少は極端なことを書かなきゃいけない。そうすると慣れてない人は、常に極端なことばかり書くようになってしまって、その人の思考そのものを日記にだだ漏れさせているというような、本末転倒な生活に追い込まれるようになるらしい。
芦辺 極端なモノ言いには、読んでる方の反応も激烈なものになるから、どんどん日常とネットが乖離していく傾向に走ることになる。その辺、ネット日記って実はホントにアブナイんですよね。
美好 けっこうウェブ日記を書いてた知り合いがいましたが、やめた人も多いですね。気になったり、振り回されたりすることが多いみたいです。
唐沢 前に大月隆寛が「サブカル系はネット日記をつけるようになると壊れていく。あれで人格が壊れないのは岡田斗司夫や唐沢俊一のような、最初から外道の連中だけだ」みたいなこと言っていたことがあって、言うに事欠いて“外道”とはなんだと思ったんだけど(笑)、要するに岡田さんや僕なんかは最初から一般常識とはちょっと外れた部分で自己を売ることに慣れてるんです。なにしろオタクってだけで気味悪がられていた時代からオタクを標榜してたんですから。そういう表裏の顔のない人はネットと日常の境界線がどんどん見えなくなっていくらしい。
芦辺 特に最近は、相当の売れっ子作家でも、ネット日記で紙媒体で書けないホンネを書いてしまうことで、自分の了見の狭さや思想のヌルさを暴露してしまうケースが多いんですよ。
唐沢 私の場合は、何かを日記で語る際のモデルがあって、それは徳川夢声の『夢声戦争日記』なんですよ。夢声の日記でいちばん学んだのは「俗物であることを恐れない」ということなんです。どういうことなのかというと、日記ってのは、さっき芦辺さんがおっしゃったような、極端なことばかりの自意識過剰な内容じゃなくて、床屋政談的な俗な世間話を書きつづっていく方が本来のあり方なんじゃないかということなんですよ。そりゃ、仮にも物書きなんだから、他人と違うことを書かなきゃという部分はありますよ。でも、日記にそれを延長させないで、せめて日記の中では俗論を書こうと。
芦辺 『裏モノ日記』は社会時評的なことも恐れずに書くじゃないですか。僕なんかは時事問題に触れるのは、まわりから変に誤解されかねないところもあって、極力避ける傾向があるんですけど、唐沢さんは恐れずによく書きますよね、イラク戦争のときも安易な反戦支持派を批判したりとか。
唐沢 理念で考えると、さまざまな事象、つまり人情とか世情とかいうものを排除して非常に純粋性の高いものに近づけた論が、優れたものとなるわけでしょう。日記ってのはそれと反対に、いま体感しているその思いを、整理せずに出せるわけです。これが結局、適度なバランス感覚を保たせてくれる。だから、ときには右っぽいことも書くし、逆にいやに急進的な左翼っぽいことも書く。そのときどきの反応だから仕方ない。骨の髄からの右とか左なんて人、そんなにいるわけがない。ネットの世界ってすぐ人を“サヨ(左翼)”“ウヨ(右翼)”で分類しようとするじゃないですか。僕の場合、同じ発言でも「唐沢はウヨだ」「唐沢はサヨだ」と、人によって別々の反応になる(笑)。
芦辺 ただ、バランスをとるためにあえて違う発言をしてみるってのも、他のモノ書きがやると、さっき言ったような極端な方向に言っちゃうんですよ。北朝鮮拉致問題であれば、被害者への個人攻撃を始めてしまったりとかね。だから、カウンターバランスをとるのもけっこう綱渡りなところがあると思うんだけど、唐沢さんは不思議とそうならないですよね。
唐沢 やっぱり夢声がモデルってところがありますね。彼が『問答有用』って対談を長期連載していたときに、そのコツというのは結局のところ“常識に従う”ってことだと言っていた。一時の極論は瞬間的な喝采は受けても、決して長続きしないと。読者の中にはスリルを求める人も多いが、大部分はやはり安全を求めるんだと。ところが、商品としての言説は急進的でないとダメなんです。人目をひかないと。だから、時事問題でも例えば村崎百郎さんとの対談ではもう、すっ飛ばしますね。その自分の言説へのカウンターバランスも、日記ではとっておく。自説へのフォローってのを怠ると、人間、どんどんトンデモな方へ傾斜していく。
浅野 政治家がマスコミを通して意見表明するみたいなもんですね。
唐沢 そう言われると、なんかイヤラシイな(笑)。若ければ傾斜もいいんだけど、もうそんな年じゃないしね。実際、僕は若い頃から横町のご隠居さん願望があって、時々不必要なまでに今の若者をいじめることがある。自分の日記で筆をセーブできないのは唯一そこでしょうか。イヤミの楽しさね(笑)。これをね、年寄りの既得権死守本能とか言う人がいますが、私ゃ、十代後半から“今の若い奴らは”と言っていたんだから(笑)。年寄りであることに関しちゃ年期が入ってる。年寄りを認めちゃうと楽ですよ。一年ごとに自分の価値が増す(笑)。山形浩生さんが、「唐沢俊一はなんでああも自信満々で“年寄り”に安住しているのか」なんてどこかで言ってましたが、“あ、こいつうらやましがってやがるな”と(笑)。
浅野 山形さんぐらいの世代っていま微妙な時期にいますよね。若手と言われてきながら、そろそろ下の世代も出てき始めているという。
唐沢 このあいだね、二十代あたまくらいかな、大学に入って下宿生活していたころのメモみたいなものが出てきて、読んでみたら、“若さを武器にするな”と書いてあった。酔って書いたものらしくて、全然覚えていなかったんだけど、いいこと言ってましたね、我ながら(笑)。“若さを武器にするな、放っといてもなくなっていくものを武器にすることは愚かである”と。
芦辺 僕は小説家だから、唐沢さんみたいな立場の人から批評される側ですよね。そういう実作者に対するエールとして読んでいるところもあるわけです。特に多作家の大衆作家への評価っていうか、唐沢さんは「小説にしろ映画にしろマンガにしろ、質よりは量によって、作品を評価すべき場合がある」みたいな言い方されるじゃないですか。なによりも膨大な大衆小説やB級映画や貸本マンガの蓄積を忘れてはならないって。同じようなことは僕も言い続けてきたんですけど、あんまり広範囲の共感は得られていなかったんです。自分では「これが王道」みたいなつもりでやってたことが、逆に傍流になってしまうという。僕自身も大衆文学の王道を行ってるつもりが、どうもカルトっぽく見られてる傾向があったんで、その意味でも『裏モノ日記』はエールを送られてる気分になりましたね。
唐沢 ていうか、僕と芦辺さんが似すぎてるんだよ、好きなものといい書いてるものといい(笑)。いや、寡作の作家だってきちんと評価すべきだと思いますよ。でも、そういう人たちが業界を動かしてるかといえばそうじゃなくて、文化の根底を作ってるのはむしろ常に大衆向けに新作を書き続けてる人たちでしょ。どうもそういうのが軽んじられてるような気がしてたんですよね。
浅野 何年も言われてることですけど、受け手と送り手の境目が年々壊れてきていて、普通のサラリーマンでもコミケでモノ売ってたりするわけです。でも、その一方で、アニメの表現もひとつ突出したものが出てくると、業界全体がそれに染まっちゃうところがある。でも、別にそれを追う必要は全然なくて、先端に届かない有象無象のほうに、実は宝が隠されていたりする。
唐沢 常に先端に目が向いてなければいけないってのは強迫観念にすぎないんでね、むしろ先端に向かうまでに過去にこんなことがあった、ってのをきっちり語っておかないといけない。
浅野 そういう読み方もできるし、いまの文壇の状況だとか、グルメ話、町の様子がどうこうって全部入ってくるんで、はっきりいってこんなオトクな読み物はないわけです(笑)。
2につづく
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