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2011年9月12日投稿

江戸にいた男 【訃報 柳家さん助】

三十年前、新宿末広亭に入り浸っていた当時、出てくるのが楽しみだった
のがこのさん助師匠だった。
頭にちょんまげを乗せていて、もちろんカツラなどではない、ホンモノの
ちょんまげであった。出てくると、
「頭にピストルのようなものを乗っけておりますが……」
と話をはじめ、
「そそっかしい方は“ずいぶん目方のない関取だこと”とか思うようで」
などと笑わせていた。確かに、鶴のような痩身であった。

もっとも、ちょんまげを結うなどという小細工を認めていたわけではない。
学生で落語ファンなどというのは生意気な存在で、最初にそのちょんまげ
姿の高座を聞いたときには
「そんな外見でなく、芸で興味をひけ」
とか鑑賞ノートに感想を書いた(これだけで嫌なマニアである)りした。

しかし、そのうちそれが気にならないどころか、楽しみになってきたのは、
この師匠の口調や風貌が、いかにも落語に登場する長屋の住人、という
雰囲気をただよわせていたからで、ずっと後で立川談志家元にそのことを話したら、
「うん、江戸時代の長屋にいたのはああいう顔の男だ」
と、まるで見てきたかのような断言をしてくれたことがある。
寄席が楽しかったのは、芸の突出した人ばかりでなく、こういう、“雰囲気”で
楽しませてくれる芸人さんがたくさんいたからである。

美人の代名詞を山本富士子でずっと通していたり、アナクロさもあったが
そこが嬉しい高座であった。落語というものは(少なくとも寄席の落語という
ものは)進化しちゃダメだ、という私の持論はそこから生れた。
いかに時間が過ぎようと、昭和30年代前半、つまり吉原遊廓がまだあった時代、
そこでギリギリ止まっていてくれないと、本質が変化しちゃうのだ。
もちろん、進化した落語も面白い。しかし、それは“座ってやる1人演劇”と
しての面白さで、もはや落語ではない。知人友人に、何とか落語を改革
したいと頑張っている人たちが多いので、悪いとは思うが、この考えは
私の中でもはや結論になってしまっている。

そういう意味で、江戸を(ちょんまげでなく)顔と雰囲気で体現してくれて
いた柳家さん助という人は、私に、そこからの落語の進化から落伍させて
しまった(ダジャレではない)、ある種の責任を負っている人物、と言える
かもしれない。9日、肺炎で死去。85歳。……と、いうことは私が始めて
彼の高座を聞いたとき、今の私とほぼ同年代だったわけか。うーん、ずいぶん
おじいさんだな、と思ったのだが。

目を閉じれば、あの当時の末広亭の雰囲気が脳裏に甦る。
ご冥福をお祈りする。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa