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2013年1月28日投稿

つぶやき日記1月1日〜4日

2013年
1月
1日(水)年のはじめのあべしとて

やはり正月はこたつで『北斗の拳』一気読みですなあ。

4時、目が覚め元日の太陽をおがむ。さすがに昨日は綿のごとくクタクタになったが、数時間の睡眠で回復する健康、まだ今年55歳になるはずの肉体にあり。感謝。ネットに掻き込みいろいろ。まずは新年の挨拶、それから、昨日チェックしたら同人誌新刊にポカミス発見、そこの訂正とお詫び。公演準備の大忙しの中作ったものだから、どうしてもポカは出るとはいえ。

日記つけるためのメモ、mixiでのつぶやきなどをチェック。全く、公演中、本来なら稽古場状況など宣伝のためにせっせとつけねばならなかったものを、ドッテンバッタンでまるでつけられなかった。次回公演はきちんとせねば・・・・・・と、去年の反省いろいろ。

2013年は仕事がらみ以外、ほとんど旅行が出来なかった。九州に何度も行ったが、これも仕事。ゆっくりと温泉めぐりなどしたいものである。

このHPも、いろいろ算段して使い回しているが、臨時使用のまま長く経ってしまった。春までにはリニューアルしないと。あと、公演関係専用の事務所を夏くらいに作る予定。

昼、母の室で雑煮を祝う。ビール少し飲んでいい気分になり、部屋でまた夕方までグー。起き出して、初落語ということで、大掃除中に出てきた三遊亭円生『ミイラ取り』をVHSで。昭和46年(1971)収録というから、もう42年前の映像。今年は昭和88年なのか。円生が亡くなったのが昭和54年(1979)。私は東京へ出て最初の新宿末広亭体験で、円生の高座(『寝床』)を聞いている。誰だったか忘れたが、孫弟子あたりの真打昇進のお披露目の高座で、これが78年の3月ごろ。その年の5月には円生は落語協会を脱会し、例の分裂騒動を起こす。ぎりぎりの協会での高座だったわけだ。

初アニメは『エイトマン』の17話『超音波ドクター』。桂真佐喜(辻真先)脚本。催眠術を使う殺し屋が日本に到着したとたん、交通事故に会って動けなくなってしまい、超音波メスの権威である自分の主治医を催眠術で殺し屋に仕立て、自分の代わりにする、というアイデアがいい。海外の小説にありそう。しかも、その医者が手術しないと自分の命が危ない、ということを知って大慌て、というのはチェビー・チェイスやスティーブ・マーチンあたりのシチュエーション・コメディ映画みたいだ。

ただ、それとギャング団同士の抗争とを組み合わせるというのは20数分の放映時間の中には盛り過ぎ。孤独な殺し屋と、意識を乗っ取られた超音波銃を使う善良な医師とエイトマンの関係に絞った方がよかったと思う、と49年前の作品(1964年放映)に言ったって仕方ないが。

夜はまた母の部屋で。大阪のファンから毎年いただく松阪牛ですきやき。2ちゃんねるを話題にそろそろ80代の母と盛り上がる(笑)。よき元日。

食べたもの。早朝:ツナサンド、缶コーヒー。朝:抜き。昼:お雑煮。お屠蘇がわりにビール。夜:すきやき、お節のカズノコなど、ビール。

2日(木)假屋崎サンダーロード
暴走族のバイクにお花を活けるの!

また4時起き。すっかり老人体質。もっともその後二度寝する。この日記、中断していたところから再開してアップするが、まだ12月14日まで。先行き遠し。

年賀状チェック。二日は配達休みだと思っていたのだが来ている。某出版社から、早く企画書を出せと催促。年賀状で催促されるというのも、こまったものだが、期待されているのは有難し。

さらにhttp://www.youtube.com/watch?v=t4rnLNBGv3Qディズニーアニメ『三人の騎士』。実写とアニメの合成の初期の完成形作品(1944)だが、小学6年くらいのころ、テレビでこれを見ていたら、明治生まれの祖父が(ドナルドが実写の女性たちと追いかけっこをしているシーンで)ぬいぐるみを人が着ているのだ、と言ってきかなかった。

当時の私の持てる知識を総動員して合成のことを説明したが、ついに理解してもらえなかった。かなりイラついたことを記憶しているが、今にして思えば貴重な体験だったかもしれない。

昼が雑煮ひと椀のみだったので腹が空くが、夜は役者さんたちとの食事会第二弾なので間食はあまり出来ない。鮭とばを齧って茶を飲むと腹の中で膨れて、案外腹持ちがいいことを発見・・・・・・って、終戦直後の欠食児童のようだな。

年賀状を書きながらDVDでNHK『映像の世紀』を見る。2000年の放送で、ナレーションを青二プロが担当。青野武さんや永井一郎さんの声が聞こえてくるが、耳で聞いただけでは誰かはっきりわからない方もいる。なぜ青二とだけで、多くもない個々の声優さんの名前をエンディングに出さないのか。

2日からもう宅配便は動いている。コミケの荷物が届く他に、昨年末、がんばった自分に、とオトナ買いしたDVD類が届く届く(汗)。

今日は『7:00amは・・・・・・』に出演してくれた中澤くんとルナの菊ちゃんを招いた(岡田は残念ながら実家に帰るとかで来られなかった)のだが、藤田昌代ちゃんも飛び入りで来ることになったので、酒を買いたしに出る(別に昌代ちゃんがウワバミというわけではない)。クリーニング屋の隣にあった酒の安売り店がコンビニになってしまったのだが、その店の隣に、だいぶ昔に併設されていて、ずっと閉まっていた小さなショットバーがあり、そこを改装して店を続けていた。親父さんに挨拶したら
「こんなちっちゃくなっちゃいまして」

と、恥ずかしそうに言われる。どういういきさつがあったのやら。お気に入りのシグロワインと、ワイルドターキー、吉乃川など一万円ばかり買い込む。

7時、まず中澤くんと昌代ちゃん来宅、それから少し遅れて菊も来る。菊は今回の公演、鎖骨の神経を痛めてほとんど飲みに参加できなかったが、今日は飲むゾ、と。みんなにDVD渡し、公演のお礼もして、さて、と酒をあけ、料理を食べ始め、いろんな話題、盛り上がる盛り上がる。楽しい一夜となった。


本日食べたもの。朝:抜き。昼:雑煮。夜:いくらとレバーパテのカナッペ、ウェスティン豚(豚肉のニンニク醤油漬け揚げ)、アスピックサラダ、ちらし寿司、酒、ワイン、焼酎、日本酒、カルバドスなどいろいろ。

3日(金)隣の客はよく夏季休暇とる客だ
休暇とって何するかと思ったら屏風に坊主の絵を・・・・・・。

朝、年賀状書き。さて、三が日も終わりか、と思ったらまだ三日だった。大晦日から大宴会だったのでカウントの頭を間違え、昨日が三が日ラストだと思い込んでいた(年賀状も届いたし)。

二日の朝に見た初夢は、チームを組んで巨大なホテルのようなカジノのような場所を乗っ取る計画をたてる話。結局、乗っ取りには成功したものの、カジノはアクシデントで全焼してしまうのだが、計画の黒幕(付け鼻をつけた先代勘三郎)から「これでいい。カジノなどいくらでもまた建てられるさ」と言われるというもの。60年代のおしゃれな犯罪映画みたいで、まず初夢としてはいい感じ。

中野、新宿に今年初めて出る。修理に出していた携帯が帰ってきたが、代替機がもう手になじんでしまっていて、何か落ち着かない。使い勝手は一長一短だったから、すぐまたこっちに慣れるだろうが。

訃報日記もつけなくては、と思っていたところに、兜木励悟氏死去の報。二日、駅の階段で酔っぱらって足を踏み外し転落、頭蓋骨骨折、脳挫傷により、とのこと。『エヴァンゲリオン研究序説』(1997)は大ベストセラーになり、類書の氾濫といった現象にとどまらず、それまでの謎本になかった、「作品を自分自身の持つ知識に引き寄せて語り、“このアニメを最も理解しているのは自分だ”と主張する」、というその後のオタク界の自己中評論ムーブメントのさきがけ的な著作にもなった。

当然、そういう作りの本は“われこそ一番の理解者”と思っている他のオタクたちの反発もかう。『エヴァ序説』は知識も情報も不足したダメ本に過ぎない、と豪語するオタク著者たちのエヴァ本はその後雨後のタケノコなみに続々と出版されたが、兜木氏の本以上に売れたものはなかった。“最初に“出したところに価値があったのだ。

仄聞するところによるとその後、SF関係の講座で、兜木氏はB級文化に触れ、その中で私のことを取り上げたそうな。曰く
「唐沢俊一は自分が片足で義足をつけているというコンプレックスから、その代償行為として完璧ならざるB級文化を価値あるものとして賞賛する」
と。まあ、エヴァ関係の本の論旨もこれに似たようなものである(笑)。



これを聞いていた永瀬唯氏(彼もエヴァ本の著者)がその場で「唐沢は義足ではない」と言うと、兜木氏は「いや、あの歩き方は義足だ」と反論し、怒った永瀬氏が松葉杖 (当時痛風でついていた)を振り回して、会場中を追い掛け回したという。永瀬氏本人の報告による。どこまでホントかわからないが、まあ当時のエヴァ論壇はこんな感じであったと思えば間違いないww。

とにかく、当時のSF関係者に聞いてみれば誰からも“困った男”と認識されていたろうが、それでも名物男として愛されていたのではなかったか。その後エヴァ本ブームも去り、兜木氏の名を聞くことも希になった(今回のエヴァの関連本も出していたそうだが)と思っていた矢先、今日の訃報に接した。人の足のことを義足と断じた人が、まともな足をすべらせて奇禍にあうとは。合掌。

夜、お歳暮にいただいたハム類を、新宿で買ったフランスパンと共に母の室で。うまいうまいと親子であらかた平らげてしまった。スティルトンチーズも買ってきたが、母がこれをいたく気に入っていた。

食べたもの。朝:うにめし。生うに少量だったので練りうにを足す。美味。昼:通常の朝飯。シャケつけ焼き、味噌汁、果物。夜:母の室でいただきもののハムを、フランスパンと。他にオムレツ、スティルトンチーズ。シグロの残りは母にまかせ、乾燥していて喉が渇いたので、ビールがぶがぶ。

4日(土)隣の谷垣になぜ声かけた
総裁選出てもらいたくなかったから声かけた(安倍擁立派)

朝また早く目覚めてネットなど。10時改めて朝食、お菜はゆうべ残ったハムと卵でハムエッグご飯。ハムエッグ定食というのは、子供の頃、実家の店の前にあった「紅鶴食堂」という大衆食堂のメニューにあって、気になって気になって仕方のなかったもの。私にとってはオトナの食い物のイメージなのだ。

年賀状の住所書きも200通以上になるとハイになってくる。筆ペンの文字がだんだん楷書から行書、草書となっていき、しまいに前衛になる。ちゃんと届くかしらん。

終日、年賀状書きと荷物(処分用書籍)作り。作業しながらDVD(含VHS)で映画類。『くノ一忍法』(中島貞夫)と『大忍術映画ワタリ』(船床定夫)というオトナ向けとコドモ向けの忍者映画を連続で観た。

『くノ一忍法』(1964)はオトナ向けとは言っても、原作に登場する、ある意味山風忍法帳の代名詞のような「忍法筒枯らし」が「忍法露枯らし」に変更になっていたりする。野暮な映倫のチェックだろう。セットも幻想的で、どことも知れぬ原野を家康の一行が通ったりする。音楽は鏑木創(『銀恋』の作曲者)でこれも幻想的。このファンタジックな演出が内容にあっているところと合わないところがある。中島貞夫も初監督でまだ腰が座ってなかったな。

一方の『ワタリ』(1966)、原作者の白土三平が試写を見て激怒したことで有名だが、見返してみると船床監督はコドモ映画としてはストーリィで下忍の身分が掟に縛られているあたり、きちんと描いている。白土先生が激怒したのは特技監督の倉田準二の担当部分だろう。いやもう、よくこんなこと考えつく、というキテレツなシーンの連続で、いっそシュール。

忍者の正体がロボットだったり粉の固まりだったりという設定もよくわからんが、忍者屋敷で頭領がいならぶ忍者たちに指令を発すると、その忍者たちの座っている部屋の床がいきなり地下に沈み、次なる忍者たちが勢ぞろいしている部屋が上から降りてくるなんてシーンもおよそバカバカしい。007の秘密基地もかくやの仕掛だが、動力は何よ、と呆れる。そんなことはどうでもいい、観客を驚かせれば、という割りきりが楽しい。倉田特技監督、ブレてない。

この映画をプロモーションにしてテレビ番組のスポンサーを獲得しようと踏んでいた渡辺亮徳はじめ東映側もブレてない。見事テレビのスポンサー(カラーテレビの普及を目論んでいた三洋電機)を見つけると、船床定夫でなく、原作者を激怒させた倉田準二を本編の監督に抜擢して『仮面の忍者赤影』(1967〜68)をほとんど単独で撮らせた。

倉田監督は正統時代劇でも傑作『十兵衛暗殺剣』(1964)などを撮っている人だが、『赤影』で、円谷特撮とは全く次元の異る、グランギニョール的な特撮世界を構築した。実は日本特撮界においてもっと記憶され、語られるべき人である。ただ、それがいかに重圧として彼の身心を蝕んだか。

山内鉄也や小野登の助けがあったとはいえ、『赤影』は倉田監督がほぼ一人で心血を注ぎ作り上げた作品。一年間、この仕事にかかりきりになったことで倉田監督は精気を吸いとられ、その後はまっとうなテレビ時代劇ばかりを担当。ひさびさの映画作品、ひさしぶりの特撮、しかも初の現代劇ということで期待した『恐竜・ 怪鳥の伝説』(1977)で見る影もない衰えぶりでこちらを心配させた後、精神を病み、人と会うことを拒否したまま亡くなっている。新しいものの創造というものはかくも過酷なものか、と正月からちょっとしみじみした気分になる。

年賀状書きで腕が攣りそう。出演者・スタッフに公演のDVDも送らねばならぬ。今回希望者が多く、手元にあるもので足りるかどうか不安になってきた。とりあえず郵便局へ行き、第一陣送る。今回の舞台では高枝切り鋏が大活躍(?)するが、今日、テレビをつけたらいきなり高枝切り鋏が映って、通販番組か、と思ったらNHK教育の『見いつけた』という子供番組で、活躍する「ぼう」のコーナーだった。

食べたもの。早朝:きつね餅。朝:ハムエッグご飯、果物(リンゴ、柿)。昼:コンビニのカツカレー。ゆで卵をトッピング。夜:フランスパンとイクラ、ポテトサラダなど。ガーリックライス、メロン。缶ビール。深夜:トマト、乾きもので黒ホッピー。きつね餅は尾藤イサオが料理ムックで紹介していたもので、餅を焼いてコーンポタージュの中にいれる。狐だから油揚げと思うとコーン、で大笑いになるとのこと。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa