イベント
2011年11月19日投稿
イメージを変えた人【訃報 右手和子】
梅田佳声先生より右手和子氏死去の報せがあった(年齢、享年等未確認)。
教育紙芝居の研究・実演の第一人者。
教育紙芝居とは、手書きによる絵を基本とした街頭紙芝居に対し、
印刷物になったもので、保育園、幼稚園、学校などで演じられるもの。
そのぬくもりのある温かい話術での実演を生前に聞いたのは一度きり
だったが、耳の底にいまもじんわりと心地よい感じが残っている。
父親が紙芝居の貸し元であったことが彼女をこの世界に入らせたことも
あり、父の世代の遺産である紙芝居を日本の文化として残し、
また若い世代に伝えていくことをライフワークとしていた。
……とはいえ、一般の人にとり、右手(うて)和子と言えば
1967年に放映されたアニメ『悟空の大冒険』の主役、悟空を演じた
声優として知られているだろう。過激でシュールなギャグ、スピード感
あふれる展開、ユニークすぎるキャラクターたちの大暴れで、
4年続いた人気作品『鉄腕アトム』の後を継ぎながら、その斬新さに
当時の子供たちがついてゆけず、わずか9ヶ月で打ち切られてしまった。
右手和子はそれ以外はほぼ、声優の仕事をしていない。
しかし、その印象の強烈さはちょっとなかった。
アトムの最終回で、悟空へのバトンタッチという意味もあって、最後の
御茶ノ水博士の挨拶のあと、悟空が登場。
「おいら悟空、よろしく。じゃ、予告編見てくれよな……えっ、まだ
アトムの時間だって? ケチケチするなよ、めんどくせえ……ワン、ゼロ、
ドカーン!」
と、アトムに化けて、
「みなさん、長いこと僕の活躍を見てくださってありがとう……」
と挨拶(声はオリジナルの清水マリ)し、悟空にもどって
「カッコいいんだから、見てくれよな!」
と、アトムが生死不明になってしまう最終回の湿っぽさを一瞬にして
払拭してしまった。そのガラッパチな声としゃべり方は、それまでの
上品な虫プロアニメではついぞなかったキャラクターだった。
本業が紙芝居である彼女がアニメの声優に抜擢されたのは、杉井ギサブロー
氏をはじめとする製作スタッフが、これまでの虫プロアニメのイメージを
一変させよう、と謀ったためだったろう。ちゃきちゃきの江戸っ子だった
右手氏の抜擢はそのイメージの改変にぴったりだった。
右手氏はその著書『紙芝居のはじまりはじまり』の中で、自分のことを
“蛙の子”と言っている。氏の父親もまた、紙芝居師であり、その貸元(製作元)
であった。幼い頃の彼女の記憶は、家中の天井に張り巡らされていた
針金(この上に描き上がった紙芝居を置く)と、練炭火鉢(これで下から
熱して、厚紙に絵を描いた紙を貼ったノリと、その上に塗ったニスを乾かす)
の熱で家中に籠る強烈な匂いだったという。
彼女の父親は理想主義者であり、戦後、子供たちの人気を集めるためならと、
どんどん俗悪になってくる紙芝居の内容と街頭紙芝居師(売人)たちの語りに
我慢できなくなり、理想の紙芝居の確立を目指して自ら良心的紙芝居を製作
する貸元『さざなみ会』を設立、代表になった。しかし、理想は現実に合わず、
短期間でそのさざなみ会は倒産。また売人に逆戻り。幼かった右手氏も
辛酸を嘗めるが、やがて時代が落ち着くと『日本教育紙芝居協会』の設立
に加わり、日本中を教育紙芝居の普及に駆け回ることになる。娘時代、
父の演じる紙芝居の前座を勤めたことが、彼女をして、一生を紙芝居に
捧げるきっかけとなった。ちなみに、この父君の紙芝居師としての名が
“右手悟浄”という。悟浄の娘が悟空を演じる。これをして縁(えにし)と
いうのだろう。
街頭紙芝居は現在、そのストーリィや発想の融通無碍さが面白がられ、
また、昭和の風俗としてよくテレビや映画に登場する。だが、教育紙芝居
は地味な存在であり、情操教育にとり重要なものでありながら、注目される
ところ、語られるところが極めて少ない。その地味な教育紙芝居の普及と
伝承にかけた一生に悔いはなかったろうと思う。とはいえ、1960年代
のアニメとしてはおよぞ全ての面において異端児であった『悟空の大冒険』
のタイトルロールである悟空の声優として、もう少し、そちら方面での
活躍も残しておいてほしかった、つい、そう思ってしまう。
ご冥福をお祈りする。