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2011年10月26日投稿

葛藤のあった人 【訃報 北杜夫】

10月24日死去・84歳。

日本歌壇の巨人・斎藤茂吉の息子である、ということに大きな
コンプレックスを抱き、父のことを徹底して第三者的に
「茂吉は」
と書く、というスタイルが、子供心に非常に気取っていて、
そしてカッコよく感じた。今でいう“クール”という概念に近い。

それが私の小学校4年のときだから、おそらく生れて初めて、
“ハマった現役作家”だったろう。星新一を知るのはその後に
なる。もちろん、『楡家の人びと』などはまだ難しすぎて、
『どくとるマンボウ』シリーズが主であった。
品のあるユーモアエッセイの、戦後における最高峰で、たとえ対象
が下品なものでも、それを見事に格調あるものに転換させてしまう。
『昆虫記』にあった、毛じらみにたかられた時の経験を擬古文調に
綴った戯文など、なんべんもなんべんも読み返して、暗記してしまった
ほどだった。

そういう、自分を茶化し、偉大な父を他人のように扱い、
自らの躁鬱病すらも滑稽化して描写するといった心理が、多分に
屈折し、自己韜晦した人間不信の産物であると知ったのは
20代に足をつっこみかけた頃になってやっと、であった。
思えばあんな楽しい童話風ナンセンス『さびしい王様』だって、
その裏側に恐ろしいまでの人間不信、人生に対する懐疑が隠されて
いた、実は暗い、恐ろしい話であった。

とはいえ、北杜夫の作品が陰湿でなく、またドライすぎもしない
のは、その記憶にある風景が美しいからだろう。
おそらく、神経が繊細すぎるほど繊細で、傷つき易い心を抱え、
そして頭のよかった宗吉(本名)少年は、カメラのような記憶力を
もって、周囲の光景や人々の言動を、その脳内に刻んでいったのだろう。
『楡家の人びと』も、その原型は、作者が自ら体験し記憶した父・茂吉の
青山脳病院時代のエピソードが元になっているし、プルーストの『失われた
時を求めて』の北杜夫版とも言うべき『幽霊』(だから作者は、『失われた〜』
を読んでしまったら書けなくなる、と思い、読む前に急いでこの作品を
書いたという)
は、その記憶の結晶の、ちょっと“事実の検証”という作業が入れば
すぐ砕けて散ってしまいそうな脆い美しさを大事に留めた宝石細工
のような佳品であり、私個人としては『楡家の〜』よりこちらを推す。

北杜夫は1927年(昭和2年)生れで、太平洋戦争が始まったとき、
14歳だった。その後いかに辛酸を嘗めようと、いい生れの家の子の
特権で、美しい少年時代の想い出を山のように持っていただろう。
わずか3歳の年齢差の野坂昭如の少年時代の記憶が悲惨を極めて
『火垂るの墓』を産んだのと、対照的である。野坂や、昭和9年
生れの筒井康隆に比べると、年代こそそんな差はないにも関わらず、
北杜夫にはあきらかに戦前の、古き良き教養と気品、いう基盤がその
文章に備わっていた。そして、その中心に位置する父親像との葛藤が、
彼の文学に一種の複雑さを与えている。兄で同じく精神科医であった
斎藤茂太との対談で、茂吉が自分の性器にコンプレックスを抱いて
いたなどと分析しているのを見ても、この兄弟にとり、偉大すぎる
父をまず否定しないことには、自分のアイデンティティが確立でき
ないという、大きな枷があったことを見てとれる。それが知性から
くるユーモアにくるまれているところに、北杜夫文学特有の苦い笑い
があったのだと思う。平成になってから刊行された『斎藤茂吉伝』は、
長きにわたっての茂吉コンプレックスからの卒業論文だったのかも
しれない。

小学生時代の私の北杜夫耽溺はかなりのもので、小学校のとき、全国
読書感想文コンクールで、佳作の下、くらいになったときの感想文が
北杜夫の『高みの見物』のものだった。そのときの講評に
「文章も北杜夫調で、かなり作者に酔っています」
と書かれたのが、非常にうれしかったのを記憶しているほどである。
そのくせ、会ってみようとか、講演を聞きに行こうとかという気には
ならなかったのは、この人がこの人であるのは、その生まれた家と
時代の文化の恩恵があったからであり、いくらあこがれても同じ
レベルにはなれない、ということを本能的に知っていたからだろう。

今、死去の報を聞いて無性に読み返してみたい気になっているのが
『船乗りクプクプの冒険』だ。あれは、作者の、現実の葛藤からの
逃避願望がもっともいい形で明るくまとめられた児童文学(風)の
傑作、という自分の中の位置づけでいたが、今、読み返してみたら、
その底のどんなものが読み取れるだろうか。こわごわ、ではあるが
それを確かめてみたい気持ちになっている。

北氏には比べられないが、私の少年時代が幸福なものであったと
したなら、それは北杜夫の文章に耽溺していたから、と言えることは
確かであろう。
心からの感謝と冥福をお祈りしたい。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa