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2011年8月24日投稿
メモ・紳竜の研究
『紳竜の研究』という、松本竜介(竜助)が死んだ翌年(07)に出た吉本興業
のDVDがある。竜介の死で永久に消滅した紳助・竜介コンビのメモリアルDVDだろうが、
内容はと言えば紳助の独演会のようなもので、中でも、NSC(吉本芸能総合
学院)で若いお笑い志望者の前で紳助がやった講義が圧巻。
ここで紳助は売れるための秘訣からテレビというものの要点、そして人生の
意味までを全く飾りなくタテマエなく、ノンストップで90分近く、語り尽くし
ている。今だったら露悪的にすぎると感じるかもしれないが、初めて聞いたときは
感心を通り越して感動を覚えたくらいだ(紳助という男を決して好きなわけでは
なかったが、ここまでプラグマティックに自分のスタンスから業界の状況までを
語れる芸人を見たことがなかったのだ)。
DVDを見たときにつけたメモ帳が出てきたので、ちょっと採録してみる。
見ながらの走り書きなので言い回しなどは正確ではないし、結論がわかりにくい
ところはこっちで勝手にまとめている場合もある。順番も入れ違ったり
しているが、基本は外していないはずだ。もっとも紳助は
「メモとったらあかん。メモは脳での理解や。心で理解せなあかん」
と言っていたが。
「どうしたら売れるか、最初から悩んでもわかるわけがない。解決に至る材料がない。
エンタツ・アチャコからダウンタウンまで、売れてた人の音源を全部聞け。売れ筋というものがどう時代と共に変化してきたかを学べ。そこで初めて、時代と自分の持っているものとのギャップがわかる。それから悩め。何もわからんで悩んでいてもダメ」
「練習をいくらしても、それは慣れるだけ。上達はしない。自分の芸の公式を作れ。
そうすればどんな場面でもその公式を応用できる。プロボクサーは
決して一日3時間以上の練習はしない。下手な練習は応用力をなくすだけでムダ。
その日の気分、その日のお客さんがどうか、その日にならないとわからない」
「下手でも面白かったらええ。うまくなってもお客さんにはわからん。うまい奴とかはいくらもいる。目立つには変な奴やないとあかん」
「相方は仲のよさとかで選ぶな。“今の自分に最も必要な奴は誰か”で選べ。そして、そいつに、いかにお前が自分に必要かを必死で伝えろ」
「公園で練習している若いのがいるが、あれはやるな。芸が自分たちの中で閉じてしまう。やるなら歩きながら、小声でやれ。周囲と一緒に歩くことでしゃべりのリズムを身に付けろ」
「実生活の中でそのままネタに使える話題などそうそう転がっていない。素材を得たら、それを料理して使わないといけない。
ネタにした段階で原型が残っていない場合もある。言ってしまえばウソ
なのだが(笑)、しかしそれは自分が素材を料理した結果であって料理人の腕と言える」
「誰でも知っていることを知っている必要はない。知ってることを話しても誰も聞かない。
誰も知らないことを話せ。それで初めて人は感心してくれる。知識は意識してドーナツ現象にしておけ」
「負けるところには行くな。どうしても行かなくてはいけなくなったら、逃げろ。行って負けるより逃げた方がずっといい」
「テレビの一番組で一人がしゃべることの出来る時間はせいぜい30秒。この30秒で伝えられる面白いことを徹底して考えろ、それ以上はムダ。漫才も同じ。2分の持ち時間があったら、最初の1分は捨てろ。次の30秒でネタふりをし、最後の30秒でドーンとわかせろ。それで印象は決まる」
「仲間がいる利点はモチベーションが上がること。ただし仲間と一緒にばかりいてはダメだ。
いすぎると傷を嘗め合うようになる。なぜなら売れない奴が大部分だから」
「テレビの秘密を言ってしまうで。……あれはな、ペテンや。
映っている時間だけ、ええことを言えばいい。賢くなる必要は無い。
人に“こいつは賢いんとちゃうかな”と思わせることの方が大事」
「変な女に街で声かけられたら、サラリーマンはついて行ったらあかんねん。タレントは行かなあかんねん」
「B&Bにどうやったら勝てるか、ずーっと袖で見てて気がついた。
あれだけネタが面白いということは、本人が面白くないということだ。
ネタやなく、人間の面白さであいつを越そうと思いついた。俺と竜介のコンビは、
その人間関係が面白かった。ネタが面白かったんと違うんや」
「俺がビジネスをやるのは、金もうけのためじゃない。人間としての能力が高いこと、漫才での成功がフロックでなかったことを証明するため」
……そして、紳助はその講義の中で、芸人をいつやめるか、という話もし、
「やるだけやれば、売れてても売れなくても、いつでもスキッとやめられる。やめれない奴はやってへんからやねん」
と言った。
たぶん、あの23日の会見で言ったことなど氷山の一角に過ぎないとは思う。
やめなくてはいけなかったについてはよくせきの事情があったと思われるが、それでも
やめられない、やめたがらない人間が多いなかで、あそこまでスパンと(ある意味きれいに)
やめたのは、彼が彼の理論通り、さまざまなことをもうやりきってしまったから
ではなかったかと思う。
「今の俺が君ら(NSCの生徒たち)にかなわんのは、夢の量やね。これだけ
は君らにかなわん。正直うらやましい。十億円で買えたら買いたいくらいやで」
講義の最後、そう言って紳助は涙ぐんでいた。この泣いてみせる癖が彼の、これだけ頭がいいのに
胡散臭げに見えてしまう欠点のように思う。それは、かの会見でもしっかり感じた。