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2011年8月20日投稿

万能だった男 【訃報 高城淳一】

『西部警察最終回スペシャル』で、テロリストの役を演じた原田芳雄が
亡くなったと思ったら、その最終回スペシャルで、原田と大門軍団の最後の
対決に、ひとり連れていってもらえず取り残される佐川係長役の高城淳一氏
が亡くなった。8月18日死去、享年86。

佐川係長は典型的な中間管理職で、本人はいい人なのだが個人より組織の
方を先に立ててものを考えてしまい、若い熱血刑事たちの反感をかってしまう。
http://www.youtube.com/watch?v=MWpRLfilGjY
大河ドラマ『峠の群像』の水戸家家老藤井紋太夫もそんな中間管理職で、
お家のためを思って実力者・柳沢吉保と内通し、怒った当主の光圀(宇野重吉)
に成敗されてしまっている。

こういう役があまりにハマり役なので、
「そんな役ばかりやっていた」
役者さんという印象が強いが、どうして、思いつくままに記憶をたどると、
嫌味な役はもとより、冷徹なエリート、気のいい小市民、頼りになる科学者
からマンガチックな怪人(『ザ・カゲスター』の怪人フクロウ男)まで、
ありとあらゆる役を演じていて、ほぼ万能と言っていい俳優だった。
”自分にあった役を演じる”のではなく、“役に合わせいかようにでも演技が
出来る”タイプの、プロだった。新劇出身俳優らしく、あくまで
本業は舞台であり、映画やテレビはその舞台費用を稼ぐためのアルバイト
という意識だったのかもしれない。

若い頃から演技を志し、日大芸術学部に入学するが戦争の激化で中退、
戦後改めて舞台の世界に飛び込み、1950年に劇団『七曜会』を創立。
青野武、肝付兼太、雨森雅司などがそこの出身者である。後に声優として
名をなした人が多いが、これは劇団自体が、生活費稼ぎのために当時新しい
職業として成立しつつあったアテレコのアルバイトを積極的に劇団員に勧めて
いたためだった。演出家候補として入ってきた野沢那智は高城に“役者の方にしろ”
と言われて転向した。ある意味、声優・野沢那智の生みの親である。

私より上の世代だと最初にこの人の顔と名前を一致させたのは、NHKの
『事件記者』だろうが、私たちだと『サインはV!』の、岡田可愛たち
立木大和チームの最大のライバル、レインボー(モデルはニチボー)の
監督役が最初なのではないか。立木大和の牧監督(中山仁)が熱血漢なのに対し、
冷静沈着、計算でチームを勝たせるタイプ。とはいえ、椿麻里が朝岡ユミ
(岡田)と対決するために立木大和を離れ、レインボーに入部してくると、
牧と同じく特訓を椿に課し、一心同体になってX攻撃を破る技を開発する。
悪役というより、よきライバルとして描かれたキャラクターだった。
後年の高城淳一とスポーツマンのイメージは全く合わないが、そこらへんは
融通無碍という感じである。融通無碍と言えば、朝岡ユミの岡田可愛とは、
その以前に『でっかい青春』で親子役を演じているという。

役者には、二通りのタイプがある、とよく聞く。
「役者たるもの、“個”を消して、どんな役でも演じなくてはならない」
というポリシーを持つタイプと、
「どんな役を演じていても、その底に必ず演技者本人が見えていなくては
観客には伝わらない」
とするタイプである。海外ではローレンス・オリビエ型とマーロン・
ブランド型として分類しているようだ。

高城氏は当然のごとく、前者のタイプだった。そのため、原田芳雄のような、
何を演じても原田芳雄という個性が出ている役者とは違い、役の記憶は
残っても、役者の名前は知られない、という役者である。しかし、日常的に
テレビで放映され続けるドラマが成立するには、高城氏のような万能の役者
たちが、絶対に必要であった。そして高城氏が出た膨大なドラマの数の中の、
演じた膨大な役の中から、影絵のように、高城淳一という人の個性が
浮かびあがってくる。私が脇役俳優たちのことを愛してやまないのは、その、
光の当て方を変えたとき、浮かび上がってくる陰画の個性に魅せられたからなのだろう。

高城氏が生きた時代は、テレビドラマの最盛期だった。いま、テレビドラマ
は視聴率が取れず、青息吐息である。高城氏のような俳優がどんどん減って
いっているからではないか、と思わざるを得ない。

晩年は日本俳優連合(日俳連)や日本芸能実演家団体協議会(芸団協)で
俳優の失業保険や労災などの権利確保に働いたという。根っから芝居と
役者が好きだったのだろう。長きにわたりご苦労様でした。
R.I.P.

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