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2013年3月7日投稿

クラシカルにしてアバンギャルド【訃報 リチャード・ロドニー・ベネット】

2012年12月24日、死去。76歳。

『オリエント急行殺人事件』(1974)のオープニングタイトルは、当時ようやく自分の小遣いで映画館通いが出来るようになった年ごろの私にとって、ちょっと衝撃的だった。当時の映画というのはアメリカン・ニューシネマ全盛の余波がまだ残っており、タイトルを出来るだけ軽く、小さくするのが流行りだった。つまり、映画のはじまりをあまり仰々しくするのはダサい、テーマ曲もフルオーケストラでジャジャーン、と始まるなどというのは大時代的である、出来るだけ軽く、主役の名前も小さく端っこの方に目立たないように出す、という形式が主流だったのである。1973年のヒット作『スティング』のオープニングは、主演スターはポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、ロバート・ショーの三人まとめての列記で、音楽は『ジ・エンターテイナー』をピアノ1台で演奏するという、“軽さ”を強調するものだったし、1975年に公開された『カッコーの巣の上で』のタイトルは、机の上に散らばったトランプのカードやタバコなどをアップで映し、その画面の下部の方にジャック・ニコルソンはじめとするキャストなどが映しだされるものだった。

ところが、『オリエント〜』のテーマは、フルオーケストラでこそないものの荘重なピアノ協奏曲であり、オープニングはフォルティシモでジャジャーン、とピアノがひき鳴らされ、緋色の布の上に金色の大文字でスターの名前がどーんと画面のど真ん中に映し出されて、「これから映画が始まるのである」ということを大々的に主張していた。アナクロと言われることも恐れず、かつての映画の黄金時代をあえて再現したかのような大仰なオープニング曲が、優雅に、フル演奏されていたのである。
「映画の原点の楽しさ」
に戻る、という監督、プロデューサーの意向がはっきりと見えたオープニングだった。

この作曲を担当したのが当時まだ38歳だったリチャード・ロドニー・ベネットだった。すでに『遥か群集を離れて』(1967)、『ニコライとアレクサンドラ』(1971)などの名作、大作を手がけてはいたものの、イギリス人にとっては国民文学的なアガサ・クリスティの作品のテーマ曲を手がけるのはプレッシャーがあったのだろう。出来上がった曲を聞かせたあと、プロデューサーのジョン・ブラボーンたちがスタジオの隅で会話しているのを、大緊張状態で聞いていた、とDVDの特典映像で語っている。

監督のシドニー・ルメットはこの映画を徹底して「作り物っぽく」撮ることを心がけた、と言っている。女優陣の、汽車の旅行をするとはとても思えないファッションショー的な衣装もしかりだろうし、ポアロ(アルバート・フィニー)のメイク(ほどこしたのはスチュアート・フリーボーン)や、オーバーアクトの極地のような演技もしかりだろう。そして、その仕上げとも言うべきものがベネットの音楽だった。
「列車にワルツを踊らせる」
という考えのもとに、優雅に、軽やかに演奏されたその音楽を試写で見たスリラー映画音楽の大家(ヒッチコック『サイコ』『めまい』など)バーナード・ハーマンは
「これは殺人の行われる列車なのだぞ」
と激怒したそうである(ちなみにハーマンはこの翌年に死去)。そういう意味ではレトロなクラシック趣味と見えて、ベネットの音楽はかなりアバンギャルドだったと言える。

ミステリ映画を陰鬱なスリラーから優雅なレトロ調エンタテインメントに変化させたのは時代の要求だった。かつて(ハーマンの最盛期であった1950年代から60年代半は)、Bムービーを中心にしたミステリ映画は低所得層を主要需要層とした娯楽だった。しかし、テレビが普及するに至り、映画はその性格を変え、ある程度生活に余裕のある層をメインユーザーにしていった。殺人というセンセーショナルな事項を扱いながら、扇情的な恐怖をかきたてるものではなく、ゆったりとした気分で、豪華スターの共演や金をかけた再現セットを楽しむものに変化していったのだ。ベネットの音楽はそのニーズに合ったものだったのであり、象徴のようなものだったのだ。

ベネットの映画音楽の特長は、クラシックを基礎としながらも、ジャズなど現代音楽の要素を取り入れた軽みにある、とよく言われる。『オリエント急行殺人事件』は、まさに映画の目指すところと音楽家の資質が見事に合致した傑作だったろう。ベネットが翌年に音楽を担当した政治サスペンスの佳作『殺しの許可証』(75、シリル・フランケル監督)は、前作のイメージをひきずりすぎたか、サスペンス・シーンの音楽が『オリエント〜』に瓜二つなのがご愛嬌だったが。

ところで、上記『オリエント急行殺人事件』の特典コメンタリーにベネットが出演して当時の思い出話を語っていたが、まるっきりのゲイまるだしなしゃべり方、服装の趣味(ムラサキ中心!)だったことに仰天した。ゲイの文化人は大勢いるが、ここまで露骨な人も珍しい。ま、そういうことが全く支障にならず、その後も映画音楽界、オペラの世界などで活躍し、1998年にはナイトの称号も得、功成り名遂げた一生を送ったことはまことによろこばしい。

プロデューサーのジョン・ブラボーン卿は、『オリエント急行殺人事件』の成功を、汽車の発車シーンを試写で観て確信したそうだ。あの、静かでムーディな音楽が、ライトが点灯したとたんに高らかなテンポに切り替わるシーンは、私も高校時代、映画館で観てゾクッと背筋に興奮が走ったのをまざまざと思い出す。映画の楽しさを私はあの作品から多く学んだ。それを教えてくれた一人、ロドニー・ベネットの冥福を祈る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa