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2013年2月12日投稿

特殊メイクの黄金時代【訃報 スチュアート・フリーボーン】

メイク・アップ・アーティスト、スチュアート・フリーボーン2月5日死去。98歳。自らクリエイトした、そして自らをモデルにしたヨーダのように長命であった。

英国映画界の大プロデューサー、アレクサンダー・コルダの元で映画界に入り、『バグダッドの盗賊』(1940)などでメイクアップ・アーティストを務め、ビビアン・リー、マレーネ・ディートリッヒなどにメイクをほどこしてきた。しかし、彼の本領はその役者の顔を全くの別人に変える“特殊”メイクの方面にあったようで、一躍その名を高めたのは巨匠デビッド・リーン監督の『オリバー・ツイスト』(1948)で、アレック・ギネス演ずるスリの親玉、フェイギンのメイクを担当したことであった。
http://www.empireonline.com/features/stuart-freeborn-oliver-twist-make-up

チャップリンの『ニューヨークの王様』(1957)、『戦場にかける橋』(1957)などで、“普通の”メイクアップも担当していたが、何といっても印象に残るのは、スタンリー・キューブリックと組んだ『博士の異常な愛情』(1964)『2001年宇宙の旅』(1968)の二本である。

『博士の・・・・・・』ではピーター・セラーズをイギリス空軍士官、アメリカ大統領、そして元ナチのマッドサイエンティストという三役に扮し分けさせた(本当はもう一役、テキサス人の爆撃機長キング・コング中佐も担当する予定だったが、撮影中にセラーズが心臓発作で倒れ、このパートはスリム・ピケンズに代わった)メイクが評判をとり、さらに『2001年』では、モノリスの周囲に群がる猿人たちを全身メイクでクリエイト。まったく「人間」が出てこない前半三分の一のパートを、フリーボーンのメイクによる猿人たちは見事に支え、モノリスにより知能を与えられた猿人のリーダー(ダニエル・リッチャー演)が骨を天空に放り投げるシーンはこの作品のシンボルにもなった。

この猿人メイクはほぼそのまま、ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』(1977)でチューバッカとして再生産されるが、このときはフリーボーンがチュニジアでの過酷な撮影で体調を崩し、ルーカスから依頼されていたモス・アイズリーのカンティーナの宇宙人たちは担当できず、リック・ベイカーが代わって担当した。ベイカーは後に猿メイクのトップ・アーティストになるが、ルーカスはフリーボーンの起用にかなりこだわっていたという。

しかしその穴を埋めるように『帝国の逆襲』(1980)ではヨーダのデザイン、続いてのシリーズ第三作『ジェダイの復讐(帰還)』(1983)では、巨大な怪物ジャバ・ザ・ハットをクリエイトと、スター・ウォーズ・ワールドの確立に寄与。この三部作では、妻のケイ、息子のグラハム・フリーボーンも参加、一家総出というユニークな“特殊メイクファミリー”として有名になったが、残念ながら息子のグラハムは1986年、親に先立って早世している。

SF作品で名高いフリーボーンだが、ミステリ映画にも貢献していて、かのエルキュール・ポアロを二度に渡ってクリエイト。1965年の『The Alphabet Murders』ではトニー・ランドールを、
http://www.ebay.com/itm/TONY-RANDALL-The-Alphabet-Murders-Original-Vint-1965-/310294533854
1974年の『オリエント急行殺人事件』ではアルバート・フィニーを、ポアロに変身させている。
http://community.flixster.com/photos/albert-finney-murder-on-the-orient-express1974-10392737

思えばフリーボーンがこの世界に入った40年代は、『オズの魔法使い』(1939)によって、特殊メイクという概念が一気にそのステイタスを高めた時代であった。ファンタジーに、SFに、また一般映画においても、メイクの需要が格段に高まった時代、フリーボーンのような若き天才にとっては、存分にその腕を振るうことのできる世界がひろがった、黄金の日々であったろう。ジョン・チェンバース、ディック・スミスというライバルにも恵まれ、80年代にはSFXと言えばその最前線は特殊メイク、というほどのブームになった(何冊、そのたぐいのムックを買ったことか)。

いまや時代はCG全盛になり、職人的技術である特殊メイクも、次第にその場をおびやかされている。フリーボーンを凌駕する技術の持ち主はこれからも生まれるだろうが、特殊メイクが映画の売りになった時代というのは、再び戻るかどうか。特殊メイクの歴史は、まさにフリーボーンの歴史に重なると言える。その一ページが、いま、閉じられた。

R.I.P.

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