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2011年10月14日投稿

夫で苦労した女優 【訃報 ダイアン・シレント】

6日、死去。78歳(79歳との説もある)。
子供のころ映画雑誌でジェームズ・ボンド一家訪問記、みたいな
見出しでショーン・コネリーの家族の写真を見たことがあり、そこで
紹介されていた奥さんが、
「あ、やっぱり」
という感じでボンド・ガール風美人であったことに変な感心したのを
覚えている。晩年の写真を見たら、まるで相貌が変わっていてちょっと
びっくりしたが、その当時は『ロシアより愛をこめて』のダニエラ・
ビアンキ似の美女だった。後で調べたら、ビアンキと同じく
イタリア系の血を引いており、やはり、と思ったものだった。
この奥さんがダイアン・シレント。

ボンドことコネリーとは1962年に結婚。62年と言えばコネリー
は『ドクター・ノオ』でやっと俳優として名が上がった年であるが、
俳優としてはコネリーより先輩のシレントの方も女優業にあぶらが
乗ってきた時期であり、翌63年には『トム・ジョーンズの華麗な
冒険』でアカデミー賞候補になっている(コネリーの方は1988年まで
オスカーには縁がなかった)。

その後もコンスタントに映画出演は続けるが、ちょっと停滞して
しまったのはコネリーと結婚し、翌年に息子のジェイソン・コネリー
を生んだ(その前にイタリア人の助監督だったアンドレア・ボルペ
と結婚/離婚を経験し、一子をもうけているので子供は二人目に
なるが)ためだろう。演技派女優としてはやや、残念なことだった。
世の中には子供を育てながらスクリーン上でのキャリアも着々と
積んでいく頑張り屋の女優もいるが、彼女の場合、家庭を優先させた
のは、コネリーがスターになったことで生活の苦労がなくなった
ことと、もともとが生まれ育ちのいいお嬢さんだったから、という
こともあると思う。オーストラリア籍の彼女の父親は、母国では著名な
熱帯衛生学者でサーの位を持つ、ラファエロ・シレント卿だった。

結婚した当時はまだコネリー家もこじんまりした雰囲気で、
『ロシアより愛をこめて』(63)でスペクターの一員・クロンスティーン
を演じたヴラデク・シェイバルはよくコネリー家に招かれ、シレント
から映画俳優としてのサジェスチョンを受けたりしたそうだ。
また、ボンド映画のロケにはしょっちゅうコネリーと同伴して、67年の
『007は二度死ぬ』では、潜水の出来ない浜美枝の吹き替えで水中シーンを
演じたりしていたという。

だが、やがて夫が世界的人気者になっていくにつれ、やはり生活のスレ違い
が出てきたのだろう。73年にコネリーのDVを理由にして離婚。離婚後は
一回も会っていないそうで、コネリーは2008年、シレントがタイムズ紙に
語った息子・ジェイソンに関するインタビューに激怒した声明を発表
している。

それはともかく、シレントはコネリーと別れたその年のうちに新しい
伴侶と出会っている。それが、劇作家で脚本家のアンソニー・シェーファー
だった。ブロードウェイの劇作家として名高い存在で、トニー賞(彼女も
女優賞の候補になったことがある)ミステリ劇の名作『探偵(スルース)』
(1970)で受賞し、これはローレンス・オリビエとマイケル・ケイン主演で
映画化された。映画では他にヒッチコック晩年の傑作『フレンジー』、
ピーター・ユスチノフがポアロを演じた『ナイル殺人事件』などの脚本を
担当した人である。

この二人が出会った作品がカルト的名作とされている『ウィッカーマン』。
シェーファーは主演のクリストファー・リーと共にこの作品の製作に
携わり、脚本を書いたが、ここでシレントは謎の島・サマーアイル島の
小学校教師、ミス・ローズの役を、奇妙な髪形で務めている。
そこから交際が始まり、1985年に結婚。夫運にはよくよく恵まれて
いた人だと思えるが、シレントは結婚前から半ば強引にシェーファーを
彼女の故郷・オーストラリアのクイーンズランド州に伴い、そこに
カルナックプレイハウスという屋外劇場を建てて(カルナックとは
エジプトの地名で、二人が結婚式を挙げた場所であり、『ナイル殺人事件』の
舞台になった場所でもある)、夫妻で経営していた。夫をロンドンや
ニューヨークの派手な社交の場に置くとコネリーのようにまた離れていく、
という懸念があったためではないかと思う。シェーファーは妻のために、
オーストラリア国籍こそとらなかったものの、そこに永住権を申請し、
税金をオーストラリアに納めていたそうだ。とはいえ、やはりと言うか何というか、
演劇関係の仕事でしょっちゅう滞在していたロンドンにイタリア系の
女性を愛人として囲い、彼の死後、シレントはその愛人から財産分与の
裁判を起されている。

彼女は夫に、愛情の他に才能も求めるタイプだったのだろう。
だが、才人は色を好むものであるらしい。
彼女の一生は結局、それで苦労して、肝心の、才能あふれる自分自身
の開花のチャンスを逃してしまった感のあるものだったような気がする。
とはいえ、彼女がその自分の一生を後悔していたか、あるいは男の愛を
争って闘い抜いた充実感あふれるものと取っていたか、それは他人には
わかりようがない。

死後はせめて心安らかに、と願うものである。
おせっかいだとは思うが。
R.I.P.

Copyright 2006 Shunichi Karasawa