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2011年8月25日投稿

重荷を背負っていた男 【訃報 竹脇無我】

21日、脳出血。糖尿病と高血圧で血管がもろくなっていたという。67歳。

江藤淳が原作と脚本を担当した『明治の群像・海に火輪を』(1976)
というNHKのドラマがあって、これがかなり変わった演出をしていた作品だった。
セリフが舞台のそれといった感じでやたら長いし、同じ役者(石坂浩二、小林桂樹)
が回が変わるたんびに違った役で出る。
時には前回石坂が演じた役を次の回には別な役者が演じるといった
具合で、ちょっと
慣れるまで時間がかかった。
……しかも、ナレーターは声だけでなく姿も現す。もちろん、現代の服装だ。
そして、例えば御前会議の場面にすっと割って入って、
「このとき、西郷は窮地に陥っていました……」
などとブラウン管越しに、こちらに向って話しかけるのである。

……この、明治時代に現われる現代人のナレーター役が、竹脇無我で
あった。下手をすると奇異なところばかり目立って、ストーリィがぶち壊しに
なってしまうところを、影の如くすっと入ってきて自然にナレーションしていて、
見ながら
「なるほど、“無我”とはよく名付けたものだ、人に合った芸名だなあ」
と思っていたものだ。

その“無我”が芸名でなく本名である、と知ったときはちょっと驚いた。
父親の竹脇昌作は戦前から戦後にかけ独特の節回しのナレーションで人気の
あった人で、立川談志や私の伯父などの世代の芸人なら、この人の口調の
物真似がスラスラできるほどだった。あまりの人気と忙しさで神経をすり減らし、
鬱病になって昭和34年、自殺している。竹脇無我は、この父親の享年(49歳)を
自分が越えられないのではないか、という強迫神経症にさいなまれていたという。

あるとき、快楽亭ブラックの飲み会で会った人(お医者さんだったか)と
雑談していたら竹脇無我の鬱病の話が出て、その人は
「あれは親父の昌作の気質の遺伝ですよ、子供の名前を見ればわかる、無我って
のは本名ですよ、正常な神経で実の子に無我なんてつけやしません」
と言っていた。ま、聖書から取った名前ではあるようだが。

気質が遺伝するものなのかどうか、詳しくは知らないが、少なくとも
竹脇無我の演技には、青春スターだった時代から、どこかにクール、
もしくは沈欝な面影があった。72年の日テレ版『坊っちゃん』など、好演
ではあったが坊っちゃんにしてはちょっとインテリっぽすぎるような感じが
したものだ。この坊っちゃんなら、絶対に二階から飛び降りたり

しないだろうと思えたものである。

やはり、この人には『だいこんの花』(70年〜)のように、子供のような父親を
脇から優しく見守る役とか、『大岡越前』(70年〜)の榊原伊織のように、医術という
専門分野から主人公を補佐するとか、そういう役が似合っていたように思う。

若くして父を亡くしたせいか、年長者に甘える性格だったようだ。
『だいこんの花』で共演した森繁久彌を実際に父と同じ存在と思って慕って
いたようだが、森繁とはTBSの時代大作ドラマ『関ヶ原』(81)、映画『小説・
吉田学校』(83)でも共演。『吉田学校』では佐藤栄作役で、森繁の吉田茂に
「君はもてるんだろうねえ。新橋ではどこへ行っとる」
などと言われていた。残念ながらこの映画では池田勇人の高橋悦史の
方に脚光が当たっていて、佐藤の出番はあまり多くなかった。
あ、森繁とは大河ドラマ『元禄太平記』(75)でも共演していたか。
このドラマでは竹脇は柳沢吉保の甥で、権力志向の伯父を嫌って
浪人生活をしているという剣術の達人、柳沢兵庫。大佛次郎の
『赤穂浪士』における堀田隼人そっくりの役であったが、クールさは
ぴったりだった。原作では肉体関係まで持ってしまう歌の師匠の
おしん役が黒柳徹子だったのがちょっと(笑)。森繁は前半に
ちょこっと登場する水戸光圀の役で、からみはなし。

『関ヶ原』では、越前こと加藤剛とも共演。竹脇の演じた細川忠興は、
文武に優れた名将ながら貴種出身のどこか病的なエキセントリックな
性格で、妻のガラシャ(栗原小巻)を決して男性の目に触れさせず、
庭師の老人であっても会話した者は即座に斬り捨てる、という
異常性格者であった。さらには、石田三成(加藤)が決起するにあたり
他の大名たちが夫人を人質にとられぬためひそかに伏見を脱出させて
いるのに、それによって
「美しい玉子(ガラシャ)を人目にさらしとうない!」
と、惑乱し、腹心の家来に
「そのときは、殺せ」
と命じる(当然、その家来も死ぬことになるのだが)。
そして、その後で、悲しげに
「弔いはキリシタンで出してやろう。それだけは、何があろうと……」
と、いかにも優しい夫の決心のようにつぶやくのである。
自分の異常性格がなければ死ななくてもすむはずなのに。そして、
ドラマもそのことに関しては、一切忠興を責めたりしていない。
合理的解釈を持ち味とする原作者・司馬遼太郎も、この行動には
サジを投げたということか。別に忠興は人格破綻者ではなく、
この一点においてのみ、常軌を逸してマニアックなのである。

こういう人格の人物を演じて、竹脇無我の、クールな外見にどこか
精神的もろさを伺わせるようなキャラクターはどんぴしゃりであった。
本人自身、実生活では40歳近くなって年齢差のある女性に大恋愛をして妻も
子も投げ捨てて出奔するようなそんな性格であったわけで、『だいこんの
花』で定着した、善良な孝行息子の役はかなり重荷になっていたに
違いない。ダークな部分も演じられる性格俳優として、もっと活躍して
ほしかったのだけれども、そんな役柄をやっていたら、もっと早くに
鬱が発症してしまっただろうか。

病魔というものとの戦いがいかに苦しいか、ましてそれが、俳優という
自分の姿を人前にさらす職業である場合、なおさらであろう。
その苦しみに、下手に理解や解釈をするべきではないのかもしれない。
今はただ、心の病癒えてやっとまた、渋くなったその存在感でわれわれ
を楽しませてくれるはずだった俳優の、突然の喪失を惜しむしかない。
黙祷。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa