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2011年12月15日投稿

ひねくれていた男 【訃報 ケン・ラッセル】

11月27日、死去。87歳。
ヨーロッパの頽廃を具現したような耽美主義作品を多く作った、
イギリスの映画監督。“世紀末趣味”という言葉がこれほど似合う
監督はいなかった。

英国人ならではのひねくれぶりは、メジャー監督作品第一作である
『10億ドルの頭脳』(1967)ですでに発揮されており、
アメリカの愛国主義大富豪が私設軍隊を率いてソビエトに攻め入る、
という話で、ショスターコビッチの『第七交響曲』をBGMに、
大軍団の行進を勇壮極まりなく描き、ところがその大機甲師団が、
その重み故に渡っていた氷河の氷を割り、何ひとつなすすべもなく
水の中にドボンドボンと沈んで終わり、という凄まじいアンチ
クライマックスを迎える。初めて見たときは、ここまで壮大な冗談を
見たことがない、という印象だった。

冗談と言えば、それから21年後に撮られたヒュー・グラント主演の
『白蛇伝説』(1988)もそうだ。お得意の耽美主義で撮った
ゴシック・ホラー映画、と思わせておいて、アマンダ・ドノホーの
蛇女のメイクは身体に青いペンキを塗っただけの何ともなものだった
し、ラストのオチに至ってはどこのコントだ、と言いたくなるような
ものであった。

それをここまで堂々とやられると、果たしてこの監督はマジで撮って
いるのかどうか疑われ、ひょっとしてツッコミを入れるこっちの
方が野暮なのでは、と思わせるものがあった。

まして、かのユリ・ゲラーの半生を映画化した『超能力者/ユリ・
ゲラー』(1996)になると、アメリカに来たゲラーが超能力を
使ってラスベガスで大もうけするわ、それを嗅ぎつけられてアメリカ軍
に拉致されて人間兵器にされかかるわ、そこからテレポーテーション
で脱出するわと、もうやりたい放題という感じで、いくら『恋する
女たち』(1970)でのアラン・ベイツとオリバー・リードの
全裸レスリングという伝説のシーンにショックを受けてラッセル映画
を追いかけてきた旧JUNE世代女史たちも、ここでツイテケマセン
になったのではないか。

ラッセルが世紀末感覚の監督、と言われるのは、その映像の耽美さ
ではなく、このような、20世紀を通じて映画というものが
築き上げてきた常識を裏切り続けた作家だったからかも知れない。
そういう意味では、実相寺昭雄に相通ずるものがあるように思う。

ラッセル作品としての評価は必ずしも高くないようだが、
ストレートな意味での世紀末を描いた『サロメ』(1987)の
ファンは多い。作者であるオスカー・ワイルドを登場させ、
19世紀末のロンドンの娼館主人が、男娼女娼とりまぜた猥雑な
キャスティングのサロメを原作者自らの前で上演してみせる、その
舞台が映画になっているという入れ子的構成のこの作品を、私は
かなり愛している。作品の評価が低いのは、カメラアングルとか
がそれまでのラッセルと比べると常識的な動きしかしていない
からだろうが、それは舞台らしさを強調するためだろう。

そして、妖艶な美少女というイメージが定着しているサロメを、
イモジェーン・ミライス・スコットという、ガリガリの色気皆無な
女優に演じさせ、それが芝居の中では父親のヘロデをはじめ
男性たちがこぞって美しい、こちらを向いて欲しい、言葉をかけて
もらいたいと渇望する美女という設定になっているという皮肉。
「所詮、作り物であるのなら、その“作り物性”を徹底して
つきつめるべき」
というラッセル独自のケレンなのであろう。
それは強烈な毒と個性を持ち、それ故に『アルタード・ステーツ』
(1979)では脚本家のパディ・チャイエフスキーが彼を徹底して
嫌い、ロールから自分の名前を消すように要求したという事件などが
起こったわけだが。

『サロメ』にはラッセル自身も、お稚児のような美少年の助手を
引き連れた娼館専属のカメラマンという役で登場する。そんな職業
が本当にあったのかどうかしらないが、このツクリモノめいた
怪しげさが、いかにもラッセルらしかった。登場人物として芝居の
中に登場する他、カミナリや風の音を効果マンとして作っていた。
この人工の音や光こそが、すなわちラッセルの作品ということ
なのではなかろうか。そして、ラスト、サロメが殺されるという
舞台上のストーリーと、現実世界が交叉して映画は終わる。
警官がグレンダ・ジャクソン(ラッセル映画の常連)演ずるヘロデヤに
「メイドが殺されたのです」
と告げると、彼女は
「殺された? とんでもない、バナナの皮にすべっただけよ」
と言って大笑いし、その笑いはワイルドと娼館主人に伝染して、
映画は哄笑のうちに終る。

ラッセル映画に対し、これは悪ふざけがすぎるんじゃないか、これは
いくらなんでも映画をバカにしているんじゃないかと文句を言っても、
「バナナの皮にすべっただけ」
と笑われるような、そんな気がしてならない。

自分のスタイルをつらぬき通し、好きなものを好きなように撮って
逝ったひねくれ者に、安らかに、と杯を捧げたい。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa