裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

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観劇日記・33『誰か、月光 恐怖ハト男』’東京乾電池)

『誰か、月光 恐怖・ハト男』
劇団東京乾電池
作・演出/加藤一浩
演出/柄本明
出演/柄本明 綾田俊樹 西田清史 山地健仁 他
於/下北沢本多劇場
2012年5月28日観劇

本多劇場のこけら落としをやったという、榎本明率いる
東京乾電池の、結成36年目の公演。今回は14人の配役を
全員男性だけでまとめている。それもほとんどが若手で、
ベテランは榎本明とベンガル(ダブルキャスト)、それに
このあいだ観た『アイニク』に出演していた綾田俊樹くらい。

雑居ビルの五階のエレベーターホール。
内装会社や絵本作家のアトリエが入っているビルだが、
まるで廃虚のような様相を呈しているそのホールを行き来する、
さまざまな男たちの人間模様が本筋で、そこに、この頃、ビルの
周囲を徘徊しているという怪人・ハト男の話がからまり、話は次第に
ホラーになっていく……ということになるのだろうが、話は
ほとんど前に進まない
。それどころか、それぞれの登場人物が
自分の事情を勝手に自分で問題視して状況を無理矢理に長ゼリフで
説明し、他の人物の話を聞いていない。表面だけは丁寧な口調で
会話をするが、実はほとんどの人間同士でコミュニケーションが
とれていないという、かなり把握が困難なストーリィ設定である。
いや、ストーリィなるものが果たしてあるのかないのか
それすら観ていておぼつかない。

ハト男の話が出て、雷鳴が不気味に響き、落ちるはずのないバケツ
が落ちたり、いきなりラジオが鳴り出したり、明りが消えたりと
ホラーっぽい雰囲気がかもし出され、やがて舞台にしつらえられた
エレベーターの中から、その怪人の姿が現れる……ところで
話がやっとひとつにまとまり、展開していくか、と思うと、全く
そうはならず、登場人物たちはワインについてだとか、紅茶について
のウンチクを説明口調で長々並べ立てたり、自分が経営を引き継ぐ
ことになった店舗の改装について会話を交わしたりしていて、
全体の構成が全く見えてこない。途中に唐突に(社内での催し物の
ときに社員が披露する余興としての)かっぽれが、まるでテーマの
ように何度も出てきたりするが、それが何か意味を持つかというと
何もない。いや、肝心のハト男すら、え、これが? というような
正体をあかす。

そして、人間のつながりが勝手に(理由も提示されず)結びついて
できたり、勝手に壊れたりする。一切の予測や理解は観客には不能
である。どうやらテーマらしきものがつかめたのは舞台もすでに終盤、
登場人物の一人がもう一人をひっぱたいて、
「今、手に感触があった」
というところだろう。すでに舞台上の人物たちは、本当にお互いが
存在するのか、という実感すら、失われてしまっているのだ

まさにこれは不条理演劇である。では、巷によくある不条理演劇の
ように、観念が先走った芝居なのかというと、これが不思議なことに
そうではない。舞台上にあるのは、設定さえのぞけばどこにでもある
人間模様であり、会話も極めてまともな日常のものばかりだ。
ただ、そこにドラマとしての意味の付加が一切なされていない、という
芝居なのである。登場人物たち同士の関係は、現在の日本における、
形骸ばかりで実感の伴わない人間関係のカリカチュアなのだろう、とは
思おうとすれば思えるが、この解釈もありきたりすぎるような気が
しないではない

舞台的緊張感は二時間一〇分、ずっと途切れず持続する。大抵の芝居
にある、その緊張感が伝えるべき内容を空虚なドーナツの穴として。
面白い舞台だった。それは確かなのだ。だが、その面白さの“中心”
が暗い穴のようにぽっかりと空いている。たぶん、終演後に劇場を
出る私の顔は、“ハトが豆鉄砲喰らったような”表情をしていた
に違いない

この芝居は、「演劇とは」などという邪念(笑)を持って観ず、
単に人間関係のドタバタ・ナンセンスとして観た方が楽しめるのだろう。
その証拠に、観劇した回で一番ウケて笑っていたのは、最前列に
座ってお母さんと観ていた、10歳くらいの男の子だった

この子が、実にポイントをついた、いい笑い方をしているのに感心した。
ひょっとして数年後、演劇界にこの子は天才現る、として
騒がれる存在になるやもしれん
、と思ったほどである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa