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2013年1月26日投稿

つぶやき日記12月28日〜31日

12月
28日(金)
著作権ウィニー

この作者の作品は他の作品をつぎはぎしたものであり・・・・・・。

舞台関係ギャランティの残り、振り込みにいかねばならず。年末の金曜、混むべえなあと思い憂鬱。

それも含め本日の予定、銀行、郵便局、ヘアカット、新宿で藤田昌代ちゃんと打ち合わせ、眼鏡ショップで弦のナオシ(こないだからときどきレンズが外れる)。


銀行ではコミケ関係準備(お釣り作り)もある。今回のコミケ、『黒子のバスケ』問題でかなりスタッフ陣大変そう。まあ、3日目はさしたることもあるまいが・・・・・・。『墨子のバスケ』というのを考えたがググったらとうの昔にやられていた。
「ネエ黒子さん、最近あなたのところに脅迫状が舞い込んでいるそうね」
というのはどうか(どうかと言われても困るだろうが)。もう元ネタ誰もしらんか。筒井康隆は『ベトナム観光公社』で、このCMが未来世界でもずっと続いているという設定で書いていたが、確かに昭和40年代はそういう感じだった。CMも戦争も。何か、変わらぬ日常への信頼・安心感というものがあの頃は存在していた。昭和の魅力というのはそれだろう。

忘れていた。下北沢の本多劇場にも挨拶にいかねば。ねば、ねばと納豆のようにつぶやきながら、朝食取った後また横になってしまい、ぐずぐずしていて、気がつくと2時。もう2時か、と思うが体調悪いときは3時くらいまで床を離れられなかった。それを考えると、健康ってありがたい。

ええい、と無理矢理ベッドから体を引きはがし、外出。その後は完璧に予定通り。銀行、郵便局、ヘアカットと済ませ、メガネスーパーで眼鏡を見てもらい(結局、新しい眼鏡をあつらえた。出来上がりが来年の1月9日だそうなので、15日の『ひるおび』は新眼鏡でお目見えになる。遠近両用レンズにしようかと思ったが、この手のレンズの最大の欠点が足元がボヤけること。足の悪い私には駅の階段などが危険なので諦めた。

ヘアカット、韓国人の夫婦がやっているが、客が入っているのを見たことがないヘアサロンにて。相変わらず雑駁で、
「髪、もう洗ってアルノ? じゃ、いいわね」
と、洗髪を省略された。
まあ、1500円カットだから文句も言えないが。

4時、藤田昌代ちゃんと待ち合わせ、小田急千疋屋で。アフタヌーンティーセット食べながら、先日の公演の予約表を見せる。彼女が、来ていただいた方にお礼状を出すのに、その確認。いろいろと来年の公演の話も。

1時間ほどで別れ、そのまま小田急で下北沢へ。本多劇場事務所にお菓子をお歳暮代わりに差入れ、来年のことをいろいろ話す。私は4月と11月に楽園を押えているが、いろいろと新しい試み(演出上もそうだが、興業的に)しないといけない。芝居の工夫より、私は興業の工夫を上に置く。挨拶して辞去。帰りに下北のオオゼキに立ちより、夕食の素材買う。

本日食べたもの。早朝:ゆうべのチゲの汁で炒めおじや風。朝:卵かけご飯と松前漬け風塩辛。TKGは卵の割合の多いお茶漬け風で、これも甘味あって美味。昼: 高島屋内千疋屋でアフタヌーンティーセット。アボカドとサーモンのサンドイッチ。夜:茄子かやき、トマト、オクラおろし。発泡酒、黒ホッピー。


29日(土)
公明党、公明党、公明党の本来は

創価の信者の寒ざらし。

年賀状書きは年を越しそうなので、公演関係者にメールでお世話になりましたメールを出す。昨日の昌代ちゃんもそうだったが、今回の舞台出演を貴重な経験と喜んでくれている人多く、演出家として非常に嬉しい。

コミケ準備、DVD政策のOさんと新中野でブツ受け渡し。メシでも食いましょうと、新中野の蕎麦屋に入る。天ざるの大盛りを頼んだら凄い量。こないだの更級も、ここの店もそうだが、天ざるにエビの他にナスやカボチャ、イカなどのてんぷらがついてくる。私はザッカケなくエビ天だけの方が好み。あと、天つゆはいらない。蕎麦つゆで食うのが天ざるというもの

DVD50本入りダンボールかついで帰宅。とどこおっていた日記つけにしばらく没頭。何とか更新するが、まだ9日。年内に追いつくのは無理そう。

今年の訃報日記もだいぶたまっている。それで思い出した。まるきりの一般人なので訃報日記にはつけられないが、14日に、親戚が亡くなっていた。いや、血のつながりがあるわけでなく、籍はもう抜いているので親戚と言えるかどうかもわからないのだが、従姉妹の元の旦那である。

私や弟がいるせいでうちの一族は変わっているというイメージだが、確かに芸人なども出しているにせよ、ほとんどは地味な一般人である。 だが、彼のみはちょっと変わっていて、一種、山師的なところがあった。 博才があって(息子に遺伝して、一時パチプロまがいの渡世をしていた)、話が大きく、私も親父も、彼のことを嫌いではなかった。

小樽商大を出て一流スーパーにつとめ、神戸支店長にまで出世、一時はサンテレビの経営までまかされて神戸に家族揃って赴任していた。阪神の選手のサインはもらい放題で、
「俊一くん、欲しければいつでも言ってきたまえよ」
と言われ、あんな弱い球団の選手のサインなんかいらねえやと思っていたらその後あれよあれよという間に優勝して、あのとき貰っておけば、と地団駄踏んだものだ。

大学時代、六甲の高級住宅街にあるその家を訪ねたことがあったが、朝からステーキが出た。驚いたが、ビジネスに意欲のある彼は一日中飛び回って、帰宅も深夜になり、一家で食事が出来るのが朝だけなので、朝にご馳走を食べるのだ、ということだった。
「おかまいもできないから」
とくれた小遣いの額に仰天したのを覚えている。

しばらくして、彼は会社を退職して札幌に戻り、自分の会社を立ち上げ、ススキノの中心部(まあ、一等地とはいかなかったが)にビルを建てて、その経営者におさまった。時代はバブル絶頂期である。サウナ、雀荘などを入れた娯楽ビルで、名義上の社長は自分の母親。彼が書いたのであろう開館の辞をその母親が設立記念パーティで読んだが、
「お仕事に疲れたみなさま方のオラクのために」
と繰り返し、はてオラクとは何かとこっちは首をひねったが、どうも娯楽を御楽と書きまちがえてそのまま読んだのではないか、とは親父の推理だった。

一回には食道楽の従姉妹が経営するフランス料理屋を入れた。親父が自分の薬局の忘年会などに使ってやっていたが、雀荘やサウナの入ったビルならラーメン屋の方が絶対いいだろうな、とは薬局のみんなの言だった。

そこらへんが彼の絶頂期で、やがてバブル崩壊。従姉妹の父親(会社経営)から親父に電話があり、
「今日中に100万ほど用意できるかね」
と言われ、親父が用立てたことがあった(その金は伯父がすぐに返してきたそうだ)。親父は後で
「あの固い伯父さんが急に金を必要とするのはおかしい。どうもあれはM(彼の名前)に泣きつかれた金らしい。かなり苦しいんじゃないか」
と話していた。

その一年後くらいに伯父は亡くなった。葬儀でいちばん大声で身も世もなく泣いていたのが彼で、その姿が印象的だった。あれは、助けて貰った恩の涙だったか、それとももう頼る人がいなくなり心細くなっての涙だったか。

当時、私はもう東京に出て物書きになっていたが、やがて彼が失踪したのを知る。いや、失踪というのではなく、身を隠していたので、借金取りから逃れるためであった。バブル時の末期に、その借金は莫大なものにふくれあがり、彼に金を貸した会社もつぶれ、ヤクザが債権者になり、彼を追っていた。総額がいくらくらいなのかは訊けなかったが、伯母に言わせると、

「その金をめぐってヤクザの組織同士の抗争が起こった」

というから、かなりのものだったのだろう。

もちろん従姉妹とは離婚したが、連絡はとっていたようだ。写真も見せて貰ったが、かつてのオーラがなくなり、服装もちょっと自堕落で、前歯の欠けを直してもいないのは、歯医者に行く金もないものと思われた。娘たちはいやがっていたが、息子はそんな親父にまだなついていて、よく遊んでいた。彼も、いずれまた一旗あげるつもりでいるらしかったが、時代は冷え込むばかりで、チャンスは二度とはめぐってこなかった。

つい先日、ひさびさに家族が全員集まり、ささやかな年末の宴をひらいたという。彼は大はしゃぎで、金もないのに
「今度孫たち連れて、みんなでディズニーランド行こう!」
とゴキゲンだったそうだ。その翌日、娘が携帯で連絡をとろうとしたが、何度かけても出ない。不審に思って家に行ってみたら、アパートの一室で倒れていて、すでに心臓は停止していた。脳梗塞か何かで、家に帰って頓死したらしい。

親戚からの連絡は、悲報というより椿事を知らせる感じのものだったという。連絡を受けた私の母も、悲しむとかでなく、アッケにとられたという表情でその日(14日)の朝、私に
「Mがね、死んだんだって」
と告げた。 60代半ば、であったと思う。

もうひと花、とは思っていて、それを果たせずに逝くのは男として無念だったろうが、それだけの借金をこさえながら首もくくらず、ヤクザに海に沈められもせず、 子供や孫に囲まれて楽しい時間をすごし、数時間後にほとんど苦しまず、ぽっくりと逝く。ある種、理想の死に方ではないかと思うのである。

トイレ読書、池宮彰一郎の『本能寺』。その中で触れられていたので興味を持って、ちょっと六角承禎のことを調べる。戦国大名としては実力も人気もいまいちの人物だが、信長と争って破れ、南近江に逃亡、その地で伊賀・甲賀の地侍を集め、ゲリラ的に信長を苦しめた。『仮面の忍者赤影』原作版では、金目教の黒幕がこの六角承禎。テレビでは凄いことになっちゃったが、原作では横山先生、ちゃんと歴史上の人物配置を調べてストーリィ設定を作ってたのだな。

食べたもの。朝:卵に海苔。味噌汁。昼:DVD製作のOさんから新中野でブツ受け渡し、一緒に蕎麦。大盛り頼んだら凄い量。夜:茹で豚タン、アジのマヨポン。アジはゴマドレの方が合うね。イングランドエール、黒ホッピー。


30日(日)「ウルトラマンさん、12月ですね」「シワッス!」

だいぶ前にやったウルトラマンシリーズ。「ウルトラマンさん、娘さんのお年は?」「ジュハッチ!」的な。

朝、4時起き。舞台本番が31日にあって、本日30日に至ってまだ一回も稽古しておらず、小道具も揃えていないシーンがあったのに気づいたという夢を見て飛び起きる。夢とわかってもまだ心臓がドキドキしていた。まだ舞台から解放されていない。


起きてしまったので、ラーメン作って食って、さて今日は大掃除の日と決めていたので、まず風呂場の掃除から始めるか、とちょっと手をつける。そしたら無闇に入れ込んでしまい、それから4時間かけて手洗い、キッチンとある程度徹底的にやる。10時、一休みして朝食、終えてから仕事場に移る。

机、パソコン回り、やりながらテレビでやっていた『未来少年コナン』と多岐川由美の『七瀬ふたたび』横目で見る。ネットを見たら、友人たちがツイッターでやたら語っているのが笑える。イニシエーションとしての怪魚退治とか、女の子の服の匂いを嗅ぐ描写の深層心理とか、オブライエン版『キング・コング』へのオマージュではないかとか、私も即座に語れることをいくつも思いつく。アニメ語り屋ホイホイだ、と笑う。

大掃除、DVDの棚を整理し、床に堆積した本を片づけ、あと納戸部屋の、去年の12月公演の衣装・道具類を処分、と、蚕食的に進めていく。その間、コナンと七瀬終ったあともDVDでいろいろ映画を流しっぱなしにする。トポル&ラルーの『ファンタスティック・プラネット』、それから『ルパン対複製人間』。どちらも久しぶりの鑑賞(横目ではあったが)であるが、やはり面白い。ことに複製人間の方は改めて
「名作だなあ」
と感心する。
もう34年前の作品なのか。新宿の映画館で、何故か『ピンチクリフ・グランプリ』との2本立てだったが、隣の席に座った女子大生が不思議そうに
「どうしてこんなに面白いのかしら」
とつぶやいていたのを昨日のように思い出す。宮崎作品のような、語り屋ホイホイ的なところがなく、徹底した娯楽作品に徹しているところが快感。ネットでつぶやいたら、
「実は『カリ城』よりこっちの方が好き」
という意見がぞろぞろ。何より、大野雄二の音楽が絶対こっちにぴったり!

仕事場から、寝室へと掃除、順調(?)に移る。昼は食べそびれたが、昨日スーパーで買ったドライグリーンマンゴー、スッパイ星人の私にはドンピシャの酸味で。ついつい、ムシャムシャとやってしまう。グリーンマンゴーは炒めてもうまい(台南で食べた)が、生のは日本ではなかなか手に入らない。

19時35分、最後のゴミをゴミ置き場に出し、大掃除何とか終了。始めたのが朝の6時だったから、13時間半、掃除していた。それだけとっちらかった家だったということ。

何とか新年を迎えるのにふさわしい部屋になって満足。明日のコミケの筋肉痛が心配だが(笑)。

食べたもの。早朝:豚タンスープでラーメン。朝:海老塩辛と味噌汁。果物は梨とリンゴ。昼:あわただしくて抜き。夜:ハマグリダシで白菜と豚バラの鍋。アメーラトマト。助川くんからもらった落花生が香ばしくて絶品。イングランドエール、黒ホッピー。

31日(月)コケットリー万歳
「この暮の支払いはどうすんだよ」「そういうお前、ちょっと色っぺえな」

朝6時起き。また先日の舞台の夢(伏線を同じにするシーンを増やしていた)。どんだけ捕らわれてるのかと呆れる。・・・・・・まあ、悪夢でないだけマシか。

まい泉のエビカツサンド食べて、さて、いざコミケへと出動。お台場までタクシー。運転手さんと
「こんな大晦日に、何かやってるんですか」
「まあ、全国から1日20万人ほどがやってくるイベントで」
「20万人!」

というような会話を交わすのも、すっかり年末恒例。曇り空で、ビッグサイトへ続くレインボーブリッジの景観を眺めていると、
「この橋を渡る者、全ての希望を捨てよ」
という言葉が頭に浮んでくる(笑)。

マドと助ちゃん、設営している。新刊とDVDを並べるが、慣れもあり、手下(てか)も揃っているので、さして慌ただしさはなし。島回り一巡して、いろいろと知り合いに挨拶、新刊交換など、例の如し。いろいろ聞いてみると、黒子のバスケ脅迫事件ありながらも、コミケ入場者、たぶん史上最多になるであろう、と。

トイレに二回並ぶが、二度目、中で吐いた人がいるとかで、一ヶ所使用中止になっていた。ノロの疑いがあるためとのことで致し方なし。ただでさえ一部トイレが改装で使えなくなっているので、冷えるこの時期、大変だなと思う。ネットで、
「ノロにかかったが、明日のコミケは死んでもいくぞ」
とつぶやいている人がいて、
「ノロは伝染病です。来ないで!」
と叱られていた。

やがて開場。今回、かなり製作費かけたのでテヤマがちょっと売れ行きに神経質になっていたが、この数年、開場から一時間くらい経たないと波がこなかったものが、開場時からかなりのスピードで売れていく。さほどの連続性はないが、三々五々という感じ。気がついたら在庫のダンボール箱がどんどん少なくなっている。売り子をずっとやっているが、後ろでちょっとテヤマと助ちゃんが興奮しているのがわかった。DVDは通販、出演者配布用を残して30本用意してきていたが、早々に完売。1500円という値段設定もよかった。同人誌の方はダンボール箱一個残して売り切った。

「握手してください」
という人の数が露骨に前回より多い。
ここしばらく、またテレビで顔を売っているせいだろう。NO&TENKI商会、というより唐沢俊一新刊、と言う方が確実にフックあり、かつ、顔を見せるのがいちばん効果あり、なので、ほぼ撤収までの時間、立ち詰めだった。足が比喩でなく棒のようになった。午後からは松ちゃんも来て、初コミケらしく驚いていた。

3時、撤収。ラストにもうひと盛り上がりあるかと思ったがそれはナシ。さすがに会場を歩いている人たちもかなりくたびれた表情になっている。こちらも向こうから見たらご同様であろう。タクシー乗り合って、中野そば真希まで。テヤマ、オノ、Sタロー、助ちゃんくらいかと思ったが、松ちゃん加わり、さらにOさん、と学会から眠田さん、談之助さんも加わって、かなりの人数になった。

そこでかなり飲み、疲れているからオチるかと思ったら、案外ハイになっていたらしくそういうこともなく、テヤマ一家と助、松二人引き連れて、7時くらいから家での年越しに。母、もらいもの(鯉朝さんから)のカツオのカルパッチョ、牛肉焼き、野菜ゼリー寄せ、ちらし寿司など大奮闘。焼き肉のフォアグラ乗せ、松ちゃんの顔のほころんだこと。

やがて紅白始まり、助ちゃんの奥さんがバックダンサーで踊る細川たかしの出番をみんなで見る。ちゃんと決めのポーズのとき、細川たかしの脇で顔が確認できた。で、その奥さん(『7:00p.m.は殺しの番号』の振付師)、終った後、渋谷から中野に急行して、一座に加わり、さっきの出番の裏話など聞きつつ、さらにひと騒ぎ。年があけて1時過ぎ、解散。すでに終電過ぎたので、助夫婦は母の寝室の仮眠ベッドで始発まで休んでもらう。いや、よくまあ昨日からの大車輪で途中でオチなかった。ずっとハイテンションのままだったのだろう。ともあれ、2013年の年明けを無事に迎えられて重畳。皆様にいいことがありますよう。

食べたもの。朝:海老カツサンド、缶コーヒー。昼:抜き(ミカン一個、チョコ二片)。夜:蕎麦真希にて打ち上げ。サバ燻製、天ぷら、蕎麦で日本酒。夜2: わが家にてオノマド、松ちゃん、助川夫妻等で年越し。イクラ、レバー、焼肉、カツオのカルパッチョ、野菜ゼリー寄せ、ちらし寿司、春巻アップルパイ等。酒いろいろチャンポン。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa