ニュース

新刊情報、イベント情報、その他お知らせ。

イベント

2013年8月15日投稿

食いしん坊の考古学 【訃報 森浩一】

8月6日、心不全で死去。86歳。

天皇陵から日本各地の名もない古墳までをもカバーして、古代の日本人の生活と
思考について、われわれ一般人にわかりやすく解説してくれた考古学者。

考古学への興味は小学生のとき、河原で須恵器の破片を拾ったのが最初で、
中学生のときにはもう遺跡をめぐり、調査ノートを作成するまでのマニアと
なっていた。決してエリート学者ではなく(大学は英文学部で、高校の教師など
をやりながら古墳の研究と研究誌の発行を続けてきた)、発掘好きが高じて
考古学者になってしまった、という出自、江戸時代から関西人によくある町人
学者の雰囲気が濃厚なところが、考古学をわかりやすく大衆に伝えようという
“お茶の間考古学”の基礎になったのだろう。

専門分野の業績は素人にはとてもカバーできないが、この人の著作を身近にして
いたのは、その「食」への執着である。考古学の基本が貝塚など、古代人の食生活の
跡の研究であるところから、
「日常の食の記録も、後世には考古学となる」
と、徹底したメモをつけ、さらにはそれをデータとして分析し、その食材を一年に
何度食べたか、などを記録した。例えばエッセイの中でも

「1981年1月から2001年1月までに食べた食材のうち20年間は魚ではイワシ
が第一位であるが1996年だけ、サケが第一位でイワシは第二位になる」

「21年間のぼくの食べた材料の統計で、マメについては豆腐、油揚、飛竜頭、
高野豆腐、オカラ、湯葉、豆乳、納豆など加工食品の1年平均の統計が395回も
でていて、そこに枝豆や大豆の煮たもの、エンドウやソラマメなどの201を加え
ると実に596」

などという数字がたちどころに出てくるのである。しかし、ご本人はこれで後世に
平均的日本人の食の記録を残したつもりだろうが、事情を知らない未来人が数千年後
にこの記録を読んだら、
「20世紀半ばから21世紀初頭にかけての日本人は日常の食に関する志向が異常に
強く、健啖すぎる胃袋を有していた」
ととるのではないか心配になる(笑)。

なにしろ、78歳のときに刊行した『回想の食卓』(2006,大巧社)は大病を
して人工透析を毎週3回受けるという身になってからの記録だが、それでも仕事の後
京都の錦市場で夕食の材料を買い求め、
「対馬産のカツオの刺身はうまかった。春日井市の〈稲垣種鶏場〉の名古屋コーチン
の肉を送ってもらっていたのを、蒸しドリにして二杯酢で食べる。家の火力では
蒸し方がむずかしく、まずまずの出来に終わる。その後でカキ飯を食べる」
などという健啖ぶりである。

専門の考古学の分野でも、例えば古代人の農耕における粟類の重要度、というような
テーマを扱うとなると、京都料理の店に頼み込んで粟の蒸鯛を作ってもらったり、
その翌日北野天神に出向いて名物の粟餅を食べたり、錦市場で粟の棒餅を買ったり
する。学術調査、講演会などで全国各地を飛び回る機会が多い職業だったこともあり、
その記録のバラエティの豊富さは私たち一般人にはとてもかなわない。
食欲がこの人の研究のモチベーションになっているのではないかと思うくらいである。

とはいえ、氏は食通ではなかった。例えばフグが好物のひとつだったが、それを
食べるのはなにがしという名店などではなく、市井の居酒屋での鍋料理、さらには
ずぼらやなどのチェーン店を気軽に利用した。居酒屋のフグ鍋は冷凍のフグ肉を
使っていたが、やがて常連になった森氏に、板前さんがこっそりフグの歯板という
顎の部分の骨の、肉と皮がまだついているものを入れてくれるようになった。
フグの中で最も旨い部分である。こういうのを真の食通という。

中央公論社から出た『食の体験文化史』(正続)によれば、森氏のこの食への傾倒は
多くを料理好きだった母親からの影響であるという。私もまた料理のうまい母に
育てられ、食いしん坊のオトナになり、日記に食い物のことを事細かに記す性癖を
有するようになった。自分史として誰が何をどこで食ったかという記録が、ネット
時代の今日は歴史上最も多く記録されている時代だろう。ただし、それが100年後、
200年後に価値あるものになるかどうかは疑問である。コンビニ飯、ファースト
フード、インスタント食品の普及で、食は次第に地域やその歴史から切り離された
ものになってしまった。そして、食べる方に、森氏のような目的意識が欠如している。

追悼記事の中で、産経新聞が、いかにも産経新聞という感じでその死を政治状況と
からめ、尖閣諸島問題などについて森氏が
「離島は絶対に守らなあかん。人が住み続けることが大事なんや」
ということを語っていた、と記事にしていた。確かにその通りなのだが、森氏の
言はどちらかというと思想というよりは、離島における生活文化、ことに食に関する
それを保存する、という見地から発せられたものであると思う。

天国にも、考古学と肴のうまい居酒屋はあるだろうか。
R.I.P.

Copyright 2006 Shunichi Karasawa