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2012年8月29日投稿
つぶやき日記8月24日〜27日
24日(金)汝の敵をアンニョンハセヨ
大統領、竹島にようこそ!
日付が変わってまもないあたりで編集部から送った原稿届いたとの返事。絶賛してくれたので気分よし。そのまま朝方まで、いろいろ雑用しつつ起きてる。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2012082300869『竹島・尖閣決議案に反対=社民』いかにも社民党らしい。意見として今の時期にこれを発言するのはある意味立派なのだが、じゃあこの発言がアツくなっている国民を沈静化させ得るかというと、“あの”社民党が言ったということで、言いそうな奴がいかにも言いそうなことを言うとしか取られず、火に油を注ぐ役目しか果たさないと思う。人間の心理とはそういうもので、予想通りの反論に対してはかえってかたくなに心を閉ざしてしまう。大衆の心をつかむのにまず大事なのは意外性だということを政治家として覚えておいた方がいい。
http://mixi.at/adhQW8N『ヘンリー英王子の全裸写真が流出、ラスベガスのホテルで女性と』「チッ、女とか」という腐女子たちの舌打ちが聞こえてきそうだなww。
こないだ四谷三丁目を久しぶりに歩いたが、ショックだったのは四谷セイフー(グルメシティ)のビルが取り壊されていたことだった。深夜スーパーの代表で、昔はよく利用してた。不夜城・東京のひとつの象徴だった(『立川流騒動記』にも出てくる)。芸能人などもよく来ていて、本木雅弘とレジで並んだこともあったな。『ファンシィダンス』で坊主頭にしていてころで、豹柄のハンチングをかぶってた。
亀治郎の猿之助襲名を昨日テレビで見たが、襲名というイベントがあるのが伝統芸の強みだと思う。映画スターがいくら人気でも、二代目三船敏郎襲名とかはできない。演劇やっていて思ったが、舞台というものは、映像に描写力ではかなわない。しかし、舞台に一旦引きつけられたらもう離れられなくなるのは、一期一会のイベント性だ。観客が舞台に一番求めるのは非日常なのだ。猿之助芝居の芸術性に関してはいまだに私は首をかしげざるを得ないが、あのケレンの持つイベント性には一も二もなく頭を下げる。社会に蔓延する閉塞感をつきやぶるものはやはりイベントによる非日常性の体感しかないと思う。石原都知事も、いつまでもオリンピックなどという手あかのついたイベントでなく、都民が体験したことのない非日常的イベントを企画して欲しい。……戦争だってもう日本人は体験済みなんでよろしく。
7時に寝て、9時45分に朝食、1時半まで二度寝。起きて、インタビュー受ける下準備など。寝ぼけていたか単なるカン違いか、今日のインタビュー場所を曙橋だとばかり思い込んでいた。曙橋は来週で、今日は新宿だった。あぶないあぶない。
で、新宿東口椿屋珈琲店、光文社『FLASH!』インタビュー。“コミックは震災・原発事故をどう描いてきたか”のまとめコメント。『ザ・松田』から『原発幻魔大戦』までを語り、
「被災地の子供たちにとり一番嬉しかったのが、被災前と変わらぬ日常がそこにある連載マンガだったはず。あえて描かないという選択肢もある」というようなことを語る。非日常の興奮をおさめ得るのは日常だけなのだ。
http://jump.cx/YegVD『北原みのり氏「竹島のために韓流という女の遊び奪わないで」』……釣りか、炎上マーケティングか。
「男の人は“国”とかいうけど、女の人にはピンとこない」
というのは女性一般に対する侮辱ではないのか。それに比べて金美鈴、ちょっとクールすぎww。
NHK『我は勇みて行かん〜松本幸四郎“ラ・マンチャの男”に夢を追って』。昨日の猿之助特番に続き、舞台ドキュメンタリー続く。ラストシーンに思わず涙ぐむ。いい番組であったが、演出を幸四郎がつけるシーンでの、
「見たことのない稽古風景があった」
というナレーションで紹介されるのが、主役の幸四郎が演出席に回り、主役を代役が務めて、それを見て主役兼演出家が各役者に演技をつけるという場面……いや、それは舞台(座長芝居の)ではアタリマエのことではないか? 確かに取材スタッフは“見たこと”なかったかもしれないが。
本日食べたもの。朝:冷やし中華。昼:抜き。夜:豚しゃぶ、レタスとニラを入れて。ビンチョウマグロの刺身。缶ビール、緑茶ハイ。
25日(土)そして誰も鼻毛カッター
♪10人のインディアン、身だしなみを整えた。
http://mixi.at/adin0vG『止まらぬ反原発デモ=野田首相面会後初、失望の声』 NHKのニュースをみたけど、野田首相は真摯に対応していた印象。反原発派の方に失望した国民の方が多かったんじゃないかな。代表者のあの坊主頭、あの目つき、あきらかにイッてたもの。
朝方ずっと原稿執筆、今日は午後から名古屋入りなので少し寝ておかないといけないのだが、原稿なかなかまとまらず(書けないのではなく、書いたものが気に入らない)朝飯を食った後、手直しするが11時過ぎまでかかってしまう。結局アガらず、未完成かつ寝不足のまま出かけることになる。やれやれ。
法律関係のサジェスチョンもいろいろ受けなければならんなあ。めんどくさいこといろいろやらないといけないのだが、体力が限界に近い。
2時10分、東京駅『銀の鈴』で談之助さんと落ち合い、新幹線に。昼飯に何か駅弁を、と思うが暑くて食欲なく、天むすを買って車内で食う。私にしては珍しく車中読書用の本を持ってこなかったが、乗って間もなくグーと寝入ってしまい、読書の必要なし。しかし、車中での居眠りというもの、意識がオチて、ふっ、と目覚めるとき、普通の睡眠からの覚醒とは違う、奇妙な快感があるのは何故?
4時過ぎ、名古屋着。久しぶりの名古屋である。地下鉄を乗り継いで大須観音駅、観音様の境内を通って商店街に入り、演芸場へ。ちょうど昼の部トリの快楽亭が高座に上がっているところだった。ちょっと前に入っていた寒空はだかさん、東京からわざわざやってきたマイミクの前座名人さんと、楽屋へ。実に実に古いというか時代が染み込んでいるというか、そういう建物。とはいえ、思ったよりも客席や高座は立派である。
快楽亭に談之助さんが
「で、出の順は?」
と訊いたら、
「獅篭、アタシ、唐沢センセが中トリで、休息明けが談之助、トリがはだかさんで、その後座談会」
とのこと。これを聞いて初めて、
「あ、私も何かやるんだ」
とはっきりした。快楽亭から、何も聞いてなかったので、ひょっとしたら座談会の司会だけでいいのかな、とも思っていたのだった。一応念のために舞台用の服も持ってきていたのであわてはせず。芸人モードにスイッチして、ネタはいつもの“携帯メール漫談”。かなりのウケ。いやあ、定番ネタがあるとこういうときにオタつかないですむ。
前の出演者の高座を袖で聞いているとき、一人の男性が袖のところに入ってきた。ここの専属(?)芸人だという。“ひとみちゃん”と言って、獅篭がネタに使っていた芸人さんだった。彼が、私の漫談をずっと脇で聞いていた。後で打ち上げのときに本人に聞いたら、
「唐沢先生の漫談はぜひ聞いておけ、とブラック師匠に言われまして」
とのこと。いや、それほどのものでもないです。
中入りを利用しての物販コーナー。コミケの売れ残りの『唐蔵』と『ぼくらを育てた声・大塚周夫編』を持っていったのだが、あっという間に完売。重いから、と冊数を控えめにしたのだが、もっと持ってくればよかったな。談之助の『騒動記』はもちろん大好評で、サイン会も盛会だった。
座談会も無事終えて、終演後近くの居酒屋で打ち上げ。出たものが厚揚げ、チキンナゲット、オムそばなどで、名古屋的なもの一切なし(笑)。鳥刺しが出たが、名古屋コーチンでなくダチョウだった。それでも話盛り上がり、毎日新聞の人、前座名人さん(一応電通の人)、QPさんなどとワイワイ。東京から持っていった飲みさしのカルバドスも瞬殺。
11時過ぎ、お開き。獅篭のかみさんが挨拶しにきてくれて、思わず抱き合って再会を喜ぶ。ああ、懐かしい。あの頃はみんな若かった、いや、私など若くもなかったが何も考えないでパーパーやっていられた、いい時代だった。
快楽亭がとっておいてくれたホテルに投宿、その後前座名人さん、談之助さんと三人で夜の街へ……と出たはいいが12時過ぎるとどこも閉店していて商店街も真っ暗。ようやくラーメン屋さんに入って、おつまみのギョウザやチャーシューでハイボール飲みつつなんやかや。結局ホテルに帰ったのは2時過ぎだった。
食べたもの。朝:焼きタラコ、絹豆腐厚揚げ、カブ漬物。ご飯。昼:新幹線の中で天むす。夜:打ち上げで厚揚げ煮付け、チキンナゲット、焼きそば、ダチョウ刺身、ホッピー割りなど。その後ラーメン屋でギョウザ、チャーシューなどをつまみにハイボール。
26日(日)短波哲郎
大霊界からの通信を送ってきています!
酒を飲んだ翌朝(要するにほぼ毎日)、目が覚めると喉が渇いたり胸焼けがしたり頭痛だったりとロクなことがないし、最近は夏バテで気力も寝起きが最低なのだが、今朝、ホテルでの目覚めは非常に快適、体の不調も精神の不安定もなく、喉も渇かず腹も減らず、一応買っておいたバナナとカレーパン半分を噛ってレッドブルを飲むが、ひさしぶりに健康極まりない目覚めを迎えられた。何だろう、家飲みよりずっと量は飲んでいるハズなのだが。
昨日の新幹線での眠りもそうだったが、単なる寝る、起きるといった生理現象に、このごろ極端な快感を覚える時あり。水を飲むとか排泄をするとかのときもそうである。鬱ベースのときの反動による一種の多幸症だろうか。死ぬ、という現象にもこういう快感があればいいのにと思う。
10時半、談之助さん、はだかさんと一緒に大須観音近くの喫茶店で名古屋名物モーニング(パンと卵食べ放題)。その後、談之助さんと二人、大須商店街をブラつく。ド派手なガラの古着を扱う店多し。あと、ヘンな看板の店とか。路上に椅子机を並べてものを食わせる屋台多く、何やら日本というよりアジア風。鶏の丸焼きを屋台風にテーブルで食わせる店には、ぜひ今度行ってみようと思う。
その後名古屋駅で獅篭と落ち合い、しばらく喫茶店でダベる。談之助、獅篭はこれから大阪でユーストリーム番組の収録(『騒動記』の宣伝してくれるそうな)に行く。私は別れて、母へのおみやげを買い、新幹線。乗り込んだら私の席にすでにチャラいねえちゃんが座って駅弁食っており、あららと思う。乗る列車を間違えたか、と思うが、チケット確かめても間違いない。乗務員の女性に言ってもらい(女性と言い合いになるのは好きではない)、立ち退いてもらう。
また帰京の車中は寝て過ごす。東京着が2時過ぎ、日差し凄まじ。最近は打ち合わせなども4時過ぎて日差しがやや和らいだところでやっているので、この熱線の中を歩くのは久しぶり。歩くだけで体力と気力、消耗。
新宿からタクシーで帰宅、少し横になり、原稿の資料など読みつつウトウト。新幹線の中で寝たからまさか寝オチはしないだろうと思っていたら、何の何の、7時ころまでグー。
起きて買い物に出る。さすがに夜はやや過ごしやすい。家にキャベツがあってスーパーでナスが安売り、これはやるっきゃないしょ、とシャケ缶を奮発して“ナスかやき”。鍋に酒と水を張り、昆布出汁と醤油、みりん少々を。そこにシャケ缶をあけ、繊切りにしたナスとキャベツと一緒に煮る。小鉢に唐辛子を入れ(今回は沖縄のコーレーグスを使用)煮えばなをとって食べる。うま〜。DVDで古いミステリ何本か。
食べたもの。朝:バナナ一本、レッドブル。昼:名古屋名物モーニング(パン、茹で卵食べ放題)。夜:ナスかやき、ミニトマト、タコ刺身。エール、黒ホッピー。
27日(月)ダンパ哲郎
死んだら踊ろうといった!
3時半ころ起きだし、居間で原稿書き。案外遅々とした進み方だが、書いていて楽しい原稿。書きながら、ベランダの窓の外が白々と明けてくるのを見るのも楽しい。6時半ころ書き上げて編集部にメール。
25日、ニール・アームストロング死去。82歳。死去のニュースにかこつけて、“アポロは月に行っていない”という説をいまだ唱えている人の多いことに呆れる。くわしくは訃報日記で。
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=44455280&id=1867192311
↑mixi限定だが、ムーンホーク厨とUFO厨がコメント欄でケンカしている(笑)。
7時ころ眠ると、やはり9時45分の朝食はキツい。10時半に延ばしてもらう。朝食のとき、テレビで国会の代表質問。社民党の代表質問、中国との友好的関係を維持せよ、と言った後で
「こういう時期に何を言っているのかと言われるかもしれませんが……」
わかっているのだな、一応。
食べてまた寝て、2時ころ起きだす。よしもとの西大寺ドルマさんご自身から、本名である旨返信。
「昔はとてもイヤでしたが、今ではおいしいです」
とのこと。親御さんはどういう人だったのか。
TBSから次の収録についての連絡、以前言ってきていた日付は一旦バラシとなりそう。ぶんがく社からは訃報本打ち合わせの件。
知り合いの古書店とメールやりとり。向後の人生でまず読む機会はないであろう死蔵書につき、査定をしてもらい、処分する方針。一括して買いたい、という人から声がかかったのである。
4時、喫茶店で打ち合わせ、メンドくさいことのダンドリ全部つける。いや、つけてもらう。まだ一番メンドくさいこと残ってはいるんだけど、先行きの流れが見えてきて、少しホッと。
一旦帰宅して着替え、6時、西麻布某所にて森田豊先生と会食。話はずんでさらに銀座までノシ、大変に楽しい一夜となる。詳細は後ほど。いろいろと今後のこととか、仕事のこととかを話す。
食べたもの。朝:麻婆豆腐、カブ漬物。梨とオレンジ。昼:抜き(だったと思う)。夜:某所でちょっと豪勢な夕食。