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2011年8月26日投稿
ニーズに応えた男 【訃報 ジミー・サングスター】
「セリフなんか重要じゃない。どうせ役者が勝手に変える」
……まあ、正直なところそうなのかもしれないが、これを実際に
セリフを書く脚本家がぬけぬけというところが凄い。
「確かに彼の脚本はひどいものだった。……ただ、凄く早口の
セリフばかりなので、観客に考える暇を与えないんだ」
と、これまたミもフタもないことを証言するのは、監督の
フレディ・フランシス。もちろん、親しみを込めた揶揄ではあるが。
ひどいものだ、と言われた脚本を書いた、いや、書きまくった
のはジミー・サングスター。8月19日死去、83歳。
英国怪奇映画の老舗、ハマー・プロダクションを代表する
脚本家だった。
50年代末からの怪奇映画の復興を一手に担ったのがハマー・
プロダクションで、そのきっかけになったのが1957年公開の
『フランケンシュタインの逆襲』と58年の『吸血鬼ドラキュラ』の
二本。このどちらも、テレンス・フィッシャー監督、そして
ジミー・サングスター脚本のコンビだった。
確かに論理的に考えると、サングスターの脚本はアナだらけで
ある。『吸血鬼ドラキュラ』など、馬車をちょいととばしただけで
被害者たちが住む街とトランシルヴァニアのドラキュラ城を簡単に往復して
しまう。原作やベラ・ルゴシ版のドラキュラで描かれた、船を使って
棺を送り、苦労してドラキュラがロンドンに上陸するという手続きは
ものの見事に無視されている。地図上の距離、いや、それより遠い異文化、
異教の地の恐怖を描こうとした原作者・ストーカーの意図をどう考えて
いるのか、と、野暮な観客ならイキリたつだろう(実際、揚げ足取り的に
ハマー映画を目の敵にして酷評し続けている評論家たちがいた)。
しかし、そんな批評は、制作者出身であるサングスターには
ラチもない雑音にしかすぎなかったろう。ホラー映画に足を運ぶ
一般大衆の大部分は、そんな正確さや原典への忠実度をはかりに
映画館に足を運ぶのではない。牙をむいたドラキュラのアップに
悲鳴をあげに来るのだ。美女の胸にヘルシング教授が杭を打ち込む
シーンに身をすくめに来るのだ。同様に、フランケンシュタインもの
ならば、見所はマッドサイエンティストがメスをふるって死体を切り刻む
ところにこそあるのだ。シェリー夫人の原作にある、“望まれずして生れ
出たものの悩み”など、どうでもいいのだ。
サングスターはそこをきちんと心得ていた。1930年代における
ユニバーサル・ホラーのヒットは、大恐慌に打ちひしがれた人々の
不安の具象化だった。恐怖のベクトルは内側に向っていた。
だが、50年代末から60年代にかけては好景気の波が世界の人々を
ハイにしていた。こういうとき、観客はムードなどでは怖がらない。
彼ら彼女らが求めるのは直接の血、暴力、そしてセックスである。
センジュアルな描写とアクションのたたみかけで、客に考える
スキを与えないことである。
「私はドラキュラを人間的にすることを心がけた」
と、『ハマー ホラー&SF大全』(94)の中でサングスターは
言っている。人知を超えたオカルティックな存在の恐怖を、より
身近な、想像の出来る範囲の恐怖に限定することで、リアリティを
生ぜしめたのである。『フランケンシュタイン』シリーズで、怪物
ではなく博士の方を主人公にしたのも、より感情移入させやすい
キャラクターを主体にした方が、恐怖を現実感覚で体感できるという
計算だった。そして、実際、クリストファー・リー演じるドラキュラも、
ピーター・カッシング演じるフランケンシュタイン博士も、抜群に
カッコいい、ダーク・ヒーローだった。
サングスターは1950年代初めにプロダクション・マネージャー
としてハマーに入社した。ハマーは社員全員が家族のようなつながりのある
会社で、与えられた仕事だけをやっていればいいというわけではなく、
助監督から雑用まで、すべてのことをやらされるハメになったが、その中で、
1956年、SF映画『怪獣ウラン』の台本をアルバイト(200ポンドだった
そうだ)で書かされ、それが好評だったので、続く『フランケン
シュタインの逆襲』の台本も担当することになった。
『フランケンシュタイン』『ドラキュラ』の世界的ヒットで、
サングスターは一躍ホラー映画の第一人者的な名声を得たが、
しかし実際のところ、冒頭に挙げたように、サングスターの台本は
アナだらけなのである。後期、マンネリを打破するために次々に
新機軸を投入していく過程で、サングスター脚本の欠点はどんどん
露呈していく。予算と撮影時間が次々に削られていく中で、
初期のハマー・ホラーにあったスピーディさとカットのキレの
よさが失われていくと、それに合わせて脚本もボロボロになって
いったように見える。実のところ、そんな論理的破綻はほぼ初期
から彼の脚本にはやたらあったのだ。それを補ってあまりあった
“現代性”をハマー映画が失っていっただけなのである。
彼は監督も兼任することがあったが、しょっちゅう冗談ばかり
いって現場を笑わせていて、いざ本番で
「真面目に行くぞ!」
と言ってもみんな集中できなくて困ったそうである。
『フランケンシュタインの恐怖』(1970)など
撮影中、監督もスタッフも笑いっぱなしで、
「映画の出来がひどかったのはそのせいかな」
などとノンキなことを彼は語っている。
自分の映画を完璧なものにするために緊張感を要求する芸術家
タイプとはまるで違っていたようだ。
ハマーを離れて後、彼はアメリカのテレビ番組に招かれて脚本を
書きまくる。『600万ドルの男』や『鬼警部アイアンサイド』
などを書いているが、なんといっても話題になったのは、
『事件記者コルチャック』にゲストライターとして『地獄をさまよう
悪霊ラクシャサ』(1974)を書いたときだろう。ホラーマニアに
評価の高いコルチャックだが、伝説の脚本家を迎えるというさすがの
この人選には当時のマニアたちは熱狂したことだろう。
サングスターもその期待に応えて、いつものコルチャックとは
ちょっと違う、脇のキャラクターに焦点を当てた異色作になっている。
その後の映画の代表作は『レガシー』(1979)だろうか。
この時にはサングスターも、当時のオカルト・ブームに合わせて
原案と脚本を担当。サブ脚本に若手二人がついていたせいか、アラ
も目立たず、後に『スターウォーズ/ジェダイの復讐』を撮る
リチャード・マーカンドの演出がてきぱきしていたせいもあり、
小味ながらヒネリのきいた佳作、といっていいものだった。
残虐シーンが多出するのは、当時のオカルト映画のお約束で、
しかもこれはサングスター自身が世界にひろめたホラーの手法なのである。
そういう自己パロディ的なストーリィを、サングスターは実に
楽しそうに書いている。演出さえよければ、サングスター脚本は
見事に光るのである。
確かに彼は駄作も山ほど書いた。
しかし、ホラーというジャンルは、待ちかねている客に最高の一皿を出せば
それでいい、というジャンルではない。ジャンク・フードのように、いつも
ポケットにあり、いつでも気軽に、ある程度期待した味を楽しめることが
必要な分野である。そしてなにより、その恐怖はその時代と直結して
いなくてはならない。それには、サングスターのような才能が誰より必要だった。
彼はそのニーズに見事に応えたのである。
歴史は繰り返す。いつかまた、ハマーのような会社は作られ、ハマーの
ようなブームを巻き起こすだろう。21世紀のサングスターは、いま、どこに
潜んでいるのだろうか?
R.I.P.