16日
火曜日
古い映画を見ませんか・24 『頑張れゴンさん』
最近あんまり聞かない言葉に『ユーモア小説』というのがある。
ギャグ、コメディを主体とした作品は山ほどあっても“ユーモア”と
いうのとはちょっと違う。
源流をたどれば夏目漱石の『坊っちゃん』に行きつくのだろう。
多くは青春小説の一ジャンルという形をとり、明朗快活な笑いを基本に
おいていた。戦前には『ユーモア作家クラブ』というものまであり、
徳川夢声、サトウハチロー、獅子文六、佐々木邦などがメンバーだった。
佐々木邦の『苦心の学友』、獅子文六の『てんやわんや』などがその
ジャンルの代表作と言える。戦後、その流れを継いだのはサトウの妹の
佐藤愛子、それから遠藤周作、サラリーマンものの源氏鶏太、ファンタジー
も書いた三橋一夫などだった。今や保守派の論客になってしまった曾野綾子
も一時青春ユーモア小説を書いていた。
『坊っちゃん』が祖であるから、その流れを組んだストーリィのものが
多かった。坊っちゃんは東京から田舎へとやってくるが、その逆に田舎から
東京へ出てくる主人公というパターンのものも多く書かれた。東京人の、
金儲けにねじまがった心を田舎者の純朴な青年が悔い改めさせる、という
ような話もやたらあった。で、大抵、これにその青年の下宿先の娘などとの、
淡い恋物語がからむ、という寸法だ。五味康祐の『一刀斎は背番号6』(昭和
30年)なども、そのジャンルには数えられていないが、ユーモア小説の
筋立てを基本にしている。
大量に書かれたそれらの作品は、戦後という時代にマッチしてやたら
出版されたが、またマッチしすぎたためか古びるのもやたら早く、今では
手に入れることも一部の作者のものを除いて容易ではない。読んでみると、
本家『坊っちゃん』ほど文章が優れているわけではなく、ギャグが際立って
いるわけでもなく(例外はあるが)、展開がスリリングであるわけでもなく、
そこに何か太いテーマ性があるわけでもない、いたってヌルい小説群では
あるのだが、そのヌルさが、戦中の暗い時期や、戦後の復興期の、ストレスの
たまる生活の中での息抜きになっていたのだろう。何とも愛すべき作品群で
あった。そして、それを元にした映画群も、多かれ少なかれ、同じような
性格を持っていた。
1956(昭和31年)の東映映画『頑張れゴンさん』(津田不二夫監督)は、
スポーツ・ニッポン紙に連載されていた宮本幹也の小説の映画化。この宮本
幹也という人もユーモア小説の大物の一人で、この時代のヒット映画シリーズ、
『魚河岸(かし)の石松』ものの原作で一世を風靡していた。
『坊っちゃん』式の東京→田舎、そのバリエーションの田舎→東京という
パターンに変化を持たせようとしたか、主人公の島権之助ことゴンさんは
田舎から田舎に出てくる。本職が外科医であるゴンさんは能登の病院に勤めて
いたのだが、恩師の長谷川博士(進藤英太郎が珍しく善人役)に頼まれて、
伊豆の田舎町へとやってくる。飄々、というよりはヌーボーとした、しゃべり
方から言えば少し足りないとしか思えないゴンさんは、人違いから伊豆の
ヤクザ同士の争い(新興成金ヤクザと、老舗ヤクザの勝ち気な跡継ぎ娘)に
巻き込まれる……という話。
これに、ゴンさんに一目惚れする女性たちのサヤ当て合戦がからまるわけだ
が、ヤクザの跡取りの娘・雪に三条美紀、恩師のジャジャ馬娘が小宮光江、
敵対ヤクザの妾の子である芸者に星美智子、キャバレーの女店長が浦里はるみ。
この四人が、ほとんど何の説明もなくゴンさんに惚れこみ、後を追いかける
(ヴァンプ女優として知られていた浦里はるみの迫り方が一番生々しい。
ちなみに彼女は2011年の2月13日、76歳で亡くなっている)。
後に大友は『柳生旅ごよみ女難一刀流』(1958)で、これまたモテモテ
の柳生十兵衛を演じるが、この作品のゴンさんが原型になっているのかも
しれない。残念なのは、どの女優さんも、上手いがいささか華に欠ける
ところであるが。
敵対する新興ヤクザの親分にベテランの山口勇。その子分たちに、後の東映
でおなじみの顔になる山本麟一、潮健児、岩城力などが配されているのも
楽しい。山本(正直、どこに出ているのかわからない。潮健児ははっきり
わかるんだが……)の役名がオネスト・ジョーというところなど、時代で
ある。元ネタは戦術核弾頭を装備できる762ミリ無誘導地対地ロケット
“オネスト・ジョン”で、この映画の前年、1955年に在日米軍に配備
されて国会で騒がれたのである。この映画の同年(56年)、東宝特撮怪獣
映画『空の大怪獣ラドン』で、オネスト・ジョンが対ラドン戦に出動している。
ところで特撮怪獣映画といえばこの親分役の山口勇、戦前、かの斎藤寅次郎の
『和製キング・コング』を演じた、日本怪獣映画俳優の元祖みたいな人である。
この前年、1955(昭和30)年にはやはりガマの化け物などが出てくる
特撮映画『忍術児雷也』で、山賊の親玉、願人太郎を剽軽に演じて印象的
だった。貫目もあり、親分には適役なのだが、やはりもとが喜劇畑の人で、
徹底したワルには見えない。いや、実際にはゴンさんに睡眠薬入りの酒を
飲ませて、す巻きにして海に沈めようとしたり、かなり悪どいことはやって
いるのだが、最後にゴンさんに
「人間元来無一物ですて。お互いに裸になって、平和的解決をつけようじゃ
ないですか」
と言われ(平和的解決といっても、武器をつかわないだけで、要はケンカ
で決めようということである)、
「ようし、俺も男だ。てめえなんぞに」
と上半身裸になって、何とも悠長な取っ組み合いをはじめるという子供
みたいなところを見せる。たぶん、当時アジアヘビー級の王座になっていた
力道山のプロレスの真似(ホントに真似、というかごっこのレベル)だろう。
このユルさも含めて当時のユーモア小説の特長であり、クライマックスとは
とても思えぬオトナ同士のケンカで事が解決してしまう長閑さは、今、
見るとちょっとシュールなくらいである(ちなみに、ゴンさんの得意技は
キン蹴りである。ちょっと卑怯な気がするが、これも2年前、力道山・木村
政彦戦で木村が力道山にしかけたと言われる金的攻撃のイメージか?)。
それでも退屈することなく最後まで見られるのは、上記の進藤、山口、
それに左卜全や花沢徳衞といった芸達者たちのキャスティング(殊に花沢
徳衞が抜群に上手い)と、喜劇映画ならこの人、である脚本家・笠原良三の
手腕によるものだろう。笠原(『仁義なき戦い』の笠原和夫は弟子。同姓だが
血縁ではない)は、前述の東映の人気シリーズ『魚河岸の石松』を担当して
いたが、この年に始まった東宝の『社長』シリーズも担当し、次第にその
主力をこちらに移していく。やがて社長シリーズは60年代を通しての人気
シリーズとなっていく。
時代は、復興期から高度成長期に入り、ただ人が良いだけの、ゴンさんの
ような禁欲的キャラクターから、森繁演ずる社長の、調子よく世の中を渡り、
ときに女房の目を盗んで浮気をするような、そういう享楽的キャラクターの
時代へと移り変わる時期であった。やがて、その完成形として植木等の
演ずる無責任男が誕生するわけだ(『ニッポン無責任時代』1962)。
この映画のラスト、上半身裸のまま、海岸をどこまでも走っていくゴンさん
の後ろ姿に、進藤英太郎が
「好漢、ゴンさん……頑張れ」
と声をかける。普通なら、それが映画のラストであり、大声で“がんばれ!”
と声をかけると思うが、何故か進藤のその声は、つぶやきのような、よく
聞こえないほどの声での“頑張れ”である。それは、ゴンさんのような、
さわやかで純情な、復興時代を支えたキャラクターに対する、追悼の言葉
であったように聞こえる。
ところで、この映画と同年に公開の東映創立5周年記念映画『赤穂浪士・
天の巻 地の巻』では、大友柳太朗はニヒルな剣士・堀田隼人を演じて、
最後は高千穂ひずると心中してしまう。何もかも正反対の役であるが、
両方見た観客はこんがらかったかもしれない。